- [著]三浦 綾子
- カテゴリ:
- 文庫 (244頁)
- ISBN:
- 4041437172
- 発売元:
- 角川書店 (1996/06)
- 価格:
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マリア
多喜二の母がキリスト教徒であったことから書き上げる事を決めたという著者。
日本が貧しかった頃の話。
貧しい人々の代弁をして殺された多喜二はキリストであり、
母はマリアの気持ちに一番近い人。
多喜二と母の物語だけではなく、その家族や時代の物語。
幼少の頃からのエピソードが沢山織り込まれている。
三浦さんの本は初めてでしたが、どんどんと引き込まれていく本書に
次回もまた読んでみたいと思わされた。
この本を薦めてくれた父に感謝したい
本当の愛とは何かを描いた三浦文学の最高傑作
この本を読んで一番印象に残ったのは、小林多喜二がタミちゃんに示した愛の気高さだった。
多喜二は極度の貧しさのために身売りに出されたタミちゃんを救い出そうとする中でこんなことを言う。
「母さん、人間は、物でも、動物でもないんだ。もっと貴いものなんだ。それを売っただの買っただのして、よいもんだろうか。金の力で、いやだいやだという女を、男の思いのままにして、いいもんだろうか」(99頁)
「毎晩男に体を買われて、つらい思いをしている女が、小樽だけでも何百人もいる。日本中にはどれほどいることか。女は死ぬほどいやな思いをしているのに、男はそれが楽しみだ。男にとって女は、単なる遊び道具なのか。人間が遊び道具、冗談じゃない。たった一度の人生だよ、母さん。その人生を泣いて暮らす女がいる」(100頁)
そして、やっとのことで大金を工面してタミちゃんを身請けすることに成功するが、多喜二は言う。
「おれはタミちゃんを苦界から救い出したいだけなんだ。ここですぐおれの嫁さんになってくれといえば、おれの金で救い出されたタミちゃんは、断るにも断れん」(108頁)
「男と女は互いに自由でなければならないんだ。自由な身でつき合って、それで結婚する気になったら、結婚すればいい。とにかく今のタミちゃんに結婚を申しこむのは、金で女を買うのと同じことになる。おれは、そうはしたくないんだよ。わかるだろ、母さん」(109頁)
タミちゃんは多喜二一家の所に身を寄せるようになるが、十ヵ月余りで突然いなくなってしまう。多喜二は目を真っ赤に腫らし、何日も駆けずり歩いてタミちゃんを探す。タミちゃんは病院の住込みとなって働いていた。それを告げてから、多喜二は母セキに言う。
「帰ってくれって頼んだけど、わたしは初めて売られずに働くことができた。どんなことがあっても、自分で働き通せる自信が欲しい。今また多喜二さんの所に世話になったら、自活を身につけることができなくなってしまう。タミちゃんはそう言ってな母さん、まるで一週間前のタミちゃんとは、別人みたいに、しっかりしていた。あれを連れ戻したら、おれはタミちゃんの成長を邪魔立てすることになる。タミちゃんは自活したんだ。喜んでやってくれ。あのタミちゃんが、自分で見も知らぬ家を訪ねて、雇ってくださいって、言えるまでになったんだ」(125頁)
心底タミちゃんと一緒になりたいと願いながら、こう言い切れる多喜二の愛こそ、本物の愛であると思う。多喜二が示した愛は、相手を自分の思うように扱うのではなく、相手の成長を心から願う愛。一体どれくらいの男が女にこのような愛を示せるだろうか。
物語の後半では、多喜二の母セキが多喜二の虐殺後、キリスト教を信ずるに至る過程が描かれている。セキは素朴な信仰を持ってイエスを信じ、多喜二の死を乗り越えて心に安らぎを得る。セキは言う。
「わだしは、『イエス涙を流し給う』って言葉、何べんも何べんも、あれから思ってる。イエスさまはみんなのために泣いてくれる。こったらわだしのために泣いてくれる」(224頁)
高校受験の面接時に紹介しました。
この本を読んで、えらく心に残ったので、高校受験の面接の際に、教官にこの本を紹介した位です。
子を想う母の心情が時系列に沿って書かれており、
本の中にガッと引き込まれていく自分を感じました。
心を打たれました
方言により柔らかさを増した、素朴・率直な語り口のおかげで、
陰惨な雰囲気は無く読み進めることができます。
小林多喜二さんの人柄や、思想の背景。
貧しいけれど家族の親和に恵まれたセキさんの、女性としての人生。
人々が助け合う姿。わけもわからず息子を殺された母の思い。
いろんな要素がすべて溶け込んで、終盤の、信仰をもったセキさんの書き物へと帰着していきます。
これほど自然な信仰の表現は初めてでした。
なぜ優しい孝行息子の多喜二が、小説を書いただけで拷問にあって
殺されなければいけなかったのか?
