- [著]Fyodor Dostoyevsky
- [著]Constance Black Garnett
- カテゴリ:
- ペーパーバック (480頁)
- ISBN:
- 0486415872
- 発売元:
- Dover Pubns (2001/08/22)
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滑稽な男
ドストエフスキーが1866年に発表した長編小説。
ドストエフスキーなんて長いし、ややこしい名前だし、余程の本好きか、学者しか読まない筈だと思っていた。
読み始めて、そんな先入観は吹き飛んだ。罪の定義、それに見合う罰。そんなものを、普通の人は決められない。
だが、主人公ラスコ-リニコフは決めてしまう。「自分は特別な人間だから」という、もっともらしくも脆い根拠で、やってしまう。
この男は悪意に満ちた悪い人間かと言うと、そんな事はなく、自分の根拠に確信が持てずに、悩んでいる。その様は滑稽で笑えてくるのだ。哀れだ。
当然のごとく、自らも罰を受ける。その罰が妥当か、自分には分からない。
生態系のルールに従えば、許される行為では無い。そして、そのルールは正しいと思う。
訳が最低{作品は4−5星}
こんなにも間違いだらけの本をよく作れたもの。ドフトエフスキーが泣きますよ。
これから読むなら、絶対他の人の訳をお勧めします。
天才すぎる
作者は人を殺したことがあるんじゃないかというくらいに殺人者の心理描写がリアル。それぞれのキャラクターもたっている。長い話なのに全く飽きない展開。よい演劇を見ているかのようだった。
人間の心理をこんなに深く重厚に描いてくれて、文学万歳と思った。
狂気の論理と愛の救済
選ばれた人間は、自らが正しいと信ずるならば、法律(殺人)を犯す権利があるという自らの思想を実行に移すため、ラスコリーニコフは金貸しの老婆を殺害し、彼女の金を有益に奉仕しようと決意する。しかし同時に彼は老婆のみならずリザヴェータまでも殺害してしまった。犯行後、様々な人物が登場し、様々な思考がラスコーリニコフを過るが、ソーニャの勧めもあり、遂にラスコーリニコフは自白してしまった。シベリヤの流刑地にて八年間の懲役に服されるが、そこでも彼を見捨てずにいてくれたのが、ソーニャであった……。
本書の粗筋は多くの人が前提として知っていることでしょうが、実際に通読するとその濃度は計り知れません。日数にしても場所にしても短く狭い話なのですが、その分、ラスコーリニコフと登場人物達の密室空間での対話(特にスヴィドリガイロフ、ポリフィーリイ、ソーニャなど)がそれぞれ色濃く、紙数の大半を占め、そのグルーヴに読者は呑まれるばかりの勢いで読み耽ることとなります。例えばスヴィドリガイロフとの対話では、その妖艶さに身震いする思いでしたが、ソーニャが福音書を読む場面では、反動的に救いを感じたり、キャラクターごとの特質をドストエフスキーは巧く描き分けています。しかし、本当に色々な人物(ラスコーリニコフ、ラズミーヒン、スヴィドリガイロフ、ドゥーニャ、ソーニャ、マルメラードフ、カテリーナ、ルージン、レベジャートニコフ、ポルフィーリイ、などなど)が出て来る為、珠に頭が混乱してしまうので、http://www013.upp.so-net.ne.jp/hongirai-san/kids/t-soukanzu.htmlのサイトで人物相関図を参照させてもらいながら読むと、より良く理解できると思います。「現代の予言書」とも言われる本作ですが、例えば進歩主義者のレベジャートニコフが、「ぼくはいま未来社会では他人の部屋へ自由に出入りできるという問題を、……」とルージンに言いますが、これはもしかして現代のネット社会の暗示ではないでしょうか。スヴィドリガイロフの自決の際も、アメリカを嘲笑しているように感じられますが、これは『カラマーゾフ』のミーチャの発言とも被るところがあり、意味深な予言として私には映ります。その他にも、様々な暗示が仕掛けられているようにも思えます。さらに、ラストの、流刑地でのラスコーリニコフの枕元にあるソーニャの福音書という結びですが、「彼は今もそれを開きはしなかったが……」、という、キリスト教による救済を描きつつも、それを絶対視させないで曖昧にさせ、読者に委ねる表現に、絶妙さを感じました。トルストイとドストエフスキーの違いは、こういったキリスト教信仰の差異でしょう。トルストイはキリスト教絶対主義のように思えますが、ドストエフスキーは何やら半信半疑のように思えます。いずれにせよ、内容が青黒いカオスで満ち溢れている本作の尾鰭に、この救いがあるのと無いのとでは、大きな違いでしょう。
『源泉の感情』という三島由紀夫の対談集の中で、小林秀雄は、「『金閣寺』は燃やすまでの動機小説で、『罪と罰』は殺してからの小説」と両者を峻別していますが、それでも両者に共通するのは、読者を乗せて運んでゆく魔的なものが乗り移った筆力であろうと個人的には思います。グングンと吸い込まれてゆく力に漲っているのです。それと、この『罪と罰』は、構成がとても素晴らしいです。全部で六章ですが、各章どれも凡そ百五十ページほどで、その中に1、2、3……と、大体二、三十ページごとに府割りされています。これが凄く読者にとっては読み易い構成なのです。兎にも角にも、推理小説として、思想小説として、恋愛小説として、老若男女問わず満足出来る、エンターテイメント性に富んだ純文学の傑作であることは断言し切れます。
最高傑作!
