- [著]エリザベス キューブラー・ロス
- [原著]Elisabeth K¨ubler‐Ross
- [翻訳]鈴木 晶
- カテゴリ:
- 文庫 (468頁)
- ISBN:
- 4122037662
- 発売元:
- 中央公論新社 (2001/01)
- 価格:
- ¥ 1,100 (税込)
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死を想え
日本の学者やルポライターにいかにもありがちな、社会研究に身を借りた「自分語り」とは
明白に一線を画した、死への過程を辿る記録。
数年前、とある講演でのこと、語り手は非常に名の知れたホスピスのドクター、前提知識に
乏しい聴衆を前に、一般論として、との前置きの下で、彼は死へと向かう人々の感情の軌跡を
説いた。それはまさにこの本が開示した、「否認と孤立」からやがて「受容」と至る一連の
プロセスであった。
そして、彼は同時に付け加えた。人的資源においてもシステムにおいても、終末期医療に
あまりに乏しい日本においては、しばしば「受容」以前の「抑鬱」を以って患者は死へと
引き渡される、と。
おそらくは、そうした社会制度の構築の礎としても有効な、今なおアクチュアリティーを
持つ一冊。
もちろん、「死を想え memento mori」、あなたの死、身の回りの大切な人の死、生を享けた
すべてのものの宿命を知るに当たっても有効な一冊。
時代を超えて
まず第一に、このような繊細なインタビューを、文字だけで追体験するのは難しいと感じました。
著者の業績の偉大さは今さら言うまでもありませんが、終末患者に対するインタビューで著者が感じた心の叫びは、言葉だけではなかったはずで、表情だとか口調だとかにも表れていたはずです。
その証拠に、各章に取り上げられるインタビューを読んだだけで、あの有名な「五段階」を見分けることは、なかなかできるものではありません。
この多数のインタビューをもって著者は「終末患者の五段階」を見出し、終末患者に本当にさしのべられるべき手を見出し、それを実行してきた。躊躇よりも愛情、興味、好奇心が優先する人柄が偲ばれます。
かの「ブラックジャックによろしく」でガン患者を取り上げている章があります。斉藤医師は「五段階」に疑問を感じましたが、患者が辿ったのはやはり「五段階」でした。
時代が変わっても、人間である以上、終末は変わらないのでしょう。
しかしま、神の存在云々という点では、日本人とは感覚が違います。
宗教の違い
末期医療のバイブル的存在と言うことだが、唯一絶対の神を信仰する欧米人と森羅万象に神が宿ると考える日本人では、死に対する反応はかなり異なるのではないかと言う気がする。いろいろ参考にはなるので読んで損はないとは思うが、日本の末期医療においてこの本を絶対視するのは問題があるように感じた。
“死”について考える機会
生きて生活する我々の世界にとって、“死”とは忌むべきもの、絶対に直視したくないもの、全ての“消滅”に過ぎないもの、という固定観念は今も根強く健在します。
ロス医師は1965(S40)から末期患者へのインタビュー・セミナーをされたということですが、現在においても“死”は人目につかないところへ避けられ、目を向けられず、“縁起が悪いだけのもの”とされています。
しかもそれが、心身を治療すべき医療現場においてでさえ、“死=失敗作品”という歴然とした烙印を押されているように思えてなりません。
1965年頃という随分前の時代であること、そこが日本と違った価値観を持つアメリカであること、抜粋されたインタビューがかなり“理性的”な人達に絞られていること、彼等は全員、幼い頃から“キリスト教(会)教育”を施されていること、それに伴い病院には当たり前に“牧師”が居るということ等‥現代の日本に住み、特に信仰や神を持たず、また別に理性的でもないフツーの私たちが、果たしてこれらのインタビューをどの様に受け入れるのか‥きっと、読む人の感性によって随分左右されるのでしょうね。
私は、この本を読むのに随分エネルギーを要しました。何か胃の辺りが調子悪くなって‥無意識に、自分も患者になって行く様な気分になってしまったからかも知れません。
でも生きている我々にとって、“死”から逃避することは不可能です。ですから必要以上に避けようとしたり、逆に恐れ過ぎる必要はないのではないか?‥と感じさせられました。
柔軟な思考を持つ若い方々、逆に身内にご不幸が訪れ始めた世代の方たちにも、是非一読して頂きたいと思える一冊です。
死の直前の人間
この本は筆者が約二百人にわたる死が間近に迫った末期患者へのインタビュー内容についてと、その末期患者たちにおこる死の直前のさまざまな心境を克明に記した作品です。我々人間に必ず訪れる死について、そして死ぬ瞬間にどういった心境や環境にいたいかを深く考えさせられました。またこの本では、そのような複雑な心境にある末期患者に対する医者の接し方の参考にもなると思いました。なので僕は、この本を最先端の医療技術だけをひたすら使いこなすことや、ただ人を助けるだけの技術だけを考えている医者や、あるいはそういった医者を目指している人たちに読んでもらいたいと思いました。そういった技術だけでなく医者は患者に対する接し方も学ぶべきだということも考えさせられる作品だと思います。
