- [著]宮尾 登美子
- カテゴリ:
- 文庫 (419頁)
- ISBN:
- 4062756846
- 発売元:
- 講談社 (2007/03/15)
- 価格:
- ¥ 700 (税込)
- 在庫状況:
- 通常24時間以内に発送
ユーズド商品:¥ 173 より
参考にします
昔の女性は、ただお姫様でいる人と、好奇心あふれ、熱心な姫といたんですね。
それも先を見る力がいるような。
篤姫の聡明さに感服します。
新たな発見があります
大河ドラマの原作を読むと、テレビでは省かれている点や、演出の都合で新たな人物が登場していたり、補足になります。今和泉の父にも側室がいたのか・・・とか。この一冊でドラマ半年分の脚本を書いた作家には驚きます。
この時代の女性の英知、そして覚悟
いうまでもなく、今の時代とは女性の役割、世の中の女性観は隔世の感がある。
たった数百年前明治にならんとする近代の黎明期において、トップレディといえ、
主たる役割は世継の継承、バックオフィスの安泰であり、歴史的政治的な役割は
期待されていない。
とはいえ、バックヤードでのあるじたる将軍への影響力を期待され、多いとはいえない
また速いとはいえない情報から裁量をとることが期待されている。
いち早く多くの情報取得をできた人間が勝ち、そして性差は多様性と受け止める
現在とは処し方も違えば価値観も異なる。
そんな中で篤姫は鹿児島の分家の娘として生まれてから島津家の養女そして徳川の嫁として
数奇な運命を進んでいく。
この小説はその48歳の人生をコンパクトに力強く表現していったのものである。
そのストーリーは小気味良く、言葉遣いも印象的で、彼女の思いや時代の流れと共感し、
思いをはせることができる。
彼女はバージン女王ならぬバージン御息所であり、当時の国家である徳川の永続を強く願い、
三千人の大奥の人間を統率したすばらしい女性である。
惜しむらくは、直接のコミュニケーションやリアルな会話ができにくい体制や時代の中で
相互理解が進まず誤解と哀しみ怒りばかりにとらわれ、和解していくまでの和宮との関係、
夫でありながら共感をすることが難しかった将軍との関係。
こういったことは今の時代ではもう少し緩和されていくはずのものであろう。
今の時代に彼女が生きていればどのような姿勢で生きていったかを想像してみようと思うのである。
おもしろい
2008年NHK大河ドラマの原作です。
篤姫の生い立ちから、大奥、晩年まで描かれた長編ですが、
篤姫と周囲の女性との会話が多くテンポがよいため、あっという間に読み終えてしまいました。
もちろん、大奥での篤姫の活躍にもっとも重点が置かれており、その時代の大奥に入り込んだ気分になりました。
篤姫は頭の回転が良くて、非常に気が強い、と感じられたので、ドラマの配役とは印象が異なるというのが個人的な感想です。
また、一橋慶喜は徳川幕府を終焉させた”悪役”のような立ち回りですが、これには多少違和感を持ちました。
よくわかる。
自分の運命を受け入れて、まっすぐ生きた「篤姫」がわかりやすく書かれています。
歴史背景や江戸の風俗なども丁寧に書かれているので、当時の様子や幕末の緊張感も伝わってきます。大奥という場所から見ると、こうだったんだな・・・という見方もできておもいしろいです。
ただ、どうもあったことをそのままどんどん書いているため、淡々とし過ぎているような印象を受けて、個人的にずっと好きだった「篤姫」という人物なのですが、感情移入しにくいなぁと思いました。和宮との確執では、嫁姑争いは今も昔も変わらない、と思ってしまいました。
和宮がなんとなく印象薄いままだったのは、篤姫目線だからか、人物描写が足りなかったからなのか・・・。
感想としては、淡々としている、に尽きるような気がします。
TVと全く違う格調高い世界が広がる。
宮尾登美子氏の文章が素晴らしい。日頃接することのない格調高い表現の日本語が全編を通じて展開され、こういう日本語を書いてみたいと憧れる。島津本家から分かれたご一門四家の重富家、加治木家、垂水家、今和泉家、その今和泉家の長女に生まれた於一。TVドラマでの描き方とは全く違う優雅な、格式の高い名門武家の姫の生活がよくわかる。五尺三寸の大柄な篤姫、日本外史を愛読する篤姫、一族から「女子に生まれて残念」と言わしめた篤姫、この類希な資質の姫には最初から引き込まれていく。18歳で島津本家の幼女へ。全編を通して、姫のお付の女性が多く登場するが、今和泉家の菊本、島津本家の若年寄広川、老女幾島の存在や、お互いの関係の変化が非常に興味深い。そしてついに大奥総取締滝山を先頭に、老女村岡、幾島、亀岡、花乃井が付従い江戸城へ。いよいよ御台所として大変な大奥の生活が始まった。どう見ても大河ドラマでは本書の描くような格調高さは出ない。やはり本書を読むべきだ。