何度心震える場面があったろうか、人間の心情をこれでもかと描写するドストエフスキーは本当にすごい。
しつこいぐらいの言葉の連続攻撃、くせになりそう。読み返してまた興奮する。
一度挫折したが、またチャレンジして本当に良かった!
ラスコリーニコフの思想・論理は危険だが、本質をついてる気がする。登場人物の魂の叫びが伝わる。
人類史上最高の小説と言われるのも納得。訳者による解説もまとめとして非常に良いと思う。
ただ、訳自体は岩波文庫のほうが読みやすいかもしれない、若い人にとって。でも文句なし星5!
僕にも、そして誰にでもソーニャはいるのだろうか??
PENGUIN POPULAR CLASSICS版の「罪と罰」
このPENGUIN POPULAR CLASSICS版の"Crime and Punishment"は、英訳者名の記載がなく、どうやら以前なされた英訳を元に、ところどころをカットして全体の長さを短縮した「簡略版」になっているようです(ストーリー展開上重要でない、冗長といえるところを選んでカットしているように思われます。例えば、ラスコーリニコフに翻訳のバイトを勧めるラズーミヒンの饒舌、レベジャートニコフの自説の展開など、オリジナルより随分簡単になっています。こうした箇所は、冗長ともいえますが、読んでいて笑える、読書の楽しみが得られるところでもあるのですが、、、)。こうした簡略版の存在意義もあるとは思いますが、そのことが本のどこにも明記されていないのはいかがなものでしょうか。英訳本を選ばれる方はご注意されるとよいと思います。
問題点を書きましたが、この版の価値は、何と言っても税込み525円という安価で入手できることにあります(日本語訳の文庫を買うより安いです!昔、洋書が高かった頃のことを思うと夢のようです)。日本語訳で何度も読み、またこの英訳で読みましたが、"It was I who killed,,,"という告白に至るまでの物語をたどって、あらためて深い感銘を覚えました。
英語のドストエフスキーは、いい。
英語のドストエフスキーはいい。
まるでハードボイルド小説のようだ。
日本語だと、どんどん文章が伸びていく構文なので、
ロシア文学などは、うっとうしさが強調されるが、
英語だと、その点シャープに進んでいく。
会話もクールで、
まるで演劇のシナリオを読んでいるような気分になる。
だが、この新訳は、どこか中途半端な感じがする。
ペンギンクラシックスの旧版は、
David Magarushackによる翻訳で、
出だしの文章はこんな感じだった。
On a very hot evening at the beginning of July
a young man left his little room at the top of a house in CarpenterLane,
went out into the street, and, as though unable to make up his mind,
walked slowly in the direction of Kokushkin Bridge.
こちらの方が、よりドストエフスキーらしく、
作者の世界観に忠実で、
その文学の魅力の保存度も高かかった。
読み進みやすいリズムも持ちながら、
チャンドラーのような気配を放っていた。
会話も重厚かつスリリングで、
ぐいぐいと物語の中に入っていけた。
全体として、
ドストエフスキーの英訳小説を読んでいると
まるで作者の頭の中に分け入って行くような
不思議な味わいが楽しめる。
永遠の衝撃作です!!
いわずと知れた、ロシア文豪ドストエフスキーの傑作小説です。
この世に生まれたからには、一読せねば損だと本当に思います!
