- [著]村上 春樹
- カテゴリ:
- 文庫 (160頁)
- ISBN:
- 4062748703
- 発売元:
- 講談社 (2004/09/15)
- 価格:
- ¥ 400 (税込)
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それは風の様に
村上氏のデビュー作。
そして僕にとっても初めての村上春樹作品である。いつか読みたいと前々から思っていた。
いざ読み始めると、あとは早い。
一気に読んでしまった。なにせ、今まで読んできた(といっても自慢できるほどではない)どの小説とも異なった世界だったので、夢中になってしまったからだ。
「完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね」・・・こんな出だしから始まるなんて、意表を突かれた人は多いのではないだろうか。
物語は決して重苦しくなく、軽快に進んでいく。胸躍らされるような展開が待っているわけでもない。
だからこそ、時折登場する胸を打つようなフレーズが鮮烈だ。
「死んだ人間に対しては大抵のことが許せそうな気がするんだな」
「もし何かを表現できないなら、それは存在しないのも同じさ」
「あらゆるものは通り過ぎる。誰にもそれを捉えることはできない」
「昼の光に、夜の闇の深さがわかるものか」
軽快で、でも読後には言い表すのが難しいような切なさに襲われる。
そんな作品だった。
「さみしさ」が、人の心をひきつける
僕は村上春樹の作品が大好きだ 小説もノンフィクションも旅行記も 当然、本作「風の歌を聴け」も大好きである たしか、タイトルは、ボブディランのBlowin' In The Windという歌のThe answer, my friend, is blowin' in the wind,The answer is blowin' in the wind.という歌詞に由来するらしい
村上春樹の作品が、僕らの心を掴んで離さないのはなぜなんだろう?理由はわからないが、とにかく、まずは、この作品を読んでほしい とても薄い本だから、1日で読めるはず これを読んで何も感じなければ、それはそれでいいし、「なんか、いい」と感じれば、あなたは、村上春樹の全作品を読まずにはいられないはずだ
この小説が抱える「根本的な寂しさ」は、人の心を揺さぶる
最初の一冊にオススメな理由
架空の小説家「デレク・ハートフィールド」を所々で引用しながら、「完璧な文章などといったものは存在しない」という書き出しで始まるこの処女作。架空のあとがきでも「デレク・ハートフィールド」との出会いをのうのうと書いてみせたメタ小説風味のフォーマリズムは、今の著者の作品からは消えていってしまったものだ。これは処女作においてその才能や構築力をアピールする必要があった作者が敢えて取った文学的戦略なのかもしれない。
ストーリー自体は、その後の村上春樹作品に通じる内向的でポップな味わいが描かれており、登場人物がヤマ場で必ず泣く他の作品同様、この作品でも登場人物達は泣いている。でも、泣いてもどうしようもないことが明白すぎるくらい、この世界のダメさが充満している今の時代では、正直、この時期の春樹作品特有のスノッブさはそろそろ色褪せかけている気がする。
それでも、この作品が今でも良むに耐え得る作品である理由は、実は先述のフォーマリズムにあるという点が面白い。著者が処女作から完成された作家だったことがよく分かる、色んな意味で最初に春樹を読むに適した一冊。
2008年時点での僕の理解。
何か困難にあたるといつもこの本を読んだ。
おかげでもうすでに50回は読んでいると思う。
何のために書かれたのか分からない、
でもすごく深いものがあるように感じられる。
時々そんなはずはあるわけないのに
「これは将来の僕が書いたのではないか?」
などと思わせるような感覚も覚える不思議な本。
ただ、何度読んでも自分に引っかかってくることからなんとなく分かったことがある。
何かを学び取ろうとする姿勢を持ち続ければ年老いることは苦痛ではない。という冒頭の言葉。
いろんなことを考えながら50年生きるのは、はっきり言って何も考えずに5千年生きるよりもずっと疲れる。そうだろ?という台詞。
君は何を学んだ?そして絶望に自殺をする青年。
そして最後に僕が一番好きな太文字の言葉にぶつかる。
僕達は今の自分達よりも成長するためにみんな歯を食いしばって生きているし、
これからも同じことを続けて行くのだろう。
「風の歌を聴け」を主題とせるヴァリエイション
風そのものは、しゃべりはしないよ、言葉を喚起するんだ。――村上春樹さんは、この作品の中で、そんなことを書いていた、と私のおぼろな記憶は語っている。
ある雑誌で、町田康さんの文章を読んでいたら、文学風を吹かした文学チックな文章は、実は、にせものである。みたいなことが書かれてあった。そういえば、太宰も、いかにも詩人然とした、気取った青年は実はにせものだ、と言ったり、ヤソのヤソくさきは、真のヤソにあらず、などと書いていた。そこで私は、このレヴューを、レヴュー風の吹かない、真のレヴューにしたいもんであると思い、これを実行に移そうと思う。
プニューマ(風)は心のままに吹く。プニューマ(霊魂)もまた、同じである。
換気は、喚起。ドスト氏の作品で、大事なのは、空気を入れ替えることだ、というのがあった。窓開ける。空気が、風が吹き込む。新鮮な風が。風は人にインスパイア(霊感)を与えるのだろうか。
