- [著]岡本 太郎
- カテゴリ:
- 文庫 (261頁)
- ISBN:
- 4122026202
- 発売元:
- 中央公論社 (1996/06)
- 価格:
- ¥ 720 (税込)
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三島、川端も絶賛した沖縄旅行記の大作
岡本太郎にとっての「沖縄」のイメージが、実際の旅を通じて変遷し、確信に変わっていく様子が、易しく、素直な文章で、率直に表現されていて、沖縄に興味のある人もない人も自信を持ってお勧めする本です。
島津・琉球王国による二重の植民地的支配と重税・疫病・津波・台風・戦争によって、常に厳しく痛めつけ続けられた沖縄の人々が、諦観しつつも投げやりにならずに明るく助け合って過ごしてきた結果、形成された独特の文化、それが沖縄の文化である。意識された美、虚飾が一切なく、「生きること」に直結した唄、踊り、宗教、祭に触れた筆者は、その美しさに感激し、そもそも文化とはどういうものであるものなのかを確信しています。沖縄の文化と日本の輸入文化を対比させ、日本のすべての宗教も文化も、そもそも輸入したもので、政治的意図によってゆがめられたものであり、本来の日本人の肌になじまないものである。その結果、現在の日本人は同質化しており、自らの固有の文化を失っている。日本人の根底にある文化とは、忘れられた沖縄の地に皮肉にも残っているのではないだろうか?というのがあらすじである。
沖縄の歴史と文化について大雑把に理解でき、つまりは島唄の旋律が、どうして物悲しくも明るくも聞こえ、人を癒すのか?が、なんとなく分かったような気がしました。
なお、写真集「岡本太郎の沖縄」は、筆者が、「沖縄文化論」を執筆した旅行時に、筆者が撮影したもので、これまた、もはや貴重な返還前の沖縄の姿が切り取られています。いまは古本でしか買えないけど、貴重な一冊で、両方買って読みたいです。この写真集は竹富島の民宿にはどの家にも必ず置いてあります。
沖縄に行く人も行かないひとも、読むべし。
大方の日本人にとって、沖縄は単に海がきれいで果物がおいしい南国の島か。それとも、日本の負の歴史を背負い占領に苦しむ、かわいそうな島なのか。
岡本太郎は、前者の無責任で能天気なだけの沖縄に対する意識ではなく、また後者のような同情を持ってでもなく、沖縄の本質を見抜き、そこに逞しく生きる人々の姿を生き生きと描いている。
沖縄について多面的に考えるには最高の書であり、沖縄を通して日本の歴史や文化をも考えさせてくれる本である。読み出したら、とまらない。
沖縄を考える
丸山真男の「歴史意識の『基層』」という論文がある。
その基層の部分に溢れているのが沖縄だ。
平たくいえば、縄文時代の「原始日本」のものが溢れているのである。
北海道もそうなのだが、アイヌ民族の文化がほぼ途絶えてしまった今、原始日本を探るには沖縄にいくのが一番の方法だ。
岡本太郎の好奇心、行動力、観察力によって、その沖縄の姿がありありと伝わってくる。
買いです。
なにかの本で横尾忠則氏が岡本太郎のことを、認めたこっちの見識が疑われるほど美術界から徹底して嫌われていた、あれほど世間から認知されているにもかかわらず美術界から無視されていた人も珍しいと述べていました。確かに美術全集なんかに岡本太郎が収められていることは皆無で、以前それを不思議に思ったこともあります。ただ、大宅壮一の「売れないポスターみたいだ」の発言の通り、絵についてはキャラクター抜きには鑑賞できないものも中にはあるかと思います(僭越ですが)。すこし話がそれるようですが、二子新地のかの子の実家近くにある「誇り」は、近所に住んでいたこともあり、何度も見に通いました。すばらしいモニュメントです。同様に、岡本太郎の著作と写真にはそのキャラクターから独立した作品がいくつもあり、本書は「美の呪力」と並んで著作の代表と言えると作品だと思います。
何もないことの感動