いつか必ず目の前にある主題
死の問題を扱うときに欠かせぬ名著。死の過程の図は、非常によく引用される。後延ばしにしてきたが、友人に勧めた手前、自分でもようやく手に取った。
著者の質問法、コメントの仕方、解釈には、今でこそ異論や批判があるかもしれない。が、病を患い、自らの死というものに向き合わざるをえなくなった人々の言葉は、読む価値がある。
著者がインタビューした人々は、もうとうに死んでしまったことであろうと考えると、ぐっと圧倒される迫力があった。
その後の著者の動向は横において、死の臨床というそれまで未踏地だった主題に取り組んだ業績は大きい。
終末期医療の臨床に携わる人はもちろん、臨床家でなくとも、人の間に生きていると、自分の死、他者の死がいつか必ず待っているのだから、時には死について考える機会を持つことも前向きな営みではなかろうか。
結構おもしろい
この本は1969年に出版されてから、末期医療に関わる人の「聖書」とも言うべき存在になっているらしい。ガンなどの病で亡くなる患者の死は、一瞬ではなく、五段階に分かれるという、「死の五段階説」について書かれているのがこの本の大きな特徴。まずガンを告げられた患者は「否認」の状態に入る。つまり、「俺がガンになるわけなんかない」と考える。2段階目は「怒り」である。「何故俺(私)なんだ。」という気持ち。3段階目は「取り引き」。「俺(私)が死ぬのはしょうがないから、息子が20歳になるまで生かしてください」と神や医者と取り引きをしたがる。4段階目は「抑鬱」。入院によって体力がなくなり、病気の事実を否定できなくなると、無気力や喪失感が生まれてくる。そして最後が「受容」。この段階に入って患者は死を覚悟する。この5段階は人によって長さや順番が変わることもあるという。自分は別に医療に携わる仕事をしているわけでもないし、その予定もないが、なかなか勉強になった。
知っておきたい「死とその過程」
人は必ず、生まれてから確実に「死」に向かう。
現代社会においては、自宅で家族に見守られて「死」を迎えることはほとんどないだろう。
いよいよの時は、延命の為のチューブが体中に巻きつくような状態で、ベッドに横たわっているのが大半だろう。
その人は、何を思って「死」を迎えるのか。
せめて、最後に「よかった」という安堵感を持って迎えさせたいと願うのは、わたしだけだろうか。
この本は、末期患者へのインタビューから「死」に至る心の動きを研究したキューブラー・ロス博士の渾身の一冊と言える。
そして、今生きて、元気なうちに読むことによって、「死」を直視することができ、「死」を忌嫌うものでなくなる。
さらに、「死」を間近にしている人、及び取り巻く人々への接し方を学ぶことができる。
「死」への5段階の過程で有名な著書であるが、人間の心の動きを見つめ直し、今から自分の「死」への心の準備を促させる一冊でもある。
人生の課題とはなんだろうか
語ることを怖れない。聞くことを怖れない。
たとえ、その内容が「目前に迫った自分の死・相手の死」であっても。
迷いならが、悩みながら、苦しみながらこの姿勢を保とうとするキュブラーロス。
痛みがまっすぐに伝わってくる。怒りや悲しみ、安堵も。
人生の課題とはなんなのだろうか。
語ること、聞くことの力が本書に顕現している。
言葉への信頼と、人間への信頼にこころがひらかれる。
1998年発行、新訳。故川口正吉氏の訳(1971年発行)よりも読みやすく、わかりやすい。
良書だがいくつか疑問も
「死の五段階受容説」を提唱した本として著名である。
しかし、読んでいて不思議に思ったのだが、必ずしも著者自身は「五段階の受容が段階的に行われる」とは明確に書いていないのだ。確かに、章には「第一段階 第二段階」とあり、「まず最初の反応は・・である」という書き方がしてあるのだが、ここで挙げられている具体的なケースとなると、必ずしもこの五段階をその通り踏んでいない変則的なケースの方が多い。なので、「五段階受容」と理解してしまうと、必ずしも実際にそぐわないのではないか、という疑問がある。
もうひとつの疑問は、おそらくキリスト教的死生観から来る「受容」をベターとみなす価値観である。「死」が約束されているひとは、「死」と闘おうとせず、静かに来るべき「死」と和解したほうがよい、という価値観から設立されているのがホスピスである。しかし、宗教的なバックグラウンドなしに、「死」と和解して死んだほうがよい、と言い切れるものだろうか? あくまで「死にたくない、生きていたい」と生に執着する生き方もあるのではなかろうか?
この本に関して以上のような疑問があまり表立って唱えられていないが故に、わたくしは不思議に思う。実際、日本という非キリスト教国では、ホスピスはうまく機能していないのだ。
疑問は呈したが、末期医療に一石を投じた古典であることは間違いない。日本の読者と言えども一読の価値はある名著だ。
