10代で読んだときは、最後まで読めませんでした。
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[No.14] posted by kaizen
10代で読んだときは、最後まで読めませんでした。
悲しい物語を、読んで、自分が何もできないことを知って、途方に暮れていました。
完全版が出たこともあり、文庫にもなっているので、大人には手軽に読めるようになっていることを知りました。
今度、図書館で見かけたら、ぜひ読んでみようと思っています。
War ourselves.
[No.13] posted by MATHMATICS
第二次世界大戦時のドイツの愚行を記した資料は数多く存在するが、本書はそのなかでも一人の純真で知的な少女の手記から当時を垣間みることが出来る。主観的な物の見方や個人的な体験等の記述も多く見られるが、それゆえに、生活や現実性が伝わってくるので他のホロコースト関連の著作、ルポとは一線を画し名作として語り継がれている所以なのだろう。昨年に、ドイツがユダヤ民族に対して謝罪をしたことがニュースになったことは本書の効用もあったのではないだろうか。
よく判らないけれど、感じたこと。
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[No.12] posted by モテキチ
嘘か真か。日本人の性格なのでしょう。
だから、幕末の作家が書いた豊臣秀吉の「信長の草履」の話もザックリと切られました。壮大な物語にしたかったのでしょう。誰にでもある欲求だと思います。その問題は。
「草履ではなく下駄か。胸で暖めていたのか背中か」
太閤記は昔から様々な人間によって書かれてきましたけど、近代になるにつれて話が大きくなっています。
…多少…どうでもいいかもしれないなぁ、と思ってしまいます;
アンネちゃんの、この日記は、作品であるか、唯の日記か。との問題で、これも同じような事なのだろうか。と思いました。
多分、翻訳する時点で、何かの気持ちが入ってしまい、日本語的に微妙なものになってしまったり。
しかしそんな些細な事ではなく、世界が動いて「嘘か真か」と騒いでいます。
草履と一緒にしては駄目かな、と思いつつも「…平和だな」と感じます。
お父様は大変…というか、あんなところに閉じ込められていたのが本当ならば、暇でしょう。
では、何を言うか…というと、フランク家がいかに立派か。そして世論をひたすら喋るかもしれません。アンネがそれを聞く事はあったかもしれません。
日本の小学生でも、父親がそんな話をすれば、堂々と作文に書くでしょう。
「受け売り」というものでしょうか。
確かに生き残ったお父様は、アンネの日記がもし、本当にあるならば…
「お父さんの言っていることは、結局過去の話で、私にはピンとこないし、同じ事ばっかで聞き飽きた」
と、正直に書かれていたら、書き直すでしょう。
全て目を通し、アンネが書いたものは落ち着きのない大人の喜劇だとしたら…。
捏造するかも;
アンネはとてもしっかりした子どもだと思いました。写真で見た本人を見た感想です。
そして、アインシュタイン(こっちはヒネクレた男性ですが)と似ている笑顔だと思いました。
とてもイタズラで活発で、ユーモアが溢れている笑顔だと思いました。
「お父さんが一生懸命平和を訴え、自分を偉く見せたい事に必死で、頑張って女の子の本を書いている。でも無理。そして作家に依頼した。世界中が嘘か真か論議をしている。技術は進歩し、最新の技術でこれは嘘である、と発表した」
のが本当であったならば。
もしかしたらアンネの性格ならば天国で笑っているかもしれません。
草履と一緒にしてしまってはいけないかもしれません。いや、確かにいけないのですが。
まるで喜劇のようで、大声で笑ってしまいます。
「これこそが平和だ」と。
彼女の日記を読んで、色々出てくる疑問に大人が必死になっている。
結果オーライという事で、アンネが一番欲しかったものが形になっている。
平和、というのはこういう事なのかもしれません。
「遠い世界の、昔の話」では無い。
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[No.11] posted by スプーン
小学生時代に図書館のポスターで知ってから早20年。。。
やはり読んでおきたくて購入しました。
読み終わっての感想は、
「この娘の日記をもっと読んでいたいなぁ」という感じでした。
なんというか愛着がわいてきます。このアンネという娘に。
その分最後のページの「アンネの日記はここで終わっている」の一文が重く響きました。
この文春文庫さん版の表紙のイラスト、好きです。
不思議な部分も多々あり
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[No.10] posted by 新宿御苑
