- [著]J.M. クッツェー
- [原著]J.M. Coetzee
- [翻訳]鴻巣 友季子
- カテゴリ:
- 文庫 (348頁)
- ISBN:
- 4151200428
- 発売元:
- 早川書房 (2007/07)
- 価格:
- ¥ 798 (税込)
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もどかし&ふしぎ
南アフリカの社会状況を描いた小説。故に非常に現代的な複雑な問題を扱っているように日本人の僕には思えた。(白人の)倫理を司る法と生命を司る法に乖離があるため、白人と黒人の優位が逆転していく物語。(なぜだかこれが我々には恐ろしい出来事に思えてしまうのが妙。)
かなり後半まで付きまとう、主人公の娘の「わからなさ」。
この感覚が西洋文化圏のものなのか、日本文化圏のものなのかわからないが、娘の「論理的じゃない」と感じてしまう決断(「黒人」のレイプ犯を警察に訴えない、また犯される高いリスクをしょっているにも関わらずその土地を離れない、レイプによって妊娠してしまう子どもを産もうとする、脅迫紛いな結婚を処世術として受け入れようとする、など)のわからなさを通して、西洋文化の倫理感の思い込みを告発する作品。
個人的にも読んでいて非常にもどかしく、そのもどかしさ自体に作品の意味があることを感じながらよんでいたので、シュルレアリスム小説を読むような不思議な感じでした。
負け犬に犬
「なんという屈辱だ」
「あんな大使を抱きながら、こんな末路を迎えるとは」(本文より)
南アフリカを舞台にした、「負け犬」小説。
女子大生に手を出した大学教授がその職を追われ、田舎に落ち延びていく・・・
プロット的には、どこぞのメロドラマかと思わせるが、どちらかといえば、職を追われる転落自体はたいした問題ではない。
なぜなら、当の教授本人は、女子大生との問題や自分の性欲に、ちっとも悪びれていない。
諮問官にけんかを売ったり、バイロンに逃避してみたり、ひねくれて頑固、どうしようもないじいさんだなあと半ばあきれてしまう。
しかし彼は、自分にふりかかる災難から逃げようとはしない。
嵐が過ぎるのを待つように、災難にひたり、やり過ごし、そしてその中でなお生きる。
教授とその娘ルーシーの、恥辱まみれの中で淡々と生きる、その姿がなんとも不思議だ。
全体的に、「犬」感がただよっている物語。
負け犬の教授が、やがて犬の世話をするようになる。
「犬のように」「ええ、犬のように」という、親子の会話。
もはやどちらが犬なのかわからなくなってくる最後のシーン。
救いもなく、最後まで下りっぱなしの話だが、それでも読後感はそれほど悪くない。
主人公がここまで罰せられるのなら、どこかで救いがあるはずだという読者心理をきれいに裏切っておきながら、それでもなお淡々とこのおじさんは生きていくのだろうと思わせる結末。
恥辱にまみれ、それでもなお生きる。
「自殺」の選択肢がこれっぽっちも出なかったことに、読み終わったあと気がついて驚いた小説でもある。
救いはどこに……。
この小説を評価した人たち──ブッカー賞の選考委員の面々など
は、おそらくこの主人公とおなじく、
インテリのおじさんたちなのだろう(おばさんもいるだろうけど)。
大学教授が、教え子に手を出して、
というのは、世界中に掃いて捨てるほどある
実にありふれた話。
でも、だからこそ、
よく考えてみると、選考委員の人たちにも
「可能性」はまったくないとはいえない、話だ。
この「可能性」に反応するのが、
文学的な感性なのだろう。
とにかく、世のインテリおじさんに、
身につまされる本を、
これほどまでにも濃密に書ききってしまう
クッツェーという人の筆力はものすごい。
(そして翻訳もいい。)
不幸の坂を、あっというまに転がっていって、
それでもまだ懲りなかったりした果てに、
ようやっと見つけた「愛」のありかたは、
おそらく主人公も読者もまったく想像だにしなかった
かたちの「愛」だ。
最後の最後まで、目を離せない。
読めてよかった1冊。
さすがノーベル賞作家
ノーベル文学賞作家のJ.Mクッツェーという人の本。
内容は52歳の大学教授が、パワハラで職を追われて…というところから始まる。
最初はこの教授のパワハラとさの相手の話なのか、恥辱というのは、その相手の話か…と思って読んでいたら、全然違う話で、もう泣き面に蜂というか、坂道を転げ落ちるように奈落の底にというか、禍福はあざなえる縄の如しどころではなく、禍禍一直線…というものすごいストーリー。
たださすがノーベル文学賞というだけあって、文章が大変学問的で高度。ストーリーがワイドショー的なのに、オペラや戯曲を中に挟んで、大変わかりにくく理解するのに時間がかかる。
では、恥辱とは一体何なのだろうと思われるかもしれないが、それは読んでのお楽しみ。学生を隷属させようとした大学教授は最後は自分が黒人に従わされてしまうまでとことん落ちていく、しかも奇想天外な話の中で。
かといって、筒井的なハチャメチャではなく、ちゃんと当時の南アフリカの白人対黒人の問題や民族の戦い、風土などが絡み合っているという、恕拳系の話でもある。
参りました
南アフリカが舞台の小説です。性、老い、死、家族などの様々なモチーフが内包されており、それらの背景で、人種間の軋轢が引き起こすマグマの胎動が、遠くから地鳴りのように響いてきます。評者はこの小説によって初めてアフリカの黒人の胸にあるものを理解したような気持ちになりました。理解、ということは共感や肯定とは別のことです。たとえ自分がそれほど好感を持たない種類の事柄であろうとも、目の前に存在することを見ないわけにはいかない。評者は主人公のデヴィッドと共に、こうした認識にたどりつきました。強い苦味とともに、読書によっていささかでも成長するよろこびを感じたのでした。
クッツェーって誰?の私も虜に
駅前のスタンドで何気なく手に取り、そのまま引き込まれました。
大学での不本意な異動、セクハラ退職・・・このあたり、日本の文学部の教授にも、正にそのままの人がいそう。でもその後の展開は、やはり南アならではの矛盾と苦悩に満ちていました。
「果てしない転落」と文庫の帯にはありました。確かにそう、でも行き着いた「果て」で、主人公は自分以外の誰もしようとしない仕事を引き受けます。
人生とは受容なのだ、と感じました。馬鹿な男が、最後は確実に何かを悟っている。その意味では爽やかでした。
