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泉鏡花賞受賞作『嗤う伊右衛門』にも登場する小股潜りの又市が、江戸の世を舞台に悪党を退治する時代小説の第1弾。デビュー作『姑獲鳥の夏』に始まる「憑き物落とし」中禅寺秋彦が活躍する作品群とは、また味わいの異なる妖怪シリーズだ。
寺への帰路で豪雨に見まわれ、やむなく途中のあばら屋に逃げ込んだ1人の僧。小屋には白装束の御行、人形遣いの女、そして初老の商人と若い男が居合せていた。雨宿りの余興に始まる「百物語」。一見無関係な怪談話は、意外な符号を伴って僧の心の内で形を成す。小屋の外では「しょり、しょり」と何者かが小豆を磨く音が。やがて僧は、恐るべき怪異と出会う…。
立ち現れるのは、江戸時代の絵師竹原春泉の『絵本百物語』に描かれる小豆洗い、白蔵主(はくぞうす)、舞首、芝右衛門狸、塩の長司、柳女、帷子辻(かたびらがつじ)の7妖怪。又市をはじめとする小悪党一味、山猫廻しのおぎん、事触れの治平らは巧妙な罠を十重二重(とえはたえ)に張り巡らせ、どうにも立ちゆかない事態を「妖怪」のしわざとして収める。著者自身の言葉を借りれば、本作は、難事件を「妖怪」と名づけて払い落とす中禅寺のシリーズの「裏返し」なのだそうだ。
又市は「悪党だから死んでもいいなンていううざってェ小理屈も俺達にゃァ関係ねェ」とうそぶく。そして「悲しいねぇ」と言葉を継ぐ。登場する妖怪たちは、人間の心の闇や業(ごう)が形を成した末の「悲しい姿」だ。そもそも春泉の『絵本百物語』は人間の醜い心を風刺したものでもある。その業を見据える又市の姿が、たんなる勧善懲悪の時代劇ではない深みを物語に与えている。(中島正敏)
京極版『必殺』の開幕
[No.38] posted by あかね
◆「小豆洗い」
越後の難所・枝折峠。
旅の僧・円海は、雨宿りの小屋で奇妙な一行と出会う。
その中のおぎんという女が百物語として語った、
山猫に化かされる哀れな花嫁の話に、
なぜか平静ではいられない円海は…。
〈京極堂〉シリーズが、謎を妖怪と名付けて祓い落とす、という趣向
であるのに対し、本シリーズは、その完全な裏返しとなっています。
真っ当な手段では対抗できない世の悪に対し、妖怪という神秘を
演出することで裁きを与え「怪異(≒完全犯罪)」を創造していきます。
◆「白蔵主」
甲斐の国、夢山。
狐釣りの弥作は、普賢和尚という僧に殺生の罪を
戒められ、猟師を辞めたことをおぎんに告白する。
しかし本当は、人には言えない、
忌まわしい事情を抱えていた…。
狐の妖かし「白蔵主」に重ねられていく人々の思惑と欲望―。
「弥勒三千」と嘯く又市が、結末で思わず漏らす倫理観にも注目です。
人の心に妖しぞ棲む
[No.37] posted by mitui
人の心が生み出すこの世の嫉妬・妬み・嫉み・欲望…それらを妖しになぞらえて、仕置き人よろしく罪人を裁き・恨みを晴す者たち。
その仕掛けの巧みさよりも、なぞらえられる妖怪奇憚に惹かれる自分がいる。
人の心に妖しぞ棲む。
それは京極堂の妖怪シリーズにも通じる視点でもある。
京極堂の活躍するシリーズに出会った時、その薀蓄の膨大さ怪奇と現実との境界線の朧な世界に惹かれたものだが、百物語シリーズを読んで初めて自分の読みたかったのはコレなのだと感じた。
面白い!だが……。
100.0% (2 / 2)
[No.36] posted by monori
文庫といってもかなりの厚さで、その上それぞれ話によって雰囲気の明るさ、暗さがはっきりと分かれているため、暗い話が苦手な方は途中まで読んでもういいや、と諦めてしまうかもしれない。私はそうだった。
だが後半の話になるに連れて徐々に面白さが増していく。初めのほうの話ではほとんど「役」としてしか描かれなかった登場人物たちの背景やキャラクターにどんどん深みが出てくる。次も読みたい、と思われること間違いなしだ。
お勧めの話は「芝右衛門狸」「塩の長司」「柳女」「帷子辻」。
