- [著]F. Scott Fitzgerald
- カテゴリ:
- ペーパーバック (192頁)
- ISBN:
- 0140620184
- 発売元:
- Viking Pr (2007/01/25)
- 定価:
¥ 397 (税込)- 価格:
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「ディズィ、あなたに会っていると、こっちはいかにも田舎者っていう気がしてくる」
1922年に中西部から東部に引越ししてきた証券会社の社員ニックを語り手に、
巨万の富をもつ青年ギャツビーの、
長年おいもとめていた恋人と再会する様子や
思いがけぬ悲劇的な終焉を描いています。
重ねてニック自身の恋の行方、そして、ギャツビーに対する友情も語られます。
当時のニューヨーク近辺の富裕層の風俗や、街の様子が
物語に独特の雰囲気を与えていて、面白いです。
古き良き過去への妄執の恐ろしさ
戦争後に職にあぶれたロスト・ジェネレーション世代ものの代表作。
あまり指摘されないことだが、この作品では「古き良き白人社会」への妄執がトムの狂信的な主張とデイズィの裏切り、そしてギャツビーの懐古趣味的なデイズィへの執着と成り上がり根性によく現れていると思う。
ニックは「古き良き」社会にも属せないが、かといって新しい社会を築こうとするわけでもない、まさに宙ぶらりんの存在であり、それが故に昔にこだわる人間の悲劇をよく理解し、読者に紹介できるのではないだろうかと思われる。
特に最後の文章は何度読んでも深く考えさせられる。
まさに人間とは、過去へ過去へと運び去られる存在に他ならないが、進む先は未来にしかないのである。
夢の儚さを対岸で見た物語
「彼女の声、それは金にあふれた声だった。高く低く波動する尽きせぬ魅力があった」
デイズィという女性を表現する、有名な一文。
ぎらぎらの野望で短い人生を駆け抜けたぎギャツビーの原動力となったのは、この女性だった。
結局デイズィという女性は単なる愛情の対象としての女性ではなく、上流階級の象徴であり、ひいてはギャツビーにとって絶対かなえなくてはいけない『夢』であった。それさえ手に入れる事ができれば全てを手に入れられる、約束された土地。
しかし、『夢』は実態のない、コントロールできないものだった。
クライマックスにくるまで、デイズィに対するネガティブな描写はでてこない。
怠惰で派手でぜいたくな、社交生活を繰り広げる上流階級の人々の様子に読者は虚しさを覚えるだろう。しかしその中で唯一、デイズィは常に鈴の音のような声で、その世界の先にきらきらしたものが待っているかのように、ギャツビーを魅了する。
しかし、ギャツビーの命があっけなく奪われた後葬式にデイズィは電話のひとつも花の一輪もよこさない。ニックは彼女の本質を次のようにみている。
「トムもデイズィもー品物でも人間でもを、めちゃめちゃにしておきながら、自分たちは、すっと、金だか、あきれるほどの不注意だか、その他なんだか知らないが、とにかく二人を結びつけているものの中に退却してしまって、自分たちのしでかしたごちゃごちゃの後片付けは他人にさせる・・・」
ギャツビーは、デイズィの家の桟橋の突端に輝く緑色の灯をみた。その緑色の灯こそ、手にすることのできないデイズィという女性そのものだったように思える。
この物語は、夢を追わずにはいられない人間の性とその美しさを描く一方、夢につきものの、そのはかなさと虚しさを描いている。読んだ後切なく、なにか実体のないものに郷愁を覚えるのはそこに普遍性を感じるからだろう。
翻訳では伝わり難いのか?
村上春樹氏が最も愛した小説らしい。
(ノルウェイの森を読んだ後、どうしても気になって読んでしまいました)
しかし、私にとっては翻訳が良くないのか、
読み辛さばかりが印象に残ってしまった。
セリフの言い回しが変だと感じる所もいくつかある。
この作品は原文の良さが日本語に伝わり難いという批評も聞いた事がある。
村上春樹氏の翻訳もちょっと読んでみようかと思った。(ヒマがあったら)
亡者の果て。
女、金、そして幸せ。
普遍的なテーマを見事に描いたフィツジェラルドの普及の名作。
ご存知村上春樹が敬愛してやまないことでも有名な作品だ。
作中の台詞
「彼女の声、それは金にあふれた声だった。高く低く波動する尽きせぬ魅力があった」
は、映画「アンカーウーマン」で引用されている。
世界が認めるだけあって内容には文句なしの5つ星。
しかし個人的な趣味ですが、
後半の日本語が若干読みにくかった(「彼」「彼」と異なる人物を指す同一の代名詞が連発するなど)ため、星1個マイナス(もっとも翻訳本に慣れている人は気にならないと思います)。
神様
村上春樹がもっとも影響を受けた作家のひとり、フィッツジェラルド。その代表作がこのグレートギャツビー。二十世紀前半の小説なのだが、これがまためちゃくちゃおもしろい。
語り口は最高だし、きらびやかなパーティと美しい月、そのなかで揺れる恋。
