- [著]ジャン=ドミニック ボービー
- [翻訳]河野 万里子
- カテゴリ:
- 単行本 (166頁)
- ISBN:
- 4062088673
- 発売元:
- 講談社 (1998/03/05)
- 価格:
- ¥ 1,680 (税込)
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静かで個人的な内容なのだが、何故かあおられる。やる気になる不思議な本だった。
映画を見逃していたのだが、ある本を読んだら、本のほうも素晴らしいと薦めているので、読んでみた。
大変静かな読み口。
そして内容も非常に濃くて、これがまばたきだけしかできない男性が書いたものとはとても思えない。
そういった書き方への驚きを超えた、内容自体の味わい深さが、この本を残したことの意味を一層際立たせる。
読み終わったら、何故か頑張る気というか、負けないぜという気になった。
静かなのに、あおられる。不思議な本だった。
もし心だけになってしまったら…
「もし人が、すべてを失い、〈心〉だけの存在になったとしたら、世界は、そして人生は、どのように見えるのだろうか」
とは本書の訳者のことばだ。その問いに偶然答えることになったのが本書だ。
映画の中にもそれを象徴する場面がある。ジャンドクがまさに昏睡から目覚めた直後のワンシーンだ。おぼろげな意識からやがて覚めてくるジャンドクだが、医師の質問に答えている「はず」なのに、なぜか通じていない。なかなか自分の置かれている状況が飲み込めず、医師の説明によってしだいに明らかにされていく病状から、ジャンドクは落ち着きを失い次第に呼吸が荒くなる。「誰にも通じない」そんな患者の絶望感、孤立感が伝わってくるようだ。
ジャンドクは確かにことばを失ってしまった。しかし、ジャンドクらしい感性や記憶、想像力までは失われなかった。そうした内なる想いを引き出すのに成功したのが瞬きコミュニケーションだ。以下は彼のことばだ。
「楽しみのためには、匂いや味についての、鮮烈な記憶をよみがえらせてみる。それは決して汲み尽くしてしまうことのない、人間の感覚の貯水池だ。残り物をうまく料理するコツがあるように、僕は今、思い出をじっくり煮込むコツに、磨きをかけている」
「生きている限り、呼吸をする必要があるのと同じように、僕は、感動し、愛し、感嘆したい」
こうした代替的なコミュニケーションを可能にした言語療法士を、彼は<守護天使>と呼び、こう言っている。
「言語療法は、もっと広く知られるべきものだと思う。舌というものが、ことばの持つあらゆる音を出すために、いかにさまざまな運動を無意識のうちに行っているか、まったく驚かされるばかりだ」
普段私たちは意識していないが、一言を発することさえ奇跡なのだということを、本書によって改めて思い知らされた。一瞬一瞬の奇跡に感謝しつつ、ことばをうまく使えない人を理解したい。
魂が刻むひとつひとつの言葉の重さに絶句。生きるとは何なのか?
43才で脳幹出血を発症し、心は全く正常のまま、左目以外のすべてを動かすことができなくなった、雑誌ELLEの編集長によるエッセイ集を邦訳した書。エッセイは病気発症後、左眼瞼の動きによってアルファベットを指定して綴った言葉による。
まず、数時間あれば誰もが読破可能な量のエッセイであるが、12月から翌年の8月までの間に、途方もない苦痛を振り払わなければ不可能な作業によって創られた作品であることに驚かされる。著者の苦痛は、潜水服に閉じこめられて海に沈められたかのようだと表現しているようだと述べており、これが表題となっている。たとえ閉じこめられても、蝶のように自由に舞うことを夢見て、希望を捨てずに最期まで生き抜いた人間の記録である。特に、著者は富の象徴であるファッション界の頂点から、まばたき以外なにもできない境遇に陥ってしまったにもかかわらず、精神的に異常をきたさないどころか、ユーモアあふれる、かつ詩のような美しい文章を遺した。エッセイには日々の不満や過去の出来事が述べられているが、家族への想いや未来への希望が彼を支えたことが伝わってくる。また、彼のメッセージを通訳した言語治療士や古い同僚によって与えられた生きる希望についても見逃せない。本書から、周囲の献身的な協力と、人の心の強さによって、生きる意味とは、希望とは何なのかという鮮烈なメッセージが読み取れる。ひとつひとつの言葉が刻まれる重さは、書を読んでいる間中途切れることはない。
著者は発病から1年4ヶ月、本書の出版された数日後に死亡した。本書をもとにして制作された映画も観たが、それゆえにこのエッセイの重みが響いた。星5つの評価は映画を観た上でのもの。
センチすぎて感情移入出来ない・・
この本の事を普通に生活している人は様々な媒体で知っていると思うが
私の予備知識は全身麻痺の為、瞬きで意思伝達をする人が書いた本でした。
それを踏まえて読むから、あぁ、空想の中でこういう事を巡らせて居るんだな。
不自由な体になっても何とか希望を紡いで居るんだな。と言う事が解るのだが、
いきなり予備知識も無い状態で知人からこの本読んでみろ。と渡されて
先入観を持たずに読んだとすると、この作者は頭がおかしいのか?
