- [著]トルーマン・カポーティ
- [翻訳]村上春樹
- カテゴリ:
- 単行本 (223頁)
- ISBN:
- 4105014072
- 発売元:
- 新潮社 (2008/02/29)
- 価格:
- ¥ 1,260 (税込)
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原作が、映画の呪縛から解放されましたね
こんなレビュータイトルにすると、日頃からカポーティや米文学に親しんでいる方々に
怒られてしまいそうですね。
私はご他聞に漏れず、小説ではなくて、映画から入った口です。オードリーのファンですし、彼女の出演作では「ティファニーで朝食を」がいちばん好きなものですから。
その影響で、もう昔になりますが、瀧口訳を読んだことがあります。でも、その時は、
映画でのオードリーの印象が勝って、全然いい小説だとは思えなかったんです。
で、今回村上訳を読んでみて、昔の感想が綺麗に払拭されました。
すごくいいですよ、この小説は。主人公の造詣から練り上げられた文体、文章まで最高です。
カポーティの素晴しさをはじめて知ることができました。
やはり、翻訳の影響って、とても大きいんですね。
村上訳がどれもいいというわけではありません。
個人的に、「キャッチャーインザライ」と「ロンググッドバイ」は今ひとつでした。
逆に「グレート・ギャツビー」と「ティファニーで朝食を」は、とてもいい。
ともかく、映画とはストーリーが異なりますが、映画も小説も両方とも楽しめます。
格調の高さでは龍口訳に軍配
カポーティの短編の巧みさと独特の雰囲気に目を見張った僕は、改めて「ティファニー」をオリジナルテキストと共に読み返してみよう、と思っていた矢先に、本書が出版された。
さっそく買ってきて、1968年にやはり新潮社から出版された龍口直太郎訳「ティファニー」と読み比べてみた。
龍口訳も本書も、表題作以外に全く同じ短編が3作収められている。「花盛りの家」「ダイアモンドのギター」「クリスマスの思い出」である。
これらを読み比べて改めて感じたのは、村上さんがかねがねおっしゃっている「翻訳の賞味期限」ということ。
原作が名著と呼ばれるものであればオリジナルテキストに賞味期限はないが、翻訳の方はそれが訳された時代々々の社会を反映したコトバで訳されているためか、そこにどうしても賞味期限といったものが生じると。
本書と龍口訳を読み比べて、少なからずそれを感じた。
龍口氏は、1903年生まれ。「戦後日本に米文学を紹介した」とあっていわば「大御所」である。
その龍口訳のある意味古色蒼然たる訳文は、地の文においては格調高くカッコいいのだが会話文においてはなんとも違和感が出てくる。
ホリー・ゴライトリーやその友人のマグなど個性的で(少なくとも表面的には)都会的な若い女性たちが出てくるシーンで「こちとら」だの「やっこさん」だのというコトバが発せられるとねぇ。日活の「渡り鳥シリーズ」じゃないんだから。
その点村上訳の会話は実に現代的でクールである。
また、地の文においても龍口訳では米国の学制に対する認識不足や社会的なスタンスの違いによるとみられる咀嚼の甘い訳などが見られたのに対し、村上訳はそのあたりをスッキリとクリアしている。
このあたりはいずれも龍口氏の力量というのではなく、翻訳当時の日本社会のありよう、もしくは米国社会との距離感によるものだとおもう。
おそらく、いかに「大御所」による名訳とはいっても賞味期限が来つつあるのだろう。
とはいえ、村上訳が全ての面で良かったか、というとそういうワケでもなく、常々原文に忠実に、訳者の色を消して、とおっしゃっている(「翻訳夜話」にそんなくだりがあった)村上さんの訳文にしては、「というか」なんていう村上作品に頻出する「ムラカミ語」が散見されたりして、なんだかなぁ、と思ったりもした。
格調の高さでは龍口訳に軍配が上がり、とくにそれは「ティファニー」以外の3作においてあてはまる。
この3作には賞味期限を感じさせる違和感が少ないのである。
翻訳時期だけではなく素材や舞台設定など、作品との相性といった部分も賞味期限に影響してくるのだろう。
ともあれ、カポーティの名著(個人的にはこれがカポーティの最高傑作だとは思いませんが)。どちらの訳本でも、一度お読みになっても良いんではないでしょうか。
ティファニー本店
今回小説を初めて読み、しかも映画も観たことがない私には先入観なく物語りに入っていけましたが、こんなアバズレの小説にヘップバーンが出演したの?と驚きでしたが、最後の村上春樹氏の後書きを読んで安心しました。映画と小説は筋が違うらしいですね。小説は楽しく読めました。可もなく不可もなく。
はかなく、たくましく、うつくしい。
面白かった!
