- [著]アントニオ・R. ダマシオ
- [原著]Antonio R. Damasio
- [翻訳]田中 三彦
- カテゴリ:
- 単行本 (402頁)
- ISBN:
- 406210041X
- 発売元:
- 講談社 (2000/01)
- 定価:
¥ 2,940 (税込)- 在庫状況:
- 在庫なし
ユーズド商品:¥ 3,616 より
ソマティック・マーカー仮説
ダマシオ夫妻といえば、アメリカ神経科学の、現在進行形の第一人者。その世界では有名な「ソマティック・マーカー仮説」を説明した本であり、かなり量が多くて難解な本でした。各章に訳者によるまとめが挟まれており、助かりました。
脳の話題・・・というと、失語から認知症から、あるいは視覚聴覚などさまざまな話題があります。この本は、前頭葉とくに腹内側部が障害された場合に起こる、「将来に対する不安や計画性が障害されて、行き当たりばったりの、本人にとって明らかに有利でない行動を取ってしまう」病態に注目して、そのメカニズムをソマティック・マーカー仮説から説明しようと試みています。
ソマティック・マーカー仮説とは、本書によれば以下のようです。
>>ソマティック・マーカーは、特定の行動がもたらすかもしれないネガティブな結果にわれわれの注意を向けさせ、いわば次のように言い、自動化された危険信号として機能する。
「この先にある危険に注意せよ。もしもこのオプションを選択すれば、こういう結果になる」
この信号は、われわれがネガティブな行動を即刻はねつけ、他の選択肢から選択するように仕向ける。<<
そして、この機能を果たしているのが情動であり、この本によれば情動とは、前頭前野や辺縁系の機能のみで生じるわけではなく、身体を経由し、その相互反応によって生ずるものとされています。この本では、脳のみが優位である現在の考え方を批判し、行動決定における情動の重要さ、そして情動をもたらす身体の重要さ(というより、脳ー身体というふうに分割して考えるべきではないということ)を述べています。
前頭葉損傷者では、まるで彼らに将来がないかのような行動を取ってしまうことがあります。本書でも、こうすると不利になるよ、ということを学ぶべきゲーム場面で、前頭葉損傷者ではそれを学び取ってゆけなかったという例が出されています。ソマティック・マーカー仮説によれば、それは脳損傷により、情動と関連する身体的反応が誘発されなくなるためではないかと述べられています。
そう考えると、逆に、前頭葉に損傷のない人では、いろいろな不安要素を感じとり、それを将来の生きやすさのために活かしてゆく機能が備わっているんだなと実感します。本書でも書いてありますが、その機能はかなり無意識的であり、なかなか気づかないものです。
またその機能も、度が過ぎると過剰な予期不安になったり、恐怖のために身動きがとれなかったり。そんな症状にも、きっと脳だけではなく、一般に思われている以上に身体性が関わっているのかもしれません。
かなり難解な本なので、何度も読み返してみたいと思いました。
内容はよいのに翻訳が・・・
リハビリテーションの分野で脳障害の患者さんと関わっていますが、これまで教科書の説明では納得のいかなかったことがこの本のおかげでかなりすっきりしました。また実際の患者さんを見ている立場から逆にダマシオ氏の仮説には大変共鳴する部分がありました。それほどすばらしい内容なのに、医学・生理学の基礎知識を持って読むとどう考えても専門用語の誤訳であろうと思われるところが多々見受けられます。初期**皮質、神経終端、集合域???。心理学の術語には詳しくないので他にもあるかもしれません。訳者も悩んではいるようで原語を併記している部分もあるので、自分で調べ直したり類推がきく部分もありますが。原著者が医学の専門家であるのに、工学のバックグラウンドの方が訳すのは苦しかったのでは?いくら一般向けの本でも専門用語はきちんと訳して、巻末にでも用語の解説を一般向けに付けた方が良かったのでは?その方が中途半端な訳者解説よりよっぽど役立つと思います。内容が深いだけに残念。タイトルはもちろん「デカルトの誤り」とすべきでしょう。
デカルトの呪縛の根深さ
誤訳がある,訳が難解との意見もあるようですが。
訳はわたしには読みやすかったです。
原書と読みくらべていないから,誤訳がどこにあるのか気づけません。すんなり読めてしまいました(具体的に指摘なしで誤訳があると主張するのはアンフェアだと思う)。
G.K.チェスタトンという思想家・小説家が,「狂人とは理性を失った人のことではなく,理性以外のすべてを失った人のことである」と言っています。
本書には,人並み以上の理性をそっくりそのまま保ちつつ,脳の損傷によって感情を失った人の実例が何件か紹介されています。実際,かれらは社会生活を営むことが困難になりました。
わたしたちの判断は,感情ぬきでは上手くいかないのだそうです。
ダマシオは,環境と身体,脳とそれ以外の身体,脳の各部位相互,理性と情動など,わたしたちの生がいかにさまざまな相互関係のなかから成立しているか,詳細に語ってくれます。その語りは,おのずと「近代的自我」あるいは「私」といった哲学的妄想の病理から,読者を解放してくれます。
本書では,自己・意識について,神経学の立場から,いかにしてこれらが成立するか,著者ダマシオの意見が載っていて,それなりに興味深いです。
もちろんそれでいわゆる「意識のハードプロブレム」が説かれるわけではありませんが。
訳者の解説が各章の前に載っていて,理解を助けてくれます。キーワードについて,キーワードにあてた訳語を選択した理由についても,述べられています。素人読者の目からみると,訳者はきわめて誠実な仕事をしてくれています。
侮れない感情。その正体とは?