御行の又市再登場
72.7% (8 / 11)
[No.35] posted by voodootalk
1999年8月リリース。『嗤う伊右衛門』に登場した御行の又市を中心に据えた『怪』シリーズ。御行の又市以外にも傀儡師、山猫廻しのおぎんやら、事触れの治平、四玉の徳次郎、御燈の小右衛門などなかなか濃い面子を揃えていてひきつけられる。巷説百物語→続巷説百物語→後巷説百物語と続き前巷説百物語(さきのこうせつひゃくものがたり)を最近リリース。出てくる順番が不規則でまるでスターウォーズみたいでもある。連載ものに1つの書き下ろしを加えるというスタイルもなかなかだ。
語りに実に味がある。こういう文体は京極の真骨頂だ。この『るび』が付いたり付かなかったりするところが微妙にイイ。書き出しのフレーズを整えてくるやり方も面白い。だからどうしても面白くなってしまう。変な言い回しだが昔の文人達は和綴古文を読んでこんな風に楽しかったのかな、ということを疑似体験しているような気分になってくる。
しょき。
さ。
ささ。
さささ。
さ。
旨いよなぁ。ホント。本作では特に最後の『帷子辻』が響いた。傑作である。
京極堂は出てきません
100.0% (1 / 1)
[No.34] posted by にあぁ
京極氏は一つ一つの作品を短編としても読ませるし、長編の中の一部としての役割をもたせたりもする。その技法が秀逸。このシリーズもそうだ。小編がそれぞれに面白くて引き込まれるのだが、次作の「続巷説百物語」に向かってすべて伏線となって流れていく。
読者は普通には狂言回しの役割を与えられた百介に感情移入せざるを得ないのだが、現在を生きる私達の道徳観に基づいた「善」「悪」は用を成さない。百介もどうやら少し逸脱したい常識人なため、後ろ暗い世界にあこがれ、こちら側に安寧とした自分の居場所を持ちつつ、あちら側に首を突っ込もうとする。本作ではまだ、かかわりが始まって、浸かり始めて、それでもまだ本質的な「覚悟」を求められるわけでもなく、読者もかなりはらはらしながらも安心して事件にかかわれる。
次作を読むなら順番は間違えない方が良い。
妖怪紀行
0.0% (0 / 4)
[No.33] posted by DeepBlue213
江戸の町を中心に、妖怪話や伝説を利用して悪人を燻りだしていく仕事人の話です。
語り手になるのは江戸の大店の若旦那。
道楽者ですでに隠居状態で、各地の伝説を収集している変わり者です。
それが裏家業ではあるけれど、悪人を時にはおおがかりな仕掛けで追い詰めていく御行の又市を中心にしたグループと接触して小役をこなすようになってしまう話だった。
あえて妖怪にこだわるのは趣味なのでしょうが、まあそれぞれ短編でもあるし楽しめた。
特に面白かったのは狸の話でしたね。
大法螺を罷り通るようにするまでの仕掛けが見所です。
江戸という時代設定にしたのなら、もう少し江戸らしさを出せばいいのではないかとも思うけれどね。
又市とおぎんの口調と性格が江戸っ子っていうくらいでした。
特に時代劇が好きな人なら映像も浮かびやすくて楽しめるのではないでしょうか。
巧妙
0.0% (0 / 2)
[No.32] posted by mokomiti
最初の「小豆洗い」からグイグイ引き込まれました。
巧妙な作戦によって相手を嵌めていくという筋書きが、私の心にはまりました。
その作戦の中心となるのは、心の中に潜む「死者に対する恐怖心」であり、「良心の呵責」です。
大昔のテレビドラマ「スパイ大作戦」に似たような話があったのを思い出しました。(w
妖しの世界へと誘う魅力溢れる傑作
66.7% (2 / 3)
[No.31] posted by 紫陽花
「百物語」シリーズの第1作。3作目の「後巷説百物語」は直木賞を受賞した。シリーズの一応の主人公(観察者)は山岡百介という戯作者志望の青年。百介は怪異談を百物語の形にしてまとめようと全国を行脚している。実際、江戸時代に「絵本百物語」という絵本が存在し、桃山人という人が文章を書いている。百介はこの桃山人を模したものか。
