- [著]シェイクスピア
- [翻訳]安西 徹雄
- カテゴリ:
- 文庫 (287頁)
- ISBN:
- 4334751016
- 発売元:
- 光文社 (2006/09/07)
- 価格:
- ¥ 560 (税込)
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悪事は自らに跳ね返り、悲劇を生む
3人の娘を持つリア王が強烈なエゴを抱いて無慈悲な行いを末娘に
行うところから、様々な人物のエゴが錯綜し悲劇へと繋がります。
16世紀の作品ですが、その頃から人はエゴに支配された生き物で
数世紀を経て何も進歩していないことに改めて気づかされ、また
本書が持つ時代を超えた普遍性に驚き、
更に競争が第一義となったこの世の中で、本書が示す単純で明快
な教訓=人が人の為に生きる(人を思いやる心を持つ)ことの大
切さ、にハッとさせられました。
今の時代では、このような純粋なテーマや設定で物語が描かれる
ことは不可能だと思うので、優れた含蓄のある古典として一読の
価値があると思います。
怒りや悲しみで狂気を帯びていく主人公リア王の迫力
シェークスピアの悲劇の一つ、「リア王」。表向きの愛情表現に惑わされて姉娘二人に財産を譲ったものの、たらいまわしにされる姿は現代の家族像にも投影され、そういった演出もされる劇である。安西訳は言葉使いも現代風であり、すらすらと読み進める。舞台上の動きまでが想像できる活き活きとした文章である。「傍白」という言葉にまで注釈がついている親切さは、そこまでしなくてもとも思ったが、シェークスピアを難しいと思わずに読んで欲しい、という心遣いが感じられる。
怒りや悲しみで狂気を帯びていく主人公リア王は何度読んでも迫力がある。それぞれの思惑で行動する姉娘たち、エドガーやケントの身分を隠した行動の二重性が生み出す複雑な設定など、楽しめる要素がもりだくさんなのは、やはりさすがシェークスピア。これまで難しい、と思った方も、もう一度読んでみてはどうだろうか。諧謔やひねりの利いた道化の台詞も、わかりやすくなっている。
巻末には劇作家で研究者でもある著者の「シェイクスピア小伝」「解題」「年譜」つき。当時の演劇事情も良くわかる。訳者あとがきも「タネ本」や「悪名高いケイト版」に言及し、この作品の特徴をよく伝えてくれる。
光文社の古典新訳文庫シリーズは、どの訳者も力をいれて良いものにしようとしている姿勢が感じられる。古典に限らず、良い訳本をこれからも期待したい。
古典を新しく・・・
とても理解しやすく一気に読みました。
ただ「シェイクスピアの古典の世界」と「文章の新しさ」が、
僕の中で微妙なズレを生んだような気がするようなしないような・・・。
ただその分、話を理解できたことは確かだと思うので、
これを読んだ後に、「いかにも古典的な訳」で読むともっと面白いかなぁと思いました。
甘言こそ人生を誤る悪魔のささやき!
リア王は、人生の最晩年を、最愛の子供たちの愛情と献身に包まれてすごそうと夢見る。
そのため、生涯のすべてをかけて戦い取り守り抜いた王位を譲り全領土を3人の娘に平等にわたそうと決意する。
みかえりに、ただ1つ願ったもの。
娘たちからの、贈り物に対する感謝の表明、いつまでも父を世話しつづけるという忠誠の誓い、惜しみない愛を、老い先短い期間にそそぎつくしてくれること。
哀れな王は、長女と次女の歯の浮く安い言葉に満悦する老人に成り下がっていた。
三女の控えめだからこそ真実の、精いっぱいの愛・誠意が理解できなかった。
忠臣ケントの命がけの忠告も耳に入らぬ老いぼれに変わっていた。
悲劇は急激に終幕に向かう。
王国の混乱につけ入り、2人の姫をたぶらかし、王国を奪おうとたくらむエドマンドの計略にかかり、長女は次女を毒殺し、自害する。三女はエドマンドの放った殺し屋の手にかかる。リア王は絶望のうちにいき絶える。
かかるまでの悲劇を前にして吾は叫ぶ!
ああ、三女コーディーリアにもう少し叡知があれば... 姉2人の2枚舌を暴露し父を目覚めさせていたら!
ああ、三女コーディーリアが父の老いの限界を読み取り、もう少し多弁に、父の喜ぶ言葉をかけていたなら!
ああ、忠臣ケントがもう一歩踏み込み、コーディーリアの庇護者となり、姉2人から王をお守りできたなら。
ああ、ケントが王国をリア王から受け取り善政を施してくれたら。
ここで新渡戸の「武士道」論とからめたい。(岩波文庫 p.85)
妄念邪想にとりつかれた主君は、「あらゆる手段をつくして正す」ことに務めることは大切である。
もっと大切なのは次だ。
それでも主君が目覚めないときはどうするか。
ケントのように悲劇の目撃者として終わるか。
「武士道」論のごとく「主君をして欲するままに我を処置せしめ」るのか。
第3の道、リア王に御退陣して頂く方を取るのか。
「武士道」の忠義論は非人間的であると主張したい。
人間の中の醜さと対峙して
人間の中にある醜さがほとばしり出ています。
近代が人間に隠すよう要請した醜さと対峙することができました。
苦しかったです。
しかし、その醜さを受け入れると落ち着きました。
小生は「本来の人間」を取り戻せたようです。
3時間半、つまり実際の上演時間で読めた
トリィ・ヘイデンの名著「シーラという子」の続編「タイガーと呼ばれた子」に出てくる話。虐待されて育った少女シーラが、警察署の廊下で一晩を過ごすことになり、ポケットに入ってたシェイクスピアの「アントニーとクレオパトラ」をなんとなく読み始めた、というエピソードがあります。
最初は何が書いてあるかすらわからない。だけども、繰り返し読んでいると、意味が通じてきて、しまいにはなくてはