- [著]村上 春樹
- カテゴリ:
- 文庫 (408頁)
- ISBN:
- 406274905X
- 発売元:
- 講談社 (2004/10)
- 価格:
- ¥ 680 (税込)
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この社会でどうやって生き残るか・・・
上巻が「人生の示唆に富む」のに対し下巻は謎解きのようなストーリーがクライマックスに向かって高まる。読み始めたら目が離せず、主人公たちの会話をどんどん追っていく自分に気づく。本を読んで、気持ちがちょっと楽になる。生きるのにそこまで生真面目にとらえなくていいんだよ、常に死は身近にあるものであり、上手にダンスステップを踏めばいいのだと、心の中でなんども繰り返す。また、いつか読んでみたい、間違いなく名作だと思う。
ハワイ、そしてピナ・コラーダ
この下巻ですが、実際にこのあいだハワイ旅行に持って行って実地体験してきました。
ロイヤル・ハワイアン・ホテルのマイタイ・バーで飲むピナ・コラーダは最高です。
(ハレクラニ・ホテルでは、ピナはもうメニューになかったのが残念でした。)
ユキ、そして僕と一緒にハワイに滞在している気持ちになりました。
13歳の、痛々しく繊細な美少女のユキと、失われた10代を追体験していく34歳の僕。。
正直、キキの行方やメイの殺人事件については小説的にそれほどいい筋だと思えないのですが、細部にこだわり、高度資本主義社会で生きていかなくてはならない都会人の姿に何よりも共感を覚えます。
五反田君がやはりひときわ光っています。僕の周りの人々が次々と死んでいくその喪失感は、『ノルウェイの森』に通じる哀しさがあります。
4作品の中で一番面白く読みました
「ダンスダンスダンス」は「風の歌を聴け」から始まる、ぼく(主人公)が活躍する第4作品目です。(タイトルだけではシリーズ第何作目か分かりませんので始めて購入する方は注意が必要です。)
本作では、タイトルが現すように、主人公(ぼく)はかなり積極的な動きをする。北海道、ハワイなどでの生活、また深い謎を解くためにも時には攻撃的なコミュニケーションをとる。それらは、ダンスを踊り続けるという羊男からのアドバイスにもよるのだろうが、ストーリーも奇想天外でこれまでの作品以上に奇想天外で楽しい。
個人的には、4作品の中で一番面白く読みました。
五反田君≒高度資本主義社会に適応した〈鼠〉
鼠3部作の続編
久しぶりに読み返してみましたが、とても村上春樹さんらしい、もっとも村上春樹ワールド(あちらの世界とこちらの世界という2つの世界が出てきたり、自身に非は無いものの巻き込まれる事や、様々に魅力的なキャラクターたちや、使用される楽曲の選曲の素晴らしさ、時々出てくる固有名詞を交えるのが絶妙な事とか、物語を終えた後の余韻の深さ等)な作品。恐らく、ほぼ全ての長編作品を読んでいますが、中でも、村上さん的に洗練されたというべき作品です。とても80年代的としか言いようの無い状況を的確に残す作品とも言えると思います。
中でも特筆すべき特徴として、〈鼠〉よりもあるいみ〈鼠〉らしい、あるいは〈僕〉より〈僕〉らしく高度資本主義社会に暮らす五反田君の存在がこの小説のその他と違うところだと思います。五反田君のセリフ一つ一つに頷けます。今はさらに時代が進んで、細かな、些細な部分にさらに無自覚になった(ならずにはいられないのか?)感じがしますが、その基本的方向性は今も同じです。
村上春樹を批判する事は容易な事ですが(その閉鎖性や、ニヒルさを批判される事がとても多いですが、キチンと読めば根本は違う事が理解されていないと思います、読みやすさは善き事と、私は考えます)、その考え方なり立ち位置には敬意を表して良いと考えます、ずっと村上春樹的ではいられませんけれど、通過すべき場所ではあると思います。
80年代が懐かしいな、と言う方にオススメ致します。
現実(こちら側の世界)にとどまり、誰よりも上手に踊り続けよ
『ねじまき鳥クロニクル』や『アフターダーク』で大きなモチーフとなる、(こちら側の世界)と(そちら側の世界)という、現実世界ともう一つ先のメタ次元の世界の表現が、本作に於いては微妙に顕現せられているのが印象的である。
高度資本主義社会にあって、文明の合理化ないし洗練化と共に、我々は様々なものを失い続ける訳であるけれども、それでも結局のところ、人は決して独りきりでは生きていけず、他人との繋がりを保ちながら、常に現実(こちら側の世界)で踊り続ける、すなわち現実と戦い続けるしかないのだ、というメッセージを受け取った。
取り敢えず氏の作品は、やはり読みやすい。リズムに乗ってポンポンと読めた。ノスタルジーに耽りすぎず、高度資本主義社会から逃避せずに生きていこう、ということが読み取れた訳だが、或いは氏のこういった平易で何処か計算書染みた文体自体が、高度資本主義社会の象徴でもあるのだろうか。合理化、洗練化、その中でもう一つ先の次元の世界を感じながら、何が起きても変ではないこの世界を生き延びていこう。
あと一人・・・
「僕」は「僕」のための不思議な部屋で6体の人骨を「キキ」によって見せられることになる。
この「ダンス・ダンス・ダンス」は展開も早く、二日で読んでしまった。僕は個人的に「ユキ」というキャラクターが好きで、特に「ユキ」と「僕」との歯切れのよいユーモアな会話が心地よかった。
話の終結に向かうにつれて、(もしかして、6体の人骨の残りの1体は「ユキ」なのだろうか・・・)と思いつつ、ドキドキ、はらはらしながら読ませてもらった。結局残りの1体が誰なのかはわからなかったが、また機会があったらじっくり読んで考えてみたいと思う。
これは「村上春樹」の処女作「風の歌を聴け」から続く四部作目(風の歌を聴け、1973年のピンボール、羊をめぐる冒険、ダンス・ダンス・ダンス)と聞く。
「ノルウェイの森」、「ねじまき鳥〜」、「世界の終わりと〜」なども読んだが、この「ダンス・ダンス・ダンス」はどの作品にも劣らないものだと思う。
是非続きを書いて欲しい作品だった。
疾走感ある展開
風の歌を聴けのあの若者が、ずいぶんとんでもない所へ来てしまったなぁ、としみじみ。
いつもながら爽やかな読後感。
*作品紹介には三部作とあるが2007年現在は四部作。
1.風の歌を聴け2.1973年のピンボール3.羊をめぐる冒険4.ダンス.ダンス.ダンス
クライマックスへ
下巻ではいよいよ物語が終結に向かいます。村上作品にしては珍しく、物語が非常に大きな力をもっていたのがこの「ダンス・ダンス・ダンス」の特徴であり、魅力といえます。「僕」ははたしてうまくダンスステップを踏み続けることができたのでしょうか?ユキや五反田君の運命は?
この小説における大きなモチーフの1つが高度資本主義社会が生み出したさまざまな弊害です。極端に合理化され、洗練された社会において人々はそれぞれに問題を抱え込み、苦しんでいます。ユキには家庭問題が、五反田君には仕事の虚構性が、そしてディック・ノースには戦争体験がそれぞれ象徴されているのでしょうか。多くの喪失をくぐりぬけながら、主人公は再生へと歩んでいきます。
羊男の言葉通り、「僕」は誰かとつながる事ができたのでしょうか。答えは読者にゆだねられています。あなたなりに、意味をくみ取ってみて下さい。
題名が素晴らしいと私は思う。
ただ「ダンス」という単語を三回繰り返しているだけだけれども、なんとも本作品をよく表現しているなと読み終えてそう思いました。私は、村上氏の描く、人の生きる世界の象徴的な表現が好きで、彼の作品を読むのですが、本作品もその期待を裏切らず、とても面白かった。
題名もそうですが、本作品では多くのリピートが見られます。単純な文章表現的なリピートもありますし、象徴的な意味でのリピートもありました。それはあたかも、決められたダンスのステップを踏んでいるようでもあり、「僕」という主人公の生き方を象徴しているかのようでした。
休む間もなく、ステップを繰り返していなければいけないという羊男の台詞は、80年代後半に書かれた作品であるにも関わらず、21世紀に突入して数年たった現代を表現しているようでもあります。
村上氏の初期の作品ということで、近年(後期)の作品群―『海辺のカフカ』や『ねじまき鳥クロニクル』など―に見られるような、重量感のある、深い森の中を一人で散歩しているような印象は無く、幾分すっきりとしているけれども、やはり村上氏らしい独特の文体は健在だなという印象でした。
「僕」の台詞の空虚さが、逆に非現実性を想像させながらも、物語から読者を遠ざけない。リアルに描きすぎないところにも、彼の上手さがあると思います。
とても面白い作品でした。
踊るんだよ、音楽が続く限り
久しぶりに本書を手に取った。作中に描かれている、
「あちらの世界」と「こちらの世界」との差異や
目が覚めても、目が覚めても、それが「リアルな世界」
なのかというパラレルワールド的不安感が
やや陳腐な小道具に思えてしまうのは、
20年も前のこの作品に、暗黙の模倣が多いからではなかろうか?
そういう意味では、極めて先駆的な作品である。
「前回のバブル」以降、むしろ強まったかにも見える
高度情報化・管理社会の中で
その息苦しさを斯くも鮮やかに描写して見せる手腕は
やはり村上春樹ならではだろう。