初めて読んだのは中学2年のときで、読み終わったあと、アンネの悲惨な運命を思って大泣きした。だが、いろいろと不思議な部分も多いなと思った記憶がある。
いちばん驚いたのは、歯科医のデュッセル氏が新しく隠れ家に来たとき、ペーター少年とではなくアンネと同室になったということである。思春期の少女と中年男性が寝室が一緒だなんて、アンネがよほど子ども扱いされていたのか、国民性の違いかと思ったものだ。
隠れ家の生活についても、普通の事務所にパンや牛乳が配達されたら怪しまれるだろうし、ファン・ダーン夫妻はよくどなりあいの大喧嘩なんかできたものだ。事務所の人たちは「後ろの家」は隣の建物に属しているものだと言い張っていたそうだが、建物そのものをみればどことつながっているかは一目瞭然だろうし・・・。
他書を読むと、隠れ家のユダヤ人たちの存在はかなり早い時期から気づかれていたということだが、さもありなんという感じである。
日記についてはボールペン疑惑、筆跡の不一致などの疑惑もあった。日記の真贋論争はもう決着がついているようであるが、こういった論争がおきても不思議はない、という気がする。
centrist
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[No.9] posted by きんぐ研究会一同
「世の中には善神アフラマズダと悪神アーリマンがいる」これは人類でも最も旧い宗教の1つの考え方である。実際善悪問答に於いては欧州知識人は好んでこの引用をする。
さて世の中には良い捏造と悪い捏造があるようだ。良い矛盾、悪い矛盾が存在するという。アンネの日記は善神アフラマズダに依拠するようだ。むろん「きけわだつみの声」もそうだ。なぜなら「ドイツ学生の手記」のように誰も手を加えないと、善なるものとして扱えないからだ(ゆえに聞いたことのない人も多かろう)
そういえばアンネの日記に関しては『アンネの日記 研究版』(文芸春秋)を挙げる人が多くてもわだつみでは『わだつみの声の戦後史』に触れる声は少ない。なぜだろうか。
善悪の闘いは古代から何も変わらない。何も。
人間は霊的に進歩するとは誰の言葉だっただろうか
日記のあとで起きたこと
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[No.8] posted by ライポン
日記の真贋論争はすでに決着のついたことなのでここで蒸し返す必要
はないだろう。確かに14〜15歳の少女が書いたにしては世慣れた感じ
のする文章ではあるが、本好きの少女の本から得た言い回しと思えば
別に不思議はない。観察力・言語力の優れた少女の類い希なる真実の
記録である。
1944年8月1日でこの日記は終わっている。この夢と希望に満ちあふれ
た少女がこの後どうなったか我々は知っている。知っているが故に、この
日記の突然の中断は底知れぬ恐怖と絶望を我々に与える。
そしてこれが同じ人間によって引き起こされたことだと思うたびにこの本の
重みは益々増し、永遠に読み継がれていくことであろう。
あれから60年。何が変わったのだろうか・・。アンネは今どこにいるのであろうか。
限りなくノンフィクションに近いフィクションだと思う
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[No.7] posted by 京都堀川姉小路『万物創造房』
日記と書いてあるのでリアルタイムで当時書いたもののそのままの出版と思われがちだが
実際は
本にするためアンネ自身が書き直した日記をさらにお父さんが編集したものが一般的な「アンネの日記」なのである
その辺の認識がないと「騙された」ということになり捏造疑惑が湧いてくるわけであるが・・・
確かに思想的な思いを書きなおしの際に含めたり、都合の悪い事は削除したりした可能性は多々あるし、読んでいてひっかかる部分もある
しかし、それではまるっきり嘘ばかりで真実がないかというとそうでもない
ドキュメンタリーであれ、ニュースであれ
人の手を介した以上、何かしら意図がそこに含まれることは仕方ないし
(これは翻訳の際の言葉選びにも言える)
完全なノンフィクションなど存在しないわけで
全てが真実のような既存の売り方にも問題があるが
この本全てを「真実だ」とか、「捏造だ」とか白黒しかないような論戦は実にくだらない行為だと思う
個人個人がリライトであることを踏まえて読み、どの部分が真実でどの部分が違うのかそれぞれ大戦中に思いを馳せて考えて判断すればいい
現在、その判断に一番最適なのがこの「完全版」
オリジナル日記と書き直し版日記を足して編集し、お父さんが削除した部分も補完してあり
現在出ている中では一番オリジナルに近い
あと、子供の書いた日記にいちいち整合性がないとか言うのもどうかと思う