…かといって、軽々しくおすすめできないという気持ちもあります。
なぜなら、この作品を「読書」するにはかなりの(時間的・精神的)負担を強いられてしまうと思うからです。
本を読み慣れている人ならばともかく、あまり読みなれていない人には正直、色々な意味でキツイ作品だと思います。
僕自身、高校で購入したものの、本を読むのが遅いこともあって受験のための時間制約で挫折し、
大学で時間的に余裕があったにも拘らず行間に漂うあまりの毒々しさに数ページで挫折し、ようやくつい最近読み終えた次第です。
その読後感は、僕のこの作品に対する警戒心は、あながち僕自身の神経質な臆病さだけからくるものでなく、妥当なものだったということでした。
その魔力の本質は"物語へ引き込む力が恐ろしいまでに強い"ということに尽きます。
私の尊敬する先生が、「『罪と罰』は、あまり深刻にならずに大笑いするぐらいの気持ちで読みなさい。」とおっしゃっていますが…
とてもムリです!!むちゃくちゃ引き込まれて、むちゃくちゃ深刻になります!
もちろん僕は、相当な心構えをしてかかりましたが、それでも無駄でした。
ようやく二度目に読むにあたって、若干余裕が持てた程度です。
もし初読が高校生の時だったら…と思うと寒気がします。(受験には間違いなく失敗していたでしょう)
大げさではなく、精神的のみならず、肉体的にも打ちのめされてしまうのです。症状としては、体のだるさ、食欲の減退…etc.です。
心もすさみます、というか、飛ばされてしまいます(済みません、他に言いようがありません)。
今まで、何百、何千万人の人が読んだからといって、安心して良いというものではありません。
読むときは誰もが一人です。作品の持つ危険性はいささかも薄められていません。
有名で名高い文芸評論家などの批評を先読みして、ある程度先入観を持って、危険に備えようとしてもほとんど無意味だと思います。
未だに再発見され続けていることが、それを物語っています。
内容はあまりにも有名ですのであえて触れませんが、
個人的にはラスコリーにコフ、ソーニャに感情移入するのではなく、スヴィドリガイロフに注目すれば、多少その毒から距離を保てるような気がします。
繰り返しますが、超おススメです!でも、くれぐれも注意してください。
人間の証
罪とは何か、そしてそれに対する罰とは?
人間としての根幹を成すこの問いを何度も繰り返し突きつけられるのがこの小説である。
主人公の青年は、将来多くの人を救うことになる大きな目的のためになら殺人さえも罪にはならないと考えていた。
休学中の大学生で、細かく描き出されるその暮らしぶりは貧困の底を見る思いだ。
そこから抜け出すために、そして何よりも自分の理論を実証するためにラスコーリニコフが選んだのは、質屋の老婆を狙った殺人強盗である。
実行するのは容易だった。
しかし思い通りにならなかったのが、彼の心の呵責である。
罪を犯したことを後悔しつつも、それを認めるならば自分は大きな目的を持つことのできない人間と認めることにもなる。
その事実に対し発狂する寸前まで悩み苦しむ姿があまりにもリアルだった。
殺人は罪なのか。
つらい現実から逃げるために酒びたりになり家族を苦しめるのは罪なのか。
金で人間を縛ろうとするのは罪なのか。
貧しさゆえに娼婦に成り下がるのは罪なのか。
登場人物のそれぞれが、罪の形について問いかける。
ラスコーリニコフが苦しんだのは、殺人に対する良心の呵責というよりは自尊心を傷つけられた苦しみのようだけど。
それでも最後には神の救いという形で終わる。
ソーニャがなぜラスコーリニコフを愛してシベリアまでついていったのかがわからない。
彼女もまた自分の罪に対する罰として考えたのだろうか。
罪の大きさに比べ、あまりにも小さくはかないように見えた愛と希望だった。
世界的名作
一度挫折してから、もう一度読み直しました。
ここまでするかというほど手が込んでいて、事実が幾重にも重なり合い、それぞれの登場人物の個性や思想が物語全体にリアルに影響して、主題の大きさに比べて無理のない現実味溢れる作品となっています。結構本を読んできた方だと思いますが、読み終わってここまで構成の巧い作家は国内、国外にもほとんどいないのではと思いました。
論理的に考え出された思想を抱えて生きる青年がそれに従って犯す殺人や、妹の結婚の問題、家族を支えるために娼婦となった女性など、精神面から何まで本当に事細かに描写されています。著者の冷静な観察力には感服するほかありません。
ただ、作品としてのレベルが少し高いところに注意しておきたいです。世界的名作ですし、原文がロシア語ですから、特徴的な文体になっているうえに、登場人物が結構多く、またそれらがミドルネームや略称で呼び合うので結果的に二十通り近い名前を覚えなければならず、最初のあたりで登場した人物が突然後半になって現れる事もありますので要所、要所で整理をしなければ混乱するかも知れません。
軽い気分で読む物じゃないですが、お勧めします。『死ぬまでに読んでおきたい名作』です。