オードリーの映画で有名ですが、原作は、トルーマン・カーポティです。今回、村上春樹さんが新訳で出版されました。ついつい、新訳にまんまと踊らされている私です。でも、良かった。
ストーリーは、ニューヨークが舞台。作家が数年前のまだまだ駆け出しであった頃に、階下のホリーにいろんな人が関わり、振り回されるその時を、物語ります。
ホリーがNYで過ごした現実味のない生活を、それを承知しつつ、はかないけれど、その生き様を、水に浮かぶ花びらをすくうように、やさしくつむいでいく。なげやりのようで、たくましい、そして、美しい。
映画は、みたことがありませんが、全く、映画と本は、別物と考えた方がいいと思います。それは、カーポティーも言っているし、訳者もそういっています。私も、原作を読んだ限り、絶対、ホリーは、オードリーではないと思います。誰だろう。。。今、改めて映画化するとなると、スカーレット・ヨハンソンとか、良いかも。
訳者のあとがきには、この文章には、まったく無駄が、無いそうです。ポエムのように、物語がすすんでいくのでしょうね。やはり、一度、原書で、読んでみなければ。
めちゃくちゃでせつないストーリー
まず何よりも文体が村上春樹の小説にそっくりなのにビックリ。
鉛筆は削られるのを待っているし、トーストはかりかりで、舌をこんこんと鳴らす人物。
この段階でかなり喜んでしまった(小説、最近ご無沙汰なので)。
以前に読んだことある作品だったけれど、ほとんど忘れていた。
今回読んで小説を読む楽しみをしみじみ思い出しました。
めちゃくちゃなヒロインに対する「僕」の、どうにもなりようがない想いがせつない。
冒頭で分かるように全てはもう過ぎ去ってしまい、「僕」はこの思い出の空間と良い距離を保っているよう。
けれど、まだセピアではなく、かなり鮮明な感じがします。
それもこのヒロインが凄すぎるから。
少なくとも2回は度肝を抜かれました。
そしてラストがまたグッとくるんだ、これが。
それにしても小説と翻訳の表現が似ているのって、よくあることなのかな?