神仏はどうして守ってくれないのか?
という問いは、素朴なだけに、永遠のテーマのように感じます。
作品中の多喜二さんが繰り返すように、
「世の中に貧しい人がいなくなって、みんな明るく楽しく生きられる世の中にしたい」
という気持ちで戦ってきてくれた人達のおかげで、今があるのでしょう。
子どもを売るような貧しさは、今の日本にはあまり無いけれど、
はたして人々を思いやって、楽しく暮らせているだろうか・・と思うと、切ないです。
骨太な母、そして人間としての悲しみを乗り越えた人生
87歳の生涯をおくった、骨太な小林多喜二の母セキ。多喜二や5人の兄弟姉妹を見守り、夫を信じ、懸命に生たセキ。
貧困の中で生まれ育ち、嫁ぎ先でも貧しい暮らしが続いたが、それを当然と思い、ただ6人の子供達を愛し懸命に見守る姿の骨太さが印象的だった。そして、家庭の事情で結婚したものの、その夫に対しても信頼を決して忘れず、大切な伴侶として、共に一所懸命働いた姿が美しく見えた。三浦綾子氏はセキをおおらかな人と解説してるが、その反面、本人の言葉では「不安症なんだよ。それで子供達にも心配かけてしまってる」と語っているのが印象的。多喜二の虐殺以後、セキの心が混沌となるが、キリスト教を通して生き方のヒントを得て「心安らか」になった。多喜二の死の悲しみから立ち上がり、気丈で丈夫な体で87歳の一生を終えた。「人が喜んでくれるのは、何より力になる」というセキの言葉の通り、多喜二死後も懸命に生きた姿が輝かしかった。
解説に、三浦綾子氏はセキの心中に共感してセキを描き、多喜二を虐殺したような暗黒の時代を再びもたらしてはならないという祈りが込められていると書かれていた。まさに、終戦記念の8月に読むに相応しい一冊。
「母という存在はありがたい」と素直に思える。
小林多喜二の母セキが筆者の取材を受けて、その人生を振り返りながら語る、筆者がそれを話し言葉のまま書き取るというスタイルをとっている。「再来年は数えで九十」の年齢のセキが秋田弁で訥々と誠実に語る姿勢には、心打たれる。セキは秋田の貧しい村で生まれ、正式な学校教育を受ける機会もないまま十三歳で嫁いだ。夫、末松は書物を好む人だったが病身で、セキは貧しい家計を支えて6人の子ども(うち一人は少年のころ、病死)を育て上げる。二人の息子、多喜二(次男)、三吾(三男)がそれぞれ小説家、バイオリニストとしての才能が世間に認められるようになったと安心した矢先、多喜二は小説の内容が体制や体制と組む資本家の立場を危うくするという理由で、獄中で拷問を受け死亡する。セキは多喜二を信じ、その生き方を理解しようと一生懸命、努力する(ときには五里霧中の状態だったのではないかと察するが)。セキと多喜二ほどではないが、読者のなかにも子が親の世代からは想像ができない世界で生きているケースは少なくないだろう。セキの姿と自分の母の姿を重ね合わせて、「母という存在はありがたい」と素直に思える。
私は角川書店のハードカバーで読んだのだが、これには三浦綾子氏のあとがきが載っている。この作品は1992年、氏、70歳のときの発表である。キリスト(プロテスタント)信者の立場から作家活動をする氏は「(セキは)ものの考え方も、共産主義者とも、キリスト信者とも、ちがったものがあるかも知れない。私はそれでもいいと思った。」と書いている。私は、この考え方に賛同する。おそらく、「貧しい者、弱い立場にある者に共感を寄せる姿勢」という点では同じ土台に立っていると実感できたのであろう。