原題は“Decartes' Error(デカルトの誤り)”。「脳と身体は切り離して考えることができる」というデカルトの「心身二元論」を否定する。つまり、身体がないと感情や意識といった脳の特徴的役割はありえないということ。デカルトに詳しければ読書に深みは増すだろう。デカルトを知らなくてもちろん読める。
そうした脳と身体の関わりについても多く語られているが、より本質的かつオリジナリティがあるのは「ソマティック・マーカー仮説」だ。
この仮説は、人がある選択を迫られたとき、何もないまっさらな状態から、どれが最善かを考えるのではなく、すでに蓄えられた知識や経験から起きる感情から、どれが最善かを考えている、というもの。
この仮説を支持する例として、アメリカで起きた工事監督フィアネス・ゲージのエピソードや、著者が実際に接したエリオット氏(仮名)の言動などが紹介される。いずれも、脳の前頭前野を損傷したあとも、理性は失わずに生活を続けていくのだが、判断力の欠如がおこり、人生が豹変してしまう。たとえば、人と会う約束を15日にするか17日するか、どちらの日でも問題ないのに「どちらのほうが天気がよさそうか」とか「どちらのほうが交通機関の乱れはなさそうか」とかで延々に考え込んでしまうのだという。
裏返せば、私たちのいろいろな選択の場面では、過去のよい体験・いやな体験などが作用して、直観的に将来予測をして、判断するということになる。
各部冒頭の「訳者解説」は、こんなものがあるのなら解説本を出せばいいわけで「いらぬお世話」と思ったが、本編が難解だからしかたがないかも。
翻訳の精度も問題になっているようだが、だからといって読み控えされるのはもったいないと思う。患者の事例のところとソマティック・マーカー仮説の部分はわかりやすいので、そこを読むだけでも得られる知見はあると思います。
いい本だが、内容は難しい
内容はすばらしく、感情が思考に影響を与えるということを示したすばらしい内容であり、研究成果はみごとである。しかし、他の方も指摘してあることだが、訳が確かにまずいところがあります。原著と比べてみて、直訳している面が多く、一般の読者にはわかりにくい内容となっています。でも、これがベストセラーなのですから、世界の一般読者の水準って高いんですかね。もう少しわかりやすい訳にしてあったら5つ星なんですが。
原著は五つ星です
誤訳のオンパレードです。
このすばらしい本がこのような形に訳されるのは残念でなりません。
もちろん、内容そのものも一般向けの読み物としては少々高度かもしれませんが、比較的わかりやすい文章ですら、「読みにくい日本語」になってしまっています。
それからタイトルですが、なぜ「生存する脳」というタイトルにしたのか、全く理解できませんでした。
ただ、原著は多くの国でベストセラーになっただけあり、非常にすばらしい内容です。誤訳に我慢できる方は、ぜひ読んで欲しい一冊です。
全く誤ったタイトル
~内容は文句なく星5つである。
だが、邦訳の表題がいけない。
なぜ原著に忠実に「デカルトの誤り」
としないのか、全く理解できない。「生存する脳」というタイトルをつけ
てしまったがために、著者がこの本の読者として想定している人たちの注
意を引きつけなかったと思うと、残念でならない。神経学者、神経心理学
者である著者が意識について大胆~~な仮説を~~展開している本書は、脳に
ついて関心のある全ての人々について刺激を与えてくれると思う。
また、本文中に見られるいくつかの訳語について、すでに日本の学会にお
いて定着している訳語があるのにそれが用いられていない。訳者は専門用
語の邦訳について専門家の意見をまったく聞かなかったと思われる。~