収録作品は次の通り。「小豆洗い」、「白蔵主」、「舞首」、「芝右衛門狸」、「塩の長司」、「柳女」、「帷子辻」。
百介は「小豆洗い」で初めてシリーズの仲間、小股潜りの又吉、山猫廻しのおぎん、事触れの治平と出会う(出会った当初、彼らは扮装している)。篠降る雨の中、川の近くの小屋に閉じ込められたのは4人と、怪しげな商人、顔色の悪い僧等。その晩、百物語が語られ、その怪異談を聞いた僧は小屋を飛び出し、足を滑らせ川の中に身を落とし絶命する。川のそばでは、小豆を洗うような音が...。全ては治平達の罠だった。百物語で語られた怪異談は僧の犯した罪を巧みにアレンジしたもので、それにより僧の罪を暴く計画だったのだ。治平達は金で事件解決を請け負う「必殺仕事人」のような存在だった。このメンバーの個性あるキャラクターもシリーズの魅力の一つ。
上の僧は、自分の犯した罪が百物語で語られることによって狂おしくも妖しい恐怖を感じるのだが、妖怪談が実は人間の心の襞から産まれることを強く示唆する。読者も登場人物に感情移入すると、現実と妖怪談の区別がつかなくなり、妖しの世界へ引きずり込まれる。京極氏自身の「本シリーズは京極堂の憑き物落しの逆を狙ったもの」という言葉が明快な説明だ。このような作品が7つもあるのだから妖しの世界を好む人には堪らない。
桃山人が「百物語」を書いたように、本シリーズも100の物語まで続くのであろうか。
人の業
10.0% (1 / 10)
[No.30] posted by ジャッキー・アイドル
「嗤う伊右衛門」で登場した又市が主役のこの作品。前作も又市が裏の主役と言っても過言ではないので、又一御行シリーズ、第2弾といった作品集。「小豆洗い」「白蔵主」は仕掛けが現実の話を巧みに摩り替えた幾編もの創作で犯人を絡め取っていく様は巧みで素晴らしい出来。続く「舞首」「芝右衛門狸」「塩の長司」「柳女」は何か又一一味が繰りなす、完全懲悪のよくある時代劇風になり、何か仕掛けもやり過ぎな気もする。単純な人情時代劇として楽しむならこれらの方が読みやすく親しみやすいのだが、個人的には誰かさんの決まり文句「いい仕事してるねえ」というだけの職業作家仕事にしか見えない。暇つぶしにはなる。しかし最後の「帷子辻」がこの中では異質な良作。京極シリーズを少し思い出す。作者の本気が垣間見られる。「後行奉為」と決まり文句で決める又市。まるで京極堂の憑き物落としを見ているかの様に姿が重なるが京極堂シリーズは「罪を憎んで人を憎まず」という社会必要悪的な見方だが、こちらの作品では悪しき行いをした犯人そのものを裁く。集団意識、全体主義が明確な近代を舞台にした京極シリーズと江戸時代が舞台の本作との違いだが、江戸時代でも社会という物があり集団意識も今の世とは違うかも知れないが存在する。妄執の形を当時の社会、世相を正確に把握するのは不可能であるから、京極シリーズとは違い、人間個人の妄執だけを裁く作品になっている。そういった点ではこのシリーズはやはり作者のやっつけ仕事、お遊び的に見え真剣さに欠ける作品ととられても仕方がないかもしれない。まあ深く考えなければ娯楽作品として巧みだし面白いので楽しめます。
どのへんが面白いんだろう?
10.3% (3 / 29)
[No.29] posted by rise
うぶめの夏が大変面白かったので、著者の他の作品も漁ってみようと
分厚い続編はひとまず脇に置いて、先にこちらを購入して読んでみました。
ですが、好評のレビューとは裏腹にいまいち面白さのツボが掴めず、
2話目の途中で投げ出してしまいました。
特に続きの気になる謎も提示されないし、解いたら解いたで
「だからなんなの?」という程度の真相とも言えない真相が明かされるのみ。
どうでもいい話を小手先で複雑にしているだけのような気がします。
感情移入できるキャラクターも一人もおらず、正直なぜこんなに評価が高いのか僕にはわかりませんでした。素直に京極堂シリーズの続編を読むことにします。☆一つ。