ご存じ!『芸術は、爆発だーーー!!』のおっさん。
その人が書いた文章です。
オリジナルは絶版となり、文庫で再刊されたもの。
復帰前の沖縄の旅行記です。
芸術家とは、こんなにも感性が鋭く、そして表現が豊かなものかと
感心させられてしまいます。
短いセンテンスで本質をつく鮮やかさは現在でも色あせない。
いや、沖縄ブームのこの時代だからこそ、
余計、再認識すべきなのかもしれない。
有名なフレーズ「何もないことの眩暈(めまい)」は、その当時かなり物議を醸したとか。
沖縄好きを自認するあなた。必読の書です。
沖縄
沖縄出身の私にとって、遠い記憶の沖縄。沖縄タイム、ハジチのおばあ。今のようなきれいなものに囲まれた沖縄では昔はなかった。昔のおばあたちは汚く、生きていくための最低限度の服を身にまとい、しわくちゃだった。でも、果てしなくやさしく、人に喜んでもらうことばかりを気にしていた。時間を守る人も少なくて、時間通りに行くとなんだか損した気持ちになったし、遅れた人を気にすることもなかった。時間なんてどうでもよかったなぁ。太郎さんは物事の本質を見抜く力がすごい。
ディープ沖縄
恥ずかしながら、「芸術は、バクハツだ!」しか、岡本太郎に関する知識はなかった。
しかし、この美的感覚はどうだろう。彼が美しいと言っているものを実際目の前にしたら、私はそれを美しいと思うだろうか。
岡本太郎に、すっかり呑まれた。
イカセる!
~岡本太郎のことは何も知らない。正直ちょっとイカレタおっさんくらいの印象しか持っていなかったし、あの感性がそのまま文章になってたら理解もキツいと不安だったけど、4,5ページ読んでハマった。
何か芸術家としてのインスピレーションを与えてくれるはずだった沖縄で彼が達した結論は文化、文明として大成されたものは沖縄にはない、ただしこの何もない~~ことが日本の本来の姿ではないかということ。岡本太郎のアバンギャルドな芸術家という一面しか知らないと彼の展開する文化論に驚くことになる。あとがきを読んで知ったが岡本太郎はソルボンヌ大学で民俗学を専攻していて比較文化の下地があり、その論理的な手法の上に彼の感覚を実践的に織り込んでいくのだから面白い。
その通り!とまで納得させられる程~~ではないけれど「沖縄は日本と東南アジアの真ん中くらい」の感想しか言えない自分にとっては斬新な発想で沖縄と日本の関係をもっと深いところから紐解いていくための入門書には最適かも。上の文化論はこの旅行記の底辺にある彼の仮説に過ぎず、内容は旅行中に沖縄で出会った人、事件が中心でユーモアのある文体でイカセル(注:「いい」という時に岡本太郎が~~使う表現)。それに忌まわしい過去を引きずって感傷に終止する沖縄の人に対し「甘ったれんな!」と喝を入れちゃうところも岡本太郎だから言えるんだろうな。~
岡本太郎でなければ書けなかった沖縄
岡本太郎が感じたようにあの時代の沖縄を知ることはできないけれど、岡本太郎が感じた沖縄を知ることができる名著。
沖縄を知ろうと手にとった本でしたが、読み終えた後思ったのは、岡本太郎ってスゴイ!でした。とにかく文章に勢いがあって、どんどん読めてしまいます。
岡本太郎は本のなかで沖縄の踊りが滅んで行く姿を見たと書いてありますが、この本が書かれた時から30年近く経った今、この本に書かれた沖縄が沖縄に生まれ育った私にさえ憧景のように思え、何とも言えずさびしい気持ちになりました。
岡本太郎が今の沖縄を見たら何を想うのだろうと思います。
これも沖縄、これが沖縄
沖縄についてはあまりにも多くの楽しい本や、おもしろい本が出版されている中、この本はそれらとは内容を異にし、青い海、まばゆい太陽、と手放しで楽しんでばかりいるのが少し反省される内容である。私自身沖縄は大好きで、これまでも数回行ったことがあり、一度は民宿の手伝いもしたが、やはり単なる観光では知ることが出来ない面を知った。この本でも、単なるブームでは知ることの出来ない沖縄がある。
