- [著]フランソワーズ サガン
- [著]朝吹 登水子
- [著]Francoise Sagan
- カテゴリ:
- 文庫 (164頁)
- ISBN:
- 4102118012
- 発売元:
- 新潮社 (1955/06)
- 価格:
- ¥ 460 (税込)
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17才の正直な残酷さ
サガンが18歳のときの作品と聞いて驚いた。
18歳でここまで書けるとは。
自分の年齢よりも年上の人物の本当の話は書けない、とはどこかの作家が言っていた言葉だが、
まさに主人公を去年までの自分の年齢に設定することで、今この瞬間に感じているような
リアルな17才のセシルの心情を見事に描けている。
そうして考えると、父親をはじめ、エルザ、アンヌなど作者の年齢以上の人間が何人も出てくるが、決して心の中で何を感じているか内面は書いていない。
書いていないが、セシルの言葉に対する父親のレエモン、アンヌの行動については充分なリアリティを感じる。
このサガンという人は、18歳にして、レエモン、アンヌの心情が理解できていたのかと思うとその才能にあらためて驚く。
無邪気という名の凶器
著者の処女作とは思えない瑞々しい魅力的な文章に一気に引き込まれました。
現代とは時代背景は異なりますが、主人公の17才の女の子の視点で語られていくストーリで思春期特有の残酷さやナイーブを併せ持った心理描写が鋭く描かれていて感銘を受けました。
面白かった
決してハッピーエンドではないのだが、この作品のストーリーにグイグイひきこまれて一気に読んでしまった。内容自体は、よくある、というか多分に理解することのできるもので、我々の日常にこれに似たことはあるのではないかと思う。主人公の心理は、この作品ではティーンエイジャーであるが、年齢問わず、女性にありがちな心理なのではないだろうか。解説によるとこの「悲しみよこんにちは」は、サガンの処女作であるようだが、実に作者、18才の頃だというから、驚きだ。複雑で繊細な心のひだを見事に表している、その表現力は素晴らしい。
夏になると読み返したくなる本
南仏の眩いばかりの夏を舞台に、一人の少女のこの年代でしか持ち得ない残酷かつ利己的である一方で傷つきやすく繊細な感情を痛々しいほど的確に写し取ったこの作品を夏になる度に読み返してしまう。自分もこの夏に浸りたくなってしまうのだ。
初めて読んだ夏は高校生で、私はセシルと同年代だった。母の蔵書の中から引っ張り出した定価200円の新潮文庫の日本語は古臭くも感じられる一方でその含みのある言葉選びが美しく、サガンの作品特有の倦怠感をたっぷりと含み、読者を日常生活から完全に引き離してしまう。出版から50年以上経った今でも朝吹登水子氏訳版が現役であるところを見ると、この訳は原作同様に完成されたものと言えるのだろう。原書で読んでみたいと思う一方で仏語習得の触手が動かないのはこの名訳の成せるわざか。暗誦したくなるほどに美しい文章だ。
20代の後半を迎え私はセシルよりもアンヌに年齢が近づいていく。すると読み手の視点は次第にアンヌの心に沿っていくようだ。はにかみ屋の少女が大人の女性になり、人生の中で孤独を知り、そしてその先数十年を共に幸福に暮らしたいと思える男性に出会う。しかしその彼女のささやかな希望は少女の策略によって簡単に裏切られ、強く完成された大人の女性であろうとした彼女の心は打ち砕かれてしまう。以前ははっきりと感じられなかったアンヌの絶望が今は生々しく心に突き刺さってくる。なぜ18歳のサガンがこのような感情を確信を持って描くことができたのか。彼女の天性の才能に打ちのめされる作品だ。
次の夏も私はこの本を手に取り、この作品世界に新しい光を感じるだろう。この本は読む度に新たな発見がある希少な存在なのだ。何度も読み返す価値のある本を探している人にはぜひ手に取ってもらいたい作品だ。
買いです。
盗作問題などで晩節を汚した感もあるサガンのデビュー作です。この作品は小説より先にジーン・セバーグのモノクロ映画を見たせいで、どの場面も読み直すたびに映像がさっと思い浮かびます。映画もいかにもフランス映画といった感じの感傷に覆われていてお勧めです。
フランスの色
「彼女はまっすぐに、動かずにしゃべれる女たちの一人だった。
私には、長いすだとか、手持ち無沙汰につかむ物だとか、タバコだとか、
足をぶらつかせるとか、ぶらついている足を眺めるとかが必要だった。」(本文より)
作品中に満ちあふれている女の子、青春の痛み、恋、フランスの香り。
でもそれだけではない。
すぐ読めてしまいそうな薄さ、いわゆる「青春小説」だと思ってかかると、時々はっとさせられるような描写がいくつもあって、そのたびに目を覚まさせられる。