梶井基次郎のある短篇には、チェホフの短篇が登場している。男の子が、女の子を乗せたそりを押しながら、下り坂を下っていく。女の子は、下っていく途中、男の子に何かささやかれたような気がする、何か、甘い言葉を。けれど、それは風の音であるようにも思われ、判然としない。そこで、女の子は、もう一度、男の子にそりを押すようせがむ、もう一度、もう一度、と、女の子はせがみ続けるが、結局、女の子は明確な答えを出せない。
――結論、作品とは風である。作品そのものは、けっして、何も語ってはいない。私たちは、作品が喚起する言葉に耳を傾ける。自分のうちにあって、しかし、普段は姿を見せない、言葉たちに。それは、ちょうど、<意味>のないインクのしみから、<意味>を見つけ出すロールシャッハ・テストに似ているのかもしれない。
自分ながらわけの分からないこと書いた。なんのことはない。私の文章があまりに、つたな過ぎるだけの話である。なにが真のレヴューか。大法螺を、吹いたものである。
深夜の静まりきったキッチンのテーブルの上で
どうも村上氏の作品は評そうとすると、つまり言葉にすると嘘になってしまうようなところがあって、こうして書くのはなかなか難しいところがあると思います。いわく言葉にし難い魅力と、特に古い作品になると個人の思い入れが重なり、普通の人にはこの感性を客観化し辛いせいなのでしょう(自分がそうです)。この後に続く「1973年のピンボール」や「ノルウェーの森」などそっと心にしまっておきたい、そんな作品の多い作家のような気がします。
1979年刊行の表記作ですが、デビュー作として歴史もあるだけに(といっても30年くらいですが)、同時代で作品に触れた世代にとっては「心にしまっておきたい」感が一段と強いものなのではないでしょうか(私はもう少しあとの世代)。村上氏自身は、ジャズ喫茶を経営するかたわらの日々、ある日ヤクルトの試合を見ていた神宮球場で突然、神の啓示を受けこの作品に着手したと述べており、この次の「1973年のピンボール」まではどことなく腰の定まらない執筆だった、と述懐していたのをどこかで読んだことがあります。まあ腰の定まらないまま、これほどのものが書けるのも凄いと思いますが、高校時代から恐ろしく文章の上手い奴がいる、と評判だった才能のなせる業なのでしょう。
仕事で疲れた後、深夜の静まりきったキッチンのテーブルの上で、ことことと筆を動かす若き氏の姿が浮かびます。
空の宝石箱
キラキラと輝く宝石箱のような作品です。
こんなにも素敵な文章って読んだこと無いと思わせるような。
とにかくその眩しさに触れるだけでも読む価値はあると思います。
でも中には何も入っていない宝石箱だと思います。
独自のワールド
10代後半の夏にある雑誌で取り上げられていて、読んだのがきっかけかな。だからもう20年近くも前のこと。缶ビールとピンボールとビーチボーイズ。当時高校生だった僕には、ちょっと背伸びした感じの刺激的なその雑誌の紹介文が印象に残った。
その後、深くその小説が掘り下げられて別の角度からの評論などを読んだりするとそうだったのかと妙に納得させられた感じだった。
小説の内容は主人公のひと夏の思い出を語ったものであったが、しゃれた言い回しや感覚などとても身近でありながら、よく練りこまれた小説であったなと思う。
「短く簡潔に」がビジネス常識の時代の村上春樹。其れ以前に、ヴォネガット爺さん。
『日経アソシエ』の7月1日号では、メールの書き方について特集している。
すべからく、「メールは簡潔に要点のみを、判り易く」が
現代のビジネス常識となった感がある。
もう、今更いう必要も無いが、村上春樹のこのデヴュー作に影響を与えている
と言われているのが、カート・ヴォネガット『スローターハウス5』伊藤典夫訳である。
私は、20歳頃に読んだと思う。短いパセイジを断片的に、繋げて行く手法だが、
話は、第二次大戦の欧州西部戦線では最大死者数を出したドレスデン大空襲を
扱っている。トローマティックな「実体験」を書くと為ると記憶メモリーの
作動自体がランダムに為る。そう言うものだ。私も覚えがある。いや、現に今そうだ。
短いパセイジを繋げて、全体で何を構築出来るのか。「フレームワーク」が
出来ていて、パーツをアッセンブルする事で、何らかのテーマを伝えようとしているのか。
いや、多分、何も構築されないかも知れない。「人生」の様に。
構築されたものが有るとすれば、次の5文字だろうか。
hello
本作は、村上春樹自身の「挨拶」と為った作品である。
「人生」みたいなものだ。
hello, goodby
続きはまた書く。
プーティーウィッ。
続きだ。
70年代後半当時ダラダラ書かないスタイルが
「斬新」だったと言うよりも、選考者達にとって
「読むのがラクだった」のかもしれない。
その「ラクさ」が、快感を齎し、その快感自体が「斬新」な
「生理的経験」に為ったので、本作が選ばれた可能性も有る。
其の意味では、本作は時代を「センコー」していた訳である。
また、オヤジギャグだ。
日常を面白く可笑しく
本作品は村上春樹氏によるデビュー作。
読んでいて時代のギャップを感じましたが、
日常にありふれていそうな光景を感じ取れました。
洒落ていてユーモアのある文章。
時折出てくる哲学的なフレーズが作品全体に絶妙な深さを醸し出しています。
なぜか外に持ち出して読みたくなる一冊です。