こんな作品を吸収してこそ村上春樹の文体はできあがってきたのかな、と思いました。
小気味良いコケティッシュなホリーが目の前にいる新訳
小気味良くリズミカルな訳である。
英語版を読まない私は実際にカポーティがどう書いたかどうかに興味は持っていない。
訳者によってそのトーンやリズムが変わってしまうのは当たり前であり、それが村上
春樹だからといって訳の善し悪しを論じること自体は理解はできるが、重要なことでは
ないと思うのである。
重要なのは
この村上版のホリーはコケティッシュで夢想家であるところが更に更に小気味良く表れ
目の前にリアリティのある彼女の姿を浮かべることができる。
そのくらい楽しい仕上がりになっているということだ。
花盛りの家も、ダイヤモンドのギターもあわせてアイロニーとペーソスを含みながら
哀愁たっぷりな締盟感とそれでも未来への期待が表れる共感できる作品だった。
このカポーティの時代、ティファニーは今以上に尊敬され、高貴なものだった。
その頃のブラジルと同じくらい。少なくともホリーにとっては。
時代の香りがする楽しい作品。
そして村上春樹が愛してやまない作品のひとつ。
ホリデー・ゴライトリーの魅力はたっぷり。
村上春樹の翻訳という点にひかれて、初めてこの本を読んだ。
村上氏の翻訳は、相変らず淡々とした味わいで、過不足の無い感触だ。
映画も小さい時に一度見たきりでほとんど記憶に無い状態だった。
この小説を通じて、ホリデー・ゴライトリーはとても魅力的に描かれていて、楽しい読書だった。
女の子に振り回されるのが大好きな人には、とても楽しく読むことができるはずだ。
この本には、その他に3編入っている。
個人的には、最後に入っているクリスマスの思い出が、読後感がある短編でよかった。
自分が再び読み返すかは、今のところはわからない。
しかし、人には勧められる本なので、星は4つ。
読んでる自分がお洒落な気分になれる。
「ティファニー」という単語からも連想されるが、その「オシャレ」感が文章からも漂ってくる。内容は特に感動させたり、どきどきさせたりすることはなく、淡々とした印象。
しかし、なんと言ってもこれを読んでいる自分がオシャレな人間になったような気になれるのが良い。
ホリーは今日も旅行中
田舎で浮浪児のようだった娘ホリー。今や垢抜けた都会的ファッション姿で、あっけらかんとした如才なさを繰り出すばかり。ブルーなのはかまわないけれどアカはイヤ。それでも慇懃な輝きに包まれる所で畏れを知る。凛としたダイアモンドの身でないことは承知している。まるで無色透明なジェルのよう、にゅうと押し出され、射しこむ光線には鈍く光るだけ。流れることはないが固まることもない。山だし娘には、進む方向がわからない。居場所が見つけられない。野性のフットワークで、ちょっとずつ世界を広げているのだ。ダイアモンドの在りかはフレッドが知っているというのに。相棒の名なし猫も落ち着いたのに。ベイビーは消えてしまった。
ティファニーブルーに包まれるのは短編3作。
「花盛りの家」もてはやされても、身勝手な仕打ちを受けても、ときめく心は花盛り。未開の山地でも、艶やかな花街でも同じこと。
「ダイアモンドのギター」きっと安らぐときが訪れるだろう。世界の大きさは自分自身で決めればよいのだ。
「クリスマスの思い出」彼女と僕のほのぼのとした活躍、別れの季節なんて来るはずがないじゃないか。
いとおしい「クリスマスの思い出」に駆り立てられ、僕は巡り巡って「ダイアモンドのギター」の調べを聞くようになってしまうのだろうか。ギターを爪弾いていた男は、ホリーにまとわりついていることだろう。フルーツケーキを焼く彼女は、かつて「花盛りの家」の住人だったのかもしれない。すべてが身近であった世界、そこにダイアモンドは在ったにちがいない。フルーツケーキを届けてもらえたのだ。温かく包み込まれるのがイヤだったのか。すべてを自分の手元におきたかったのか。ホリーは今日も旅行中…
イノセントの魅力
いままで映画も小説も読んだことが無く、ただオードリー・ヘップバーンの有名な肘をついたポーズの写真しか知らなかった。それがよかったのかもしれない。とても情緒的で楽しい体験をすることができた。ホリー・ゴライトリーの小悪魔的で魅力的な主人公をたっぷりと楽しむ。その奔放な私生活は、逆立ちしたって勝てっこない僕をホリーはたぶん相手にもしないだろうことに、じりじりと魅了する。
『花盛りの家』は茶目っ気のあるオチを、『ダイアモンドのギター』は取り残されてしまった、でもそれが真実だと考える囚人を、『クリスマスの思い出』は、『バースディ・ストーリー』の中の一篇の再訳だが、おばあさんのクリスマスフルーツケーキがとても牧歌的に綴られている。
装丁は色も綺麗だし、キャットがいてとても愛おしい。