なんというか、「優雅」という言葉がこれほど似合う小説もなかなかないのではないか。孤独をあらわすでもない、愛への、ましてや金へのアイロニーともなっていない。筋はわかりやすく、かつスリリングであるが、それだけでは表現できない何者か、がこの小説にはたしかにある。
GreatというIrony
語り手であるニックが、基本中立的立場を取りながらも成長してゆき、その中で謎の大富豪ギャツビーの真相が次第に明かされてゆき、結末で衝撃のラストを迎える……。
起承転結がきちんと成り立っていて、ベーシックな小説の御手本のような作品だと思いました。翻訳ですら美しいと感ぜられる文章の奥に秘められた、文明社会における貴族への皮肉という主題は、非常に共感出来ました。ギャッツビーが東部へ移って来た目的は、率直に言うと、「性欲〈リビドー〉」の為でありますが、それは、アメリカという国全体の文明社会が、欲望という資本主義の名の下、フロンティアを拡大し、高度に促進してきた事実とも、シンクロして考察出来、因果関係を見出せます。日本においても、「上京」という言葉がありますが、その言葉は欲望による功名心を暗示しており、つまりは現代の日本人にも、この作品が持つテーマは、自らの事として普遍的に捉え得るのではないでしょうか。
結末は、物質主義、快楽主義に傾倒し過ぎたアメリカ社会における内的な虚無と、その文明自体の先の見えない不透明さが、切ない形で表わされています。「僕たちは未来という過去へ向かって絶えず漕ぎ続けるのだ」という最終部の描写で、資本主義の只中にあり、矛盾を感じながらも日々を力の限り走り続けざるを得ない状況の我が身とシンクロされ、感慨深い想いに耽りました。フィッツジェラルドは、デリダ夫人と、社交界で随分と豪勢な生活をし、最後はアルコール中毒で亡くなりました。そのような一見すると優雅で贅沢な暮らしの中にあっても、内面に住む本当のフィッツジェラルドは、こんなにも苦しみ足掻いていたのだ、ということが、この作品を通して暴かれているように思えます。やはり小説というのは、作家の本心が虚構を通じて訴えかけられるものなので、何よりもリアルであり、切実なものであるという感を強めました。
私は村上春樹『ノルウェイの森』がきっかけで本書を読み始めましたが、『ノルウェイの森』の主人公ワタナベ君が言うように、適当にどのページから開いて読んでも、構成が整っている為に、確かに面白い作品です。ギャッツビーがGreatであるのは、皮肉を含めた多義的な意味合いが込められていますが、この小説が一番好きだと断言する村上氏も、純粋であり愚かなギャッツビーに、どこかしらシンパシーを感じたのでしょう。
心にしみわわたる作品
正直最初に読んだときははそれほどの感動はおぼえませんでした。しかし、二度目に読んだときはまるで違っていました。本の中の世界が自然と心にうかび、淡く美しく、そして悲しいストーリーに引き込まれていました。言葉ではうまくいえませんが、ストーリー全体に漂っている雰囲気がとてもよかったと思います。一度よんでピンとこなかった人もぜひもういちど読んで欲しい作品です。
「この世の中の人がお前のように恵まれているわけではないことを、ちょっと思い出してみる
いわずと知れた「失われた世代」の作家フィッツジェラルドの代表作。
はっきりとした起承転結、絡み合う人間関係、伏線と予定調和、そして状況描写→心理描写→風景描写と続く叙述――
いわゆる普通の小説らしさをきっちり備えたこの本の傑出したところは、印象的な風景描写と物語との相関性、そして視点人物にあると思います。
多くのシーンが、あらゆるものが金色に染まる夕刻から始まり、喧騒と孤独な夜へ、そして全てをあからさまにする朝へと描写される様が
そのままストーリー全体を象徴しています。その描写一つ一つがとても美しくも儚い。例えば、
「夕映えの色は褪せ、彼女の面からも、黄昏に楽しく道路から去っていく子供のように、あとに心を残しながら刻々と光は消えていった」
この小説の最大の特徴は視点人物のニック・キャラウェイの存在にあります。
彼の冷静でいて達観したかのような叙述が特徴的で、また彼が経験を重ね成長するにつれ、事件や人物に対する印象が少しずつ変化していくのも読み取ることができます。
ひと夏にして豪華・壮麗と虚栄・孤独を目の当たりにしながら、最後に彼はこの父の言葉の意味を知ることになります。最後まで読んでみて下さい。
タイトルがなんとも皮肉ですね・・・
とても悲しい成り上がり者の物語。ウエスト・エッグの大豪邸に住むギャツビーはただ、昔の恋人ディズィと恋仲になりたいがために今の地位をを作り上げ、とてもささやかに彼女のことを待ち続ける。しかし、彼の夢はアメリカが持つ特有の冷たさの前にもろくも崩れ去っていく・・。
村上春樹氏が言うようにフィッツジェラルドの作品は一度見ただけではピンとこないことが多い。しかし、一度本棚に置いたこの本を再び手にするとき、間違いなく一度目に見たときよりも多くの情景が浮かんでくるだろう。1920年代のアメリカという特有の時代を舞台にしながら今も多くの人の心を捉えて話さないこの小説、一回読んでみても損はないと思う。