子に先立たれる母の苦悩
小樽で小林多喜二の文学碑を見た感動を、今も忘れることはできない。
「冬が近くなるとぼくはそのなつかしい国のことを考えて深い感動に捉られている (中略) 赤い断層を処々に見せている階段のように山にせり上がっている街をぼくはどんなに愛しているか分からない」
このような、自らが住む街を深く愛した先人を持つ小樽市民を、どんなにか羨ましく思ったことか。
多喜二の母から見た多喜二の生涯と著者から見たその母の生涯、キリスト教という信仰を共にする三浦綾子が書いた感動の作品。
「蟹工船」に代表されるプロレタリアート文学の旗手であり、共産主義者、そして最後には特高警察の拷問により齢30で非業の死をとげた、多喜二の人生を母の視点から描いてゆく。
虐げられた労働者の側に立ち、自らの目の前で繰り広げられれた非人道を決して許容できなかった、愚直なまでの多喜二の姿勢は、この母の人間性なくしては決して生まれることはなかった。
小林多喜二本人や、プロレタリアート文学、共産主義といったものに知識がある必要はまったくありません。そんな知識が無くとも十二分に読める作品です。どうか、お子さんを持つお母さんにも先入観なく読んで欲しい。涙がページを濡らすことでしょう。
彼女は晩年に洗礼を受けキリスト教に入信した。自己を犠牲にして小さき者、貧しき者に尽した多喜二をその殉教の精神と重なり、まさに神の子と感じたに違いない。
彼女は共産党に入党しながらも、葬儀はキリスト教式で行うことを強く切望したそうだ。
確かに小林多喜二は「神の子」だったに違いない。
母の語る小林多喜二
この話は小林多喜二について彼の母が息子について語る話です。貧乏だけれども心やさしい家族に囲まれて幸せに暮らしていた多喜二が成長するにつれ貧乏ゆえの不合理に疑問を覚え、小説家として世の中の人々に万人の幸せをと訴えようとしていく姿が描かれています。三浦綾子ならではの人々の葛藤や苦しさがうまく描かれています。小林多喜二の本は読んだ事がなかったのですがぜひ彼の小説を読んでみようという気になる本です。
読みやすい。
小林多喜次のことも、洗礼のことも、何の背景も知らずに読み始めました。
知っていれば知っているで面白いのだろうけど、知らなきゃ知らないでまたそれも面白かったです。
現実は小説より稀なりでしたっけ?読み進めるうちにこう話が開けてくる感じがよかったです。
全文語り口調ですからとにかく読みやすい。方言を交えることで親しみが生まれ、普通の言葉で言われても受け入れられないような「キレイゴト」もすんなり入ってきました。
とてつもなく重い内容であるにもかかわらず、さらりと読めてしまう。
そんなに考え込まずに最後までいけるから、気軽に読んでいいと思います。
ただ後々気になって、何度も本を開いてしまうかもしれない。
この本を読んで小林多喜二のファンに
この本は小林多喜二の母、セキの視点で書かれていてセキの語り口調で
物語が進んでいきます。なので、より深く話の中に引き込まれあっとい
う間に読み終えました。母の視点で書かれているので、多喜二のいいと
ころばかりが書かれているのかもしれませんが、これを読んで、小林多
喜二の見方が変わりました。