女は天の半分を支えている
まず宮尾登美子の絢爛たる筆力に酔いしれる。何しろ言葉遣いや人物の造形が見事だ。したり顔の司馬遼太郎なんぞはとてもかなわない。「大奥」ものと見くびるなかれ、だ。
物語の核心は、皇女和宮との確執にある。現に作者は、和宮の資料に当たっていて「天璋院が嫁の和宮をいじめたとなっているが、そうだろうか」という疑問を抱いたところから出発したということを言っている。
もうひとつの核心は「最後の将軍」慶喜だ。これは、徹底的に嫌なヤツとなっている。何しろ、維新後、徳川本家を守った天璋院は、慶喜の末流とは決して婚姻関係を結ぶなと遺訓を残したというからすごい。司馬の「最後の将軍」では、「あなたはよくやった」と誉めてくれる母のヒザにすがってさめざめ泣く慶喜だが、そんな男の甘さをはり飛ばすような宮尾・天璋院の気概だ。
封建武家社会の価値観、倫理観を固い岩盤のように時代描写の核心にすえ、女は「政略の道具」「生む機械」でかわいそう、「人の上に人を作らず」だぞなんて、ちゃちなアト知恵や薄っぺらな感想は跳ね返してしまう。そんなことは承知の上で、時代に翻弄されながら、健気に剛毅に凛と生きた女性を描ききっている。
「女は天の半分を支えている」とカンラと宣言するような作者の気迫に恐れ入った。
ところでテレビドラマは原作とだいぶイメージが違う。「宮崎あおいの『あんみつ姫』を何とかしろ!」と私の横で叫んでいる女房は、それでもやっぱりTVを楽しそうに見ているけれど。
むしろ大河ドラマを観る為の参考書として
大河ドラマ『篤姫』の時代考証や人物設定をめぐりいろいろな声のある今日此頃、原作本を読んでみた。なるほど、確かにドラマと原作とでは相当違う。例えば、(1)篤姫の人物造形(原作本は、お転婆や明るさというよりは、遠慮がちで慎み深さをもった人物として彼女を描いている)や(2)男女の愛憎(原作本をみると、阿部正弘や徳川斉昭はある種の色情狂であり、それが大奥内部に影響を与えていたことが看て取れる)など。しかし、基本的には、大河ドラマが原作を忠実に反映する必要はないように思う。今日日、大河ドラマはそれ自体が一つの創作であって、原作とは異なる解釈や見せ方が、いわば多様性として認められてもよいのではなかろうか。その意味で、原作本は大河を観る為のいわば「参考書」として活用できる。そうすれば、「篤姫」の世界を二倍楽しむことが出来るような気がする。
女性視点で捉えられた武家社会。
本当に面白い作品でした。武家社会が女性の目で捉えられているのですが、それは武家の家庭を見せていただいているような感じで非常に斬新で興味深い内容でした。江戸時代に築かれた武家社会の習慣が今の日本文化の原型なのだろうという想像をしました。篤姫は、島津家の分家から将軍の妻になるわけですが、当然そこには政略があるわけで、トップレディーとはいかなる存在であるかを垣間見る思いです。また篤姫が嫁いだ将軍、家定を通して将軍という世襲制の絶対権力者は、人格の前に機構となっていることなどを感じます。こういった徳川幕府の制度疲労は顕著であり、そこに島津家が篤姫を将軍に輿入れさせる理由があるわけですが、それは下巻以降に描かれてゆくことになります。NHK大河ドラマの原作ですが、読んでみてTVドラマがかなり脚色されているのがわかりました。テレビの方はかなり娯楽性をもたせています。TVが先か原作が先か、どちらでもよいと思いますが原作をお読みになれば、大河ドラマが一層面白くご覧になれると思います。
原作には映像とは違う良さがあります
そもそも歴史小説は史実に忠実かといえば、要所要所はきちんと沿いながら、架空の人物を加えたり
作者の訴えたいポイントを誇張したりして出来上がるものだと理解しています。
それを頭に入れて読むと、「歴史小説もまた楽しみなり」です。
大河ドラマもリズミカルでおもしろいですが、台詞があまりにも現代劇風にアレンジしてあって、
歴史物の重みをあまり感じないのがやや物足りません。
原作を読むと、登場人物がいかに居住まいを正して話しているかを読み取ることができました。
とともに、女性の生涯を描く宮尾登美子さんの筆致は、いつもながら豊かで鋭いなと思いました。