この、昔を思い出すような口調、ふと現実に帰る瞬間が、切なさを増す。
水色とバラ色の石を拾って、それを今眺めているシーンが、個人的には気に入っている。
青春がすでに過ぎ去ってしまっている人にとって、それを思い出す時には、きっとこんな気持ちになるに違いない。
パリの物憂げな青い空とバラ色の空、そして石。
まさにフランス色に満ちていて、それがとても美しい。
びっくり!18歳
表紙をひらくと、著者のモノクロ写真がある。
線の細い、華奢な体でソファに浅く座りどこかを見ている。
一見した繊細さの裏に、強固さと冷静さと負けん気が隠れている顔つき。
自由と倦怠に埋もれて生きている少女、セシルの前に、美しく理知的な女性が現れる。彼女は1夜でセシルの父との結婚を決めてしまう。
父を奪われる嫉妬心と聡明な女性への幼さから来る反抗心から、セシルは父の気持ちを別の女性に移そうと策略する。
サガンの処女作です。18歳のときに書いたそうです。
まず、とっても風景が美しい小説です。フランスの海と夏。松林。陽に光る肌。
そして風景と絡む物語。幼稚で未熟で一過性のものにすぎない欲望からくる嫉妬心。
それをものすごく冷静に客観的に描写してあります。
少女期特有の残酷さをみごとに切り取ってます。
いや〜、すごいねサガンという人は。
ラストもよかった。
作家サガンの誕生
あまりにも有名なサガンのデヴュー作。
独学で初等フランス語の文法書を読んだ後、さしたる理由もなく(多分薄めの本だったから?)最初に手にとったのがこの作品でした。はたしてどの位読めるものか試してみるために。最初の10行で少してこずったけれど、後は案外スラスラ読めたのが嬉しくて、二冊目、三冊目とサガンを読み進むこととなった。原書でフランス文学に親しむ(無論短かめのものだけ)契機となったという意味で、私にとっても記念すべき一作なのである。
たかだか17歳の少女が、こんなにも完成度の高い小説を書いたこと、これはやはり一つの奇跡としかいいようがない。冒頭のメランコリーただよう書き出し、ドラマチックなストーリー展開、訪れる悲劇、無責任で放縦な青春が引き起こした帰結への悔恨と悲しみ、夜明け前のパリのアパート、眠れぬまま訪れる『悲しみ』に対面する主人公、物語りの構成も完璧である。青春はこのように愚かしく残酷で眩しいものに違いない。
原稿を読んだジュリアール社が急きょ電話を入れるが故障で通じない。アパートに出向いた社員にお手伝いが告げる、『マダム(サガン)はまだおやすみになってます』。。 さてその日の夕刻のこと、出版の打ち合わせを終えて帰宅したサガンが母に、自分は作家なんだと言うと父は大声で笑い出し、母は『そんなことより夕飯に遅れないようにして、髪をとかしなさい』といった。弱冠18才、作家サガンの誕生である。
成熟と痛み
少女の青春小説といいますか。
恋愛小説に見せかけていながら、恋愛小説になりきれていない。もっと、まわりの堕落っぷりとか、いやらしさとか、自分の馬鹿っぷりを前面に押し出した作品。
当時18歳ということか。たしかに、18歳だともった馬鹿みたいな恋愛小説的な部分を押し出しちゃいそうなんだけれど(本作でいえば、シリルとの邂逅)、それときちんと距離をとっていることに好感が持てる。
50年ほど前の作品だけれど、読みやすいので、一読してみてもいいかも。
実存主義を十代の視点から
素晴らしい。読み終えたときは寒気がした。この本で見せるサガンの文章の美しさは18歳にしてはすごいとかでなく、既にほぼ完成されていて、物語を通じてフランス固有の浮遊感、倦怠感が絶妙に出ている。おそらくサガンは自分がフランス人であることをよく意識して書いたのだろう。これはアメリカでもイギリスでもなく、フランスを舞台にしてフランスの作家によって書かれたところに意義を強く感じる。
主人公セシルは感受性が鋭く、大人を見極める能力があり、完成されたものへ倦怠感、嫌悪感を感じる、言い換えれば普通の十代の少女だ。
彼女はあらゆる感情を知っているが、悲しみをまだ知らない。悔恨もみじめさも虚しさも知っているのに、それは悲しみとは別だという。物語の終わりで彼女は初めて悲しみに出会う。「悲しみよ こんにちは」に込められた悲痛さ、あきらめと受け入れがここで初めて身にしみる。
また、結構この本は表面的に取られすぎているように思う。サガンが訴えたかったことはサルトルから受け継いだ実存主義、人生の根本は悲しみであるということではないか。彼女自身、サルトルをカミュよりも尊敬していると言っている。彼女は書こうと思えばもっと難しい文章が書けたであろうが、18の少女がそんなことを言っても誰も耳を傾けない。だから18歳らしさを漂わせたストーリーにしたのだろう。そんな彼女の“抑え”が感じられる。