体が動かないのは解るが妄想癖が過ぎるんじゃないのか?と言う評価になると思う。
要するに話が突飛すぎて理解に苦しむ場面が多い。
普通の人が口にすると、お前は一体何の話をして居るんだ?となるであろう
突飛な表現を許容出来るのはこの作者が不自由な身の上だからと言う前提が有るから。
しかしホーキング博士の本を読めば解るが身体に障害を持ちながらも
世間を唸らせる提唱をする人は居る。
それを考えるとこの作者はセンチメンタル過ぎて私には感情移入出来なかった。
この人は不自由な身の上だから楽しい空想を語って居るんだな。と言う事で
作者が自分に対して哀れみを寄せて欲しいと願って書いたのなら大多数の人は作者の
意図通りに評価を下したのだろうし作者の願望は達成されたのだろう。
この作者も、そう言う事を書かずにこの難病が如何に苦しくて大変な心労を
伴う物か。と言う事を切々と書いた方が読んでる方にはズシリと来る物が出来たと思う。
体が動かないからせめて心の中で好きな処に飛んでいきたい。と言うのが
偽りない希望であるのは解るが、貧乏だから恐らく無理だが叶うのならば
一度で良いから宇宙に行きたい。と言っているのとあまり変わらない。
普通の人がそれを聞いて誰が感動するか?此奴バカじゃないのか?とか
あぁ、そうか。何時か行けると良いね。と言われるのがオチだ。
原作だけではなく映画・CM等のメディアミックスの御陰で
傑作になったと言えなくもない作品だ。
不幸極まりない身上の方を見て、自分は五体満足で良かった・普通は幸せだ。
と思うのも違う気がする。
二、三度読み返すつもりだがもっとリアリティが欲しかった。
胸が痛くなります
文章は美しく流れ、ウイットに富んでおり、万物への溢れる愛情を感じます。
泣いた、絶望した、という素直な文章が至る所に
ありますが、それを書くという事に至るまでに、この方が
どれだけの苦しみの中にいたんだろうかと思いを馳せると
胸がしめつけられます。
人生の殆どの事をあきらめ、生きる。生きてる意味って・・・?
考え方で、人間はここまで強くなれるんだ、と知りました。
あと、愛情って、偉大だなぁ、と。
与えられるということと、与えるということ。どちらも。
「どんな時にも人生には意味がある」(フランクル、「夜と霧」の著者)を想起
フランクルによれば、人間が実現できる価値は創造価値・体験価値・態度価値の3つです。最初の2つは分かりやすいですが、さて、最後の"態度価値"とは何でしょうか。これは人間が運命を受け止める態度によって実現される価値のことです。たとえ創造価値・体験価値を奪われたとしても、その運命を受け止める態度を決める自由は人間には残されている訳で、ここで如何に人間としての尊厳を保つことが出来るかによって態度価値が決まります。フランクル先生いわく「ここで必要なのは、生きる意味についての問いを百八十度方向転換することだ。わたしたちが生きることから何を期待するかではなく、むしろひたすら、生きることがわたしたちから何を期待しているかが問題なのだ、ということを学び、絶望している人間に伝えねばならない。」そして「人生の意味を見出している人間は苦しみにも耐えることができる。」
本書の著者は、まさにこのフランクル流「態度価値」を実践しようとしています。左目しか自由のきかない体になっても、その左目の瞬きによる著述で「創造価値」を取り戻しています。全28編のエッセイ(+プロローグ)で彼の人生(主に"潜水服"生活)や空想・思い出をシャンソンのように綴っています。フランス流ユーモアのセンスも忘れていません。そして体の自由を失った日の記憶にも対峙しています。この著者の"人生に立ち向かう勇気ある姿"には心打たれます。ぜひ映画も見てみたいと思いました。
すばらしい生の賛歌
最も人生の中で充実していて、愛しているものに囲まれていて、そして社会的にも
成功していた彼はいつもの生活の中で、ある日突然の身体の不幸におそわれる。
次に目覚めたときには自分が「潜水服」の中に閉じ込められていた。
自分の身体や運命を彼はきっと呪ったことだと思います。
最初はいずれ回復するだろうと信じ、あるときそれは絶対にやってこないことだと
気付かされます。
でも、この本には恨めしさや生きることの絶望は全く出てきません。
彼は、閉じ込められた潜水服の中でも、人生を愛し、家族を愛し、身体が全く
動かなくなった今でも大切な思い出や五感で感じていた記憶でいろいろな旅を
していきます。
また、病院の中の出来事や家族や友人を愛を込めて表現しています。
彼が潜水服から抜け出る術は蝶と例えられているその言葉にありました。
人生を愛すること。
愛している人たちを愛して大切にしていくこと。
どんなことになっても生きる喜びを感じること。
身体が動かないことで、彼はすばらしい精神世界に生きていくことを
手にいれました。
すばらしい。
あらためて生きる喜びについて感じさせてもらえる。そんな感じです。
閉じ込め
71歳という年齢としては、極めて元気だった親父が、脳梗塞で突然倒れた。一緒に八ヶ岳に登った、わずか数ヶ月後のことでした。
「脳幹」の「橋(きょう)」の神経細胞が、脳梗塞により死んだ。生命の危機を脱した親父の状態が、この本の著者(?)と同じ。
Locked in syndrome。「閉じ込め症候群」だそうです。
知覚と思考は正常なのに、体は全く動きません。
医師の説明で、理屈では理解していた状況を、この本がリアルに理解させてくれました。
眼球と瞼しか動かせない人が、この本を書いたプロセスが、心の深い所にズシンと来ます。親父のために、同じ事をしてあげなければ、と思う。
美しい言の葉
蝶は彼の心、想像力。彼のベッドの上の新しい人生、新しい一日、過去、思索、退屈な病院を美しく物語る言葉の数々。潜水服に例えられた、重く硬く痛く冷たい体の状態とは対照的な、軽やかでエレガントな言の葉。それを生み出す力強さ。それらがページをめくる毎に舞い上がります。
