- [著]アクセル ハッケ
- [原著]Axel Hacke
- [原著]Michael Sova
- [翻訳]那須田 淳
- [翻訳]木本 栄
- カテゴリ:
- 単行本 (108頁)
- ISBN:
- 4062083736
- 発売元:
- 講談社 (1996/10)
- 価格:
- ¥ 1,365 (税込)
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ゾーヴァの挿絵がすばらしい。文章も何度も読み返していろいろ考えさせられる。
ゾーヴァの挿絵が見てみたくて入手。
文章のほうもレビューがすばらしく良かったので、期待して読んだ。
最初に読んだときは、ちょっと期待はずれ?と思ったのだが、何度も読み返すうちにその変な味わいに惹かれ、いろいろな場所に感情移入ができるようになった。
一回読み終わるのに、一時間もかからないので。何度も読み返すことをお薦めします。
何度も読み返すのに耐えうる、良い本でした。
成長って何?
成長っていったいなんでしょうか。
大人になるって、どういう事なのでしょうか。
そんな事を考えさせられます。
この本を買う時に、帯に書いていました。
「いま、大人が読むべき絵本」
でも私は、ぜひ大人になる1つ手前の方に読んでほしい。
変なプライドや価値観で身動きが取れなくなる前に。
人類共通の夢かもしれない
小さくて太っていて、ちょっと威張った王様と「僕」とのちょっとした友だちづきあいを通して、「僕」はいろいろなことを考えさせられる、という短いお話。
おとな向けのおとぎ話だから、もちろん寓意に満ちた物語。
特に印象に残ったのは、命のはじまりについて王様が語る場面だ。王様は、どんどん記憶がなくなるので、自分がどのように誕生したのか忘れてしまった。王様と女王様がなにかを一緒にするはずなのだが、いったい何だったか思い出せない。
「じつは、思い出したのだ」
王様はうれしそうに「僕」に教えてくれる。
王様の国では、まず王様と女王様がしっかりと抱き合う。それから二人とも目をつぶり、そして……なんとベランダから飛び降りるのだ。二人がちゃんとしっかり抱き合っていたら地面がトランポリンのように弾み、二人は天まで飛び上がる。そのとき二人が取ってきた星をベッドのなかに入れておくと、人間の子どもが生まれる。
どうして命がうまれるのか、という疑問は、人類共通の疑問に違いない。桃太郎は桃から生まれ、かぐや姫は竹から生まれたが、日本には定着した譬え話は存在しないようだ。
命のはじまりといい、大人になればなるほど幼くなる人物といい、どこかで読んだ気がする物語だ。ちょっと記憶をたどってみたところ……、あった! そうだ、芥川龍之介の『河童』だ。
『河童』の中にはやっと12か13歳になったばかりに見える100歳過ぎのカッパが出てきた。
もうひとつ、カッパのお産では、父親が「お前はこの世界へ生まれてくるかどうか、よく考えた上で返事をしろ。」と大きな声で尋ねる場面があった。
生まれたときから何でも自分で決められる存在でいたい、いや、生まれる前から自分の運命を自分で決めていたい。――それが、人類共通の夢のひとつなのかもしれない。
大切なモノを思い出させる
我侭で尊大な王様だけど、なんだか憎めない。
そんな彼の言葉には、いつの間にか失くしてしまった大切なモノを思い出させる何かがあります。
忙しい日々をおくる大人にこそ読んで欲しい一冊です。
不思議で、シュールなストーリーが魅力的。
挿絵がとてもキレイで本自体も薄いので、さらっと気分転換に読める本です。
目の前にひろがる世界が、この本を読むことで輝きだす
生まれたときには何でも知ってて、体つきも大人の王様。それが成長してゆくごとに、体がだんだん「ちいさく」なり、知っていたことも「忘れて」ゆく――我々人間とはまったく逆の人生を辿るこの王様は、何故だかいつも誇らしく、無邪気で楽しそうな毎日を過ごしてる。いったいどうして……?その答えがこの物語。いかにして生きるか?ということと、いかにして働くか?ということは、それぞれ別個の問題であると私は考えるが、少なくとも前者の問いに対して、どんな自己啓発書よりも明快で、希望に満ちた回答を出してくれたのが本書であった。ゾーヴァの、可愛いというよりはシュールな絵も魅力的。大人にも挑戦しやすい絵本にしている。
小さな頃の偉大なる可能性と想像力
突然ふらりと現れた王様。
もう人差し指くらいの大きさしかない。
わがままだし気まぐれだ。
けれど、僕らが見えなくなってしまったもの、考えることをしなくなった事を、
見せてくれたり気付かせてくれたりする。
沢山の限りない可能性を持っているけど、まだ力も弱く小さく産まれてくる僕らと、
気が付いたときにはすでに大きくて、どんなことも知っているし、いろんな事が出来る力も兼ね備えている王様。
王様は誰にでもいる。
僕らはその可能性をどんどん現実化しながら大きく大人になって行くけど、
それは同時に可能性や夢や想像力をも小さくしていく事になってはいないだろうか?
