- [著]開高 健
- カテゴリ:
- 文庫 (300頁)
- ISBN:
- 402260607X
- 発売元:
- 朝日新聞社 (1990/10)
- 価格:
- ¥ 546 (税込)
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この本はきつかった。
まだ少年と言える時代に読んでしまった。戦争とはいったい何なのか?など考える余裕などなかった。
「ベトコン少年、暁に死す」の項を読まなければ良かったと後悔しつつ読み続けた。胃の辺りが石を飲んだように重くなって、目には涙が浮かんできたのを今でも覚えている。
開高健先生は、私にとって人生の師と勝手に決めているのですが、この本の内容は中学生の私にとっては厳しすぎたと思う。
今、子供にも開高先生の小説を読むように勧めているが、この本はもう少し後にしようと心に決めている。
戦争や人間の存在そのものの本質
「ベトナム戦記」という本の存在だけは知っていたが、ようやく手にとって読んだ。
これは、開高健氏のベトナム従軍記です。いままで戦争に関する本はいくつか読んだが、「ナンバー・ワン」です。
ベトコン少年の公開処刑を書いた「ベトコン少年、暁に死す」の章から最前線に赴く後半の章は、臨場感があって、実際に開高氏と一緒にいるような妙な感覚になる。一流小説家である開高氏の文章の力だろう。
この本のなかで「ベトコン少年、暁に死す」の章は特に凄い。凄くて深い。「戦争」や「人間」の存在そのものの本質をわしづかみにするような迫力ある文章である。
たとえ、この章だけでも読む価値はある。
不謹慎だが、フライフィッシュングの延長として(肯定論)
1954年生まれのレビュワーにとっては、「ベトナム戦争」として報じられる戦況の後半部分に意識があるが、前半は、正直言うと「なんでアメリカがあんなところで戦争してるの?」という感じであった。
世の中には、アメリカに留学した小田実さんらの「ベ平連」が盛んにデモをしているのが思い出される。
この時点で、私の知る開高健さんは、山口瞳さんの先輩で、魚釣りの好きな人、お酒を飲む大食漢でしかなかった。この人が何ゆえにベトナムまで行くのかは、中学生の小生には理解不能であった。
高校になって読み、大学になって読み、社会人になって読んだ時にベトナム戦争の帰趨とか、その後のカンボジアの情勢や更には共産国家の終焉などの様々な別の情報が入っていて、彼の文章は素直に受け入れられなかった。
しかし・・・・ここから怒られるかもしれないけれど、ひょっとして、開高健さんは、「文豪」とか「社会評論」とかのややこしいことではなく、『ライズ』のくりかえされる浅瀬にフライを飛ばすフライフィッシングの場所としてとらえたのではないかと思えてきた。命がけのフライの操作ではあったが。
そう考えると妙に分かりやすいのですが、いかがでしょう?
開高大魔王の戦場の観察ぶりを見よ
開高大魔王の1960年代のベトナム戦争の記録だが、今読んでも、まったく古びていない。アメリカ=悪、解放戦線=正義、とのステレオ・タイプの当時の「定説」にも組みしていない。声高に「スローガン」を叫ぶむなしさを知った開高大魔王と凡百の作家、たとえば小田実などとの違いがそこにある。現場では「戦場」を語っても「戦争」は語れない、と、諦観した大魔王の戦場の観察ぶりを見よ。ベトナム戦争の最上の記録の一つでもある。もちろん独特の大魔王の文体「開高節」の完成度は他のエッセイ、小説と変わらない。(松本敏之)
信じられる戦争の記録
ベトナム戦争は歴史上最も自由な報道が許された戦争といわれている。日本人の手による戦場の記録というと、とかく加害者か被害者の立場に立ったものばかりが目につくが、開高健は当事者ではない第三者として中立の立場で現実を直視し、判断し、記録しようとする。
最近のイラク戦争を見ていると、メディアを通して報道される情報がいかにコントールされているかを思い知る。しかし、本書に記録された内容を私は信じることができる。なぜなら、当時すでに小説家としての高い地位にいた一人の男が、命懸けで目撃してきたものだからである。テレビの報道を見ながら、あれこれ発言する作家は多い。しかし、現実に起こっていることを確かめるために実際に戦場まで出かけていくだけの勇気を持つ作家は、今の日本に果たして何人いるだろうか?
開高健が冷静さを保とうと慌てている
ベトナム戦記を読みおえて、もっとも印象に残るのは、あの文豪・開高健が、必死に平静を保とうとしている努力を窺い知ることである。私は、阪神大震災を味わったが、不意にあのような震災に見舞われると、我々の執る行動は、「いつもと変わらぬ」ように動こうとすることを知った。吹っ飛ばされたいつもの日常に戻して、落ち着こうとする心理が働くのだろうか。このベトナム戦記を語る開高健の語り口から、「戦場の凄まじさ」が逆に伝わってくる。哲学的で難解な表現でも知られる著者が、平易なストレートな文章で事態を伝えてくる。後に「枯葉作戦」と呼ばれ、ダイオキシン後遺症の悲惨さが伝えられた作戦に出くわす場面も興味深い。また、この頃既に、この戦争の矛盾に迫ろうとする姿勢にも文学者としての精神が感じられる。このベトナム戦記を、私はとても重要な作品だと思っている。
戦記
作者が朝日新聞の臨時海外特派員になって戦乱中のベトナムに赴いて、ベトコンに包囲されてジャングルで死を覚悟したりしながら取材した作品。
作者は『ベトナム戦記』の文章で、〝何物かによる搾取のすさまじさをつくづく感じさせられた〟といって、肥沃な土地と素朴な生活によって、本来ならば悠々と暢気に暮らせる筈のベトナムの農民たちが、支配者の搾取と、また新しい支配者のときどきの出現に基因する戦争とによって、現在に到るまで何百年という長いあいだ絶えず貧苦にさいなまれ通しなのに深い同情を寄せている。この文章は戦記なので、傍観者としての叫びになっているが、小説の場合は、これが主人公である組織の中の叫びとなって表現されているので、なかなか感動的なのだ。
