- [著]尾崎 豊
- カテゴリ:
- 文庫 (135頁)
- ISBN:
- 4041867029
- 発売元:
- 角川書店 (1993/04)
- 価格:
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読むたびに伝わる
とても抽象的な言葉で、自分の内面を表現している。読んで浮かぶイメージはどれも寂しくて、何度も読むたびに痛いほどの孤独が伝わってくる。そんな中でも小さな希望をみつけ、それに向かって一緒に歩いてくれる人、それか向うで待っていてくれる人がいることを望む。シンガーソングライターであり作家であった彼は、秀でた詩人でもあった。そして同時に優れたフォトグラファーでもあった。
白紙の散乱
尾崎豊を、ただ学校にグレた不良だと単純に認識している人が多数であるように見受けられるので(世間的に)、僕は違うといいたい。
尾崎豊を理解してない人は、彼の“本当の言葉”をキレイゴト、もしくは、単純に良い言葉ととりがちだ。
バイクで夜にいわば逃亡するのはただグレて不良なのではなく、とにかく漆黒の闇に消え去りたかった。暗さが好きであり(あるいは嫌いかもしれないが)、“自然”の風が心地よかった。だから自然に溶け込みたいともいえる。と僕は思う。
大げさにいえば、この欺瞞的な社会がイヤであり、その欺瞞に気付かない鈍感で安住する人たちも嫌いであり、しかもそれを嫌う自分も嫌いなのだ。(三島由紀夫が、民衆ののほほんとした日常性を嫌悪するに近く)
そしてその疑問を投げ掛けると、“よく考えもしないで”邪険に扱う、自分は賢いと思い込んでいる高慢で冷ややかな態度の愚かな大人にはまさに嫌悪であって、そういう意味からの大人への反抗である。と思う。
思索もしないで、大人はどうとかなんとか言う、安易な考えをするなんとなく流行に乗っちゃうような人がほとんどなのではあるまいか。
この詩集は安易なものではない、ということです。
また、この本にのせられている写真についてだが、作家の安部公房を思い出す。
孤独のなかの優しさ
私の持っている多くの詩集のなかでも、特別な一冊です。
もし「(ミュージシャンとしての)尾崎豊に興味がないから」という理由でこの本を手に取らない人がいるなら、実にもったいないです。また、芸能人が気まぐれで書いたような内容でも決してありません。
研ぎ澄まされたナイフのような感受性で、彼は人を、街を、そして自分自身を見つめ続けます。そのあまりに真摯な眼差しに、こんな風に生きるのは辛いだろうな、と読んでいてふと母親のような気持ちになることもあります。けれどきっと、彼が彼であるためにはそうあらなければならなかったのでしょう。
この詩集の核となっているのは、逃れようのない「孤独」です。読んでいて心臓を締め付けられるような詩が殆どです。けれど一方で、彼が作った歌と同じように、人間に対する無償ともいえる優しさもまた、にじみ出ている詩集です。
誰にでも理解しやすい詩ではありません。けれど殺伐とした毎日に心がささくれだった時や、どうしようもない孤独感を感じる時にこの本を開くと、嘘のない彼の言葉に、私は不思議な安らぎをもらうことができるのです。
馬鹿馬鹿しきは 世間の夜の笑い声に似て
すがすがしきは 孤独の笑顔だけ
(本文より)
ファンの方はもちろんのこと、そうでない方にも、ぜひ。
”感じる”本
胸がただただ締め付けられます。
そして、写真から文章の隅々まで、美しい…
「卒業」などのイメージを持った人々にぜひおすすめしたい。
繊細で、感受性ビンビンで、言葉を巧みに操る尾崎がここにはいる。
り、さんよくわかりますね。この詩集は日本の近代以降最高峰のものです。
り、さんがここから帰ってこれるだろうか、といわれているが、ここからは抜け出せない、とも思う。壮絶な深さを持った写真詩集だ。美しきものは少数者のものなり。この詩集を真に理解できる人は己の魂に誇りを持っていいだろう。尾崎豊の曲や白紙の散乱を乗り越える道はなにか?それは愛を捨て、格調高く残酷に生きることである。
尾崎豊へのセレナーデ
自己の内面世界に傾倒してゆく、ひとりの若きシンガーソングライターの精神世界を捉えた文学的芸術性を醸し出した尾崎豊の芸術作品、天才の偉大さは晩年にこそ真価を評価される、その意味でも尾崎豊の内面世界を掘り下げ自己の精神世界と対峙し向き合った傑作です
すごい
とにかく言葉が借り物じゃないとこがすごい。尾崎豊は素晴らしい歌い手で、作曲家で、作詞家だったとおもう。なんだかんだいって、彼は言葉の人だったのでないかな。メタファーの異化効果も抜群だと思う。
尾崎豊『白紙の散乱』(角川文庫)
神経がかたまってしまう本だ。尾崎豊が自分で撮った写真と、それらのひとつひとつに対応させた散文詩からなっている。私たちは、自分が集団の一部であるように錯覚したり自分を欺いたりしながら生きているのかもしれない。恋愛のときも、「君とぼくはひとつだ」なんて言うのかもしれない。だけども嘘っぱちだ。尾崎豊は、そうした希望と真実の混乱のなかから、偽善でも偽悪でもないアルファとオメガを追求して、結局そんなものもない、あるのは孤独だけだと言っているように思える。それでも酔うことはできたし、「踊る光」のような恋愛詩もあるが、最後は、つらくても醒めるしかなかった。
空の骨に似た寂しさよ 一人きりだ
言葉の分からぬが故に 自分すらも見つからない
そっと手を伸ばしてみるが 触れるものはみな過ぎ去ってゆく
己を捨てるが如く見つめる空のあちこちに 置き去りにされた 空の骨
