- [著]Raymond Carver
- カテゴリ:
- ペーパーバック (240頁)
- ISBN:
- 0679723692
- 発売元:
- Vintage Books (1989/06)
- 定価:
¥ 1,608 (税込)- 価格:
- ¥ 1,801 (税込)
- 在庫状況:
- 通常24時間以内に発送
ユーズド商品:¥ 2,357 より
ぶっちゃけ、村上春樹はよく知らんのだが。
僕は村上春樹の作品を余り読んでおらず、(というのも幾つか読んでみて余り好きじゃなかったので、)彼の「大聖堂」の訳も読んでいない。なので、R. Carverの原書に辿り着いた日本人読者としては稀有な方に位置すると思う。
"Cathedral"は(dis)communicationの話だが、このdiscommunicationとcommunicationの間の境界を非常に繊細にtouchする作品である。盲人に愛情を注ぐ女房に嫉妬する主人公が、その盲人と一緒にTVを見るという妙な体験を描いた話だが、何とかTVの内容を伝えようとする主人公と盲人が、手を触れ合いながら「言葉」でcommunicationを取っているラストは、作家の「言葉」への信頼感と愛情が溢れている。この「言葉」とcommunicationへの信頼と愛情に感動する人はこの作品を大絶賛するだろうし、一方で物足りなく感じる人もいるだろうと思う。ただし、僕が幾つか読んだ村上春樹の作品みたいに、こういうラストですぐ泣いたりしないところは好感が持てた。
こんな本格的な文学作品なのに何しろ英語が読みやすく、中級程度の英語力でスラスラ読めるというのも驚きです。
すばらしい
「大聖堂」、「ぼくが電話をかけている場所」、「ささやかだけれど、役にたつこと」とカーヴァーの作品の中でも数珠の作品を収録。「大聖堂」というのは不思議な作品で、これまで30回くらい読みましたが全然飽きません。妻が文通していた盲目の男が遊びにきて仲良くなるという、何の特別なこともない話ですが、なぜか暖かい、安らぐ、そして妙な力を感じます。傑作。
極東の島国でファンを得ることとは?
レイモンドカーヴァーを日本に紹介したのが村上春樹だったことは よく知られている1980年代の伝説の一つだ。
カーヴァーを初めて読んだ時に感じた衝撃は今でも覚えている。「ダンスしないか?」という短編だったと記憶しているが とにかく「人間の絶望」というものを かようにドライで淡々と書く才能には 本当に目を見張ったものだ。
やはり村上ファンだった僕の友人は 「カーヴァーの作品世界は正しく村上春樹の世界だ」と言い張っていた。その意見は 今考えてみると 全く当たっていないとは思うが 1980年代には いくばくかの説得力がある意見だったと記憶している。あの頃の村上も「人と人とのディスコミュニケーション」がテーマであるように語られてきたし 実際 そんな「お洒落で軽い絶望」が 村上の持ち味であると僕も思ったものだ。
カーヴァーが亡くなったのは1988年だ。もうすぐ20年になる。彼は日本では読者に恵まれたと 今 思う。そう 日本人の大半は村上春樹経由でカーヴァーの辿りついたと思うがその結果 彼の良い読者が この 米国から遠く離れた国にも 沢山居るのだと思う。それは彼に対する一種の供養のような気もしないでもない。
カーヴァーの真骨頂
『羽根』は日常のカフカ、とでもいった趣。『大聖堂』も不思議な世界。両篇とともに忘れがたい人物が登場する。初期の短編もエクセレントだが、この集の短編群は、語り始めたら何時間あっても語り尽くせぬ魅力に満ちている。後期、円熟期の作品群。
リアリズムのカフカ
『でぶ』は訳者の能力を実感させられるカフカ的短編。『大聖堂』は奇妙などきどき感で目が離せない。『ジュリーとモリーとサム』はかなりきつい内容なのに、そこはかとないユーモアが読み手を魅了する。ウイリアム・キトリッジの巻末エッセイも泣かせる。
鳥肌が立つ作品群
カーヴァーの短編ベスト3を挙げろ、と言われれば「大聖堂」「ささやかだけれど、役に立つこと」「愛について語るときに我々の語ること」になる。この短編集には先の二編が収録されている。「大聖堂」は他者への理解、というテーマを見事に描ききった傑作だ。「ささやかだけれど」は人間が生きていく上での、救いとは何か?という問いへの、一つの回答。どちらも素晴らしい作品で、読了後、ほっと息をつき、しばし考え込んでしまうに違いない。それを言えば他の作品もそうなのだが。長すぎず。短かすぎず。優れた短編。優れた小説。
最後の一行のために
大聖堂は、見えないものが見え、見えるものが見えなくなるような、そんな感じのする作品。 最後の一行が、この作品のすべてかもしれない。 短いことはこうも凄いことなんだと実感させられた作品です。
