- [著]内田 義彦
- カテゴリ:
- 新書 (213頁)
- ISBN:
- 4004202884
- 発売元:
- 岩波書店 (1985/01)
- 価格:
- ¥ 735 (税込)
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本を読む際の作法と、社会科学が駆使する概念装置の組み立て及び効用
大学入学時に買ったムックにこの本が紹介されてあったのを最近思い出して、入手して読んでみた。ここ最近本を多く読むようになった自分としては、読書という実践で得られる効果や読書という体験についての考えが自分なりに浮かんではいたのだが、この新書ではそんな考えに一つの道筋をつけてくれるものだった。
著者は、本を読んでも本に読まれるなと説く。その言葉には、読書という行為が優れて体験的なもので、読み手側の意志や意識が弱ければ、読み手はすぐに著者の主張に自分の考えを乗っ取られてしまうという洞察がある。実際に社会科学の著作を読み出すと、著者の主張は読み手を強く支配しようとするもので、読み手側が常に著者の主張に一定の距離を取れていないと、理論の向こう側にある著者の隠された価値判断や予断に気づくことが出来ず、その主張を、なぜそんな主張が形成されたのかを理解しないまま宗教上の信者のようにその意見を絶対化してしまうことになる。この新書では、そんな風にはならないために、著者の主張を仮設的に信頼して、読み手である自分の判断も信頼して読むこと、そのふたつの態度を併用することで著作上の考え方を自分なりに現実に適用できるようになる、といっている。この言い回しの微妙な感じをより確実にする為には、出来るだけ違う著者、または違う分野の古典作品を読むことが、自分なりの仮説を作る際に重要だともいっている。確かに、いろいろな分野の考えの組み立て方を知っていたほうが独断的な考えに陥らずに済むと思う。
なお、入門テキストでわかった気になったとしても古典といわれる著作はその書かれている密度は入門本とはまったく違うので体験の質が違うのは確かだが、入門テキストにも、その分野の問題領域がどんなものであるかを示してくれる効用があるし、そこから古典著作を読むとまったく質の違う体験がそこにあるので、どちらかが良くてどちらかが劣っているわけじゃなくてその目的と内容と効用が違う、という事実を押さえておいて、両者を使い分ければいい話ではないかと思う。
この新書では、後半部分で社会科学の考え方の組み立てとその過程を、自然法の含む内的論理と研究者の現状への批判的意識が経済学の枠組を作り上げていった例で説明している。
何かのドラマで「お前の言ってることはみんな本に書いてあるんだよ」という台詞があったが、そういうことを言いたがる人は実際に古典といわれるような本を読むという実践はしないし、実際に読み始めれば頭も体もつかれるが、他の経験では換えることの出来ない効用を与えてくれる。自分の才能やひらめきさえあれば全て大丈夫、という考えの人はそもそも本を読まないだろうし、読もうというきっかけもないだろう。頭に思い浮かぶ閃きというのも実際は誰かにすりこまれた考えのことが多いのだし、そんな気持ちでたとえ読んでみても、自分が前もって決め付けた予見の範囲でしか理解できない。具体的に多くの時間をかけて、ある時は一生を賭けてひとつのことを考えつづけた専門家の努力をたどりなおすことは、自分一人の限られた経験や思考能力では辿りつけない問題性に気づかせてくれることが多い。全ての人が一番最初から考え始めなければならないとしたら、余り先へは進めなくなるだろう。読書は、自分たちの前に悩みつづけた人たちの成果を、読み手自身の身をもって通過できる実践の一つでもあると思う。しかし一番大事なことは、ここから得たものをいま生きて居て特定の場所にいる自分の風景から捉え直して自分なりに考え始め、行動の方針にすることだろう。
読書家こそ読むべき本
著者が本書で訴えていることは、「自分の頭で考える」ことの大切さである。私の考えでは、誰にでも独自の思想の体系というものはある。それをどれだけ的確に把握できているかはともかく、どんな人にでも自分だけにとって切実な原問題群があるはずだ。
そして自分のなかに問題意識の樹木があるとしたら、読書をすることは、その樹木に新たな葉あるいは枝を増やしていくことでなければならない。同じことを、ショーペンハウエルは「読書をすることが、人に代わりに考えてもらうことになってはいけない」と表現している。樹の幹そのものまで誰かの本から密輸してしまっては、何にもならないのである。
そして本書のタイトルからも伺えるように、社会科学をやる上ではそうした姿勢が極めて重要なのである。たとえ世間の考えからは外れていたとしても、ものごとを自分の眼で見、追究していくこと。それのみが社会科学の発展を可能にする。そうした姿勢を持っている人には、先に入門書を読んでから古典に取り組み、入門書に書いてあったことを確認して分かった気になる…といったような読書の仕方はありえないだろう。
社会科学を始める上での心構えを教えてくれる、良い本だと思う。
「講演形式」が邪魔になる。
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社会をよりよく見るための、本の読み方
歴史や倫理で習った世界史に残る知識人・思想家たちの本は、どうにも難しくて読む気になれない。あの、重々しい文体や小難しい「概念」、読みやすさを考えていないような構成など、見ただけでウンザリしてしまう。一体、社会科学っていう学問は、日常生活とどう関係しているの?などといった疑問を持つ方にこそ、オススメしたい本です。
社会を見る見方をより深め、今起こっている社会の変化とその意味をより深く知ろうとしたときに、「古典」といわれる社会科学の本が我々の「目」を鍛えてくれる、著者はそういいます。偉大な思想家たちが様々な労苦を重ねながら「世のなかの動き」を捉えようとしたその姿勢を、軽快な語り口で説明しながら、その姿勢を我々が合点のいくような形で再現してみせてく!れ!るのがこの本の最大の特徴です。
大切なのは、自分の実感にあった形で、自身の経験とともに本と取り組み、その意味を読み解くことであって、それによって自分の考え方を鍛え、そして練り直していくことにある。歴史的な思想家たちが築き上げた「思想」の本質を、自身の体験を交えて、身につけてみる。そういった読書体験を通じて、社会の見方が変化すると同時に、社会へ向かう姿勢をも変化してしまう。社会科学の本の読み方を伝授してくれると同時に、自身の社会へ向かう姿勢をも改めて問い直す、そんなきっかけを与えてくれます。
本当に身になる本の読み方を体験するためにも、是非ご一読をオススメしたい一品です。