特に日記なんかはその日の思いつきで書いてるんだし
とにかく
従来の「アンネの日記」を呼んだ事がある全ての人がこれをもう一度読むことをオススメしたい
アンネの日記は創作小説である
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[No.6] posted by 煙の末
結論から申しましょう。アンネの日記は創作小説です。事実を書いた日記どころか、アンネが書いたものですらありません。当然その中に書かれている内容は全て作り話です。しかしアンネの日記支持者共は平気でウソをつきながら体裁を保とうと必死になっています。それをこれから一つずつ打ち砕いていきましょう。
「問題のボールペン・インクによる記述は、最初の文書鑑定(1960年)の折りに紛れ込んだ小さな二枚の紙片に見られるに過ぎず、日記の内容に影響を与えるものでもなければ、当然アンネ・フランクが書いたものでも、ましてやメイヤー・レヴィンが書いたものでもない。」
というウソを、アンネの日記支持者はよく言います。
しかしドイツの裁判では、そんな小さな紙切れ二枚の鑑定などしていません。第四章全部が、ボールペンで書かれていると鑑定している。『小さな紙切れ二枚の鑑定』はすり替えにしか過ぎません。
「アンネ・フランクの手書きのテキストについては、1981年にオランダ国立法科学研究所において、紙質、インク、糊などに関する文書調査と筆跡鑑定が行われた。筆跡鑑定は、フランク家、知人、同級生などから提供されたサンプルを日記と比較して、視覚的特性はもちろん、加齢に伴う字体の変化、筆圧の傾向など様々な側面からアプローチが行われた。調査の全容は270頁の鑑定レポートに纏められ、結果、日記本文は1942年から1944年の間に、アンネその人によって書かれたものと結論付けられた。」
このようなウソもよくつきます。
しかし、そもそもこの記述には出展が全く明らかになっていない。ネット上で類似の情報を探しても何も引っ掛かってこない。『81年にオランダ国立法科学研究所において、紙質、インク、糊などに関する文書調査と筆跡鑑定が行われ、結果、42年から44年の間に、本人が書いたものと結論付けられた』というのも、出典不明である。つまり、便所の落書きと同じで根拠がない。
しかし、アンネ・フランクは実在しました。このことに異論はありません。問題は「アンネの日記」は、本当にアンネ・フランクが書いたものなのか、そこが問題である。1988年、アンネがアメリカの友人に送った1942.10.10日付の手紙が発見され、その筆跡と公刊されている「アンネの日記」の筆跡とが違うことが露見した。
ここに写真は載せれないが、アンネが書いた自筆の手紙は左に傾斜しているやや丸みを帯びた可愛らしい字で、一方アンネの日記の筆跡は右に傾斜した力強い字となっている。筆跡鑑定のプロが見るまでもなく、我々素人が見ても一目でわかるほど筆跡が違うのである。
筆跡が違うなら書いた人物が違うということです。単純なことです。なぜ、このように苦し紛れの偽作説否定をするのか、ユダヤとの関係を疑ってしまいます。
以上の理由から、アンネの日記はアンネ以外の人物が戦後に書いた「創作小説(作り話)」であることは明白です。
何度も,時を置いて、読み返してみたい…。
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[No.5] posted by crazy-espace-driver
…小学生の頃,集めてた戦車のプラモデルに付いてる解説や戦争映画を見て,何とな~く他の子より戦争を知っている気になっていた僕は,ならば犠牲者のことも?とこの日記を手にしました。(少なからず,時代は違うものの同世代の女の子の日記を覗く?好奇心もあったことを告白しますが…。)…結果,膨らみ過ぎた期待?は、あまり満たされなかった気がします。少なくとも、その後,程なく触れた「夜と霧」,特にその映像は…衝撃的でした。
…数十年後,アムスのアンネ・フランク・ハウスを訪れ,想像より遥かに広い??小奇麗にされたそこに,あの、アンネがいた…実感は薄く、正直、期待外れ!?でした。アンネの父オットーの…アウシュビッツで自分の家族が、目の前で引き離されて行く時の気持ちは、もう続けることが出来ません…という回想を目にする迄は…。この時、僕は,アンネと同じ年頃の女の子の父親になっていました。展示の前で,なかなか動こうとしない父親の顔色を窺おうとする娘に、思わず見られまいと暗い天井を見上げてしまいました…。
…改めて日記を手にすると、子供の頃は気付かなかったことに共感することも多いのですが,アンネが早熟過ぎたとは思いません。…時代がそうさせたのでしょう。今の時代は…?オットーと同じ気持ちにはなりたくない,誰にもなって欲しくない…あどけない娘を見ながら、つくづく思いました。