誰もがみんな自分だけの王様をもっているんだけど、
僕の王様は今どのくらいの大きさだろうか。
想像する事
大人になれば想像する事を忘れてしまう。毎日社会の中で忙しなく生きることが当たり前となる。私はこの本を生きることに疲れてしまった人や後悔や悲しみに捕らわれている人に読んで欲しいと思う。「王様」の言葉にはっとするから、そしてそのうちそれが鍵となり暖かい笑いがこみ上げてくるから。
例えばこの本の中には竜が出てくる、その竜は会社に行く人を止めている竜だ。会社がイヤだな〜と思うと頭が痛くなったり足が動かなくなったりする、経験ある人いるんじゃないかな?それは竜の仕業なんだそうだ。でも私達の目には見えない。「王様」の目にはちゃんとそれが見える。なんだかおかしいでしょ?
大人になること子どもでいること生まれてくること死んでいくこと現実と非現実をユーモアな目で見ているこの本。忘れてしまいそうな繊細で懐かしい感覚がよみがえって来る一冊です。
ミヒャエルゾーヴァの挿絵もこの物語にぴったりマッチしてて絵・文共に☆5つだと思います。
小さい頃は、「王様」だった
小さい頃は、何にでもなれるような気がした。
命は永遠にあるような気がしていた。
「王様」は私だ。小さい頃の私。
読みながら、なぜかたまらなくなる。懐かしい。
私は「王様」を失った。
世界の隅っこで生きていることを、実感する。
それは悲しさもあるが、幸福でもある。
わたしは昔「王様」だったんだなぁ、と気づいたからだ。
自立すること
ふつう、小人っていうのはおとぎ話の中では人間を手助けする。毒りんごを食べちゃった女の子を介抱したり、おじいちゃんが寝てる間に靴を作ったりする。ちょっと助け方は違うけど、そういえば『チャーリーとチョコレート工場』の小人たちもウォンカさんをがんばって助けていた。
ところが、この王様は、ちっこいのに(親指くらいの大きさしかない)威張っている。ちっとも「僕」を手助けしようとはしない。むしろ、僕の助けがないと街にも出られないし、コーヒーにも好物のグミにもありつけない。ちょっと滑稽である。
この王様は、昔は大きかった。生まれたときが一番背が大きくて、歳をとるとだんだん小さくなって見えなくなってしまう。生まれたときが一番物知りで、歳をとっていくとだんだん物を忘れていく。王様の国では、そうなっているそうだ。変なの。反対じゃん。ぼくらはどうか?生まれてからどんどん大きくなって、だんだん賢く、たくましくなっていく。けど、ほんとにそうか?実際には、二十歳を過ぎると背も縮んでいく。物を知ったつもりになっていても、その知識が、生き方を規制する枠になってしまうことだってたくさんある(というかそんなことばかりかもしれない)。世の中を生きていくのに役に立つ柔軟性も失われていく。その意味で、実はこの王様とぼくたちは同じなのかもしれない。六十、七十くらいになると、偉そうにしてても実は周囲の助けがないと何もできなくなっているのかもしれない。
たぶん昔読んでたら「僕」の側で読むのだと思うけど、ちょっと「王様」サイドで読んでしまいました。大人が読んでも楽しめる本です。
忘れつつある豊かさ
ゾーヴァの絵が好きで購読しました。昔、佐野元春は「つまらない大人にはなりたくない」と歌いましたが、この本は、大人になるとどんどん忘れていくイマジネーションやしたたかな感性を思い出させてくれます。世の中には単に威張りくさっている大人がうようよいます。ここに登場する王様も威張っていますが、それは確かな信念に支えられた、生きていくことに対する矜持によるもので示唆に富んでいます。相手役の少年がごく普通の存在であるがために二人が繰り広げる会話は見事なコントラストを成し、ゾーヴァの絵とマッチして興味が尽きません。宝物のような本だと思います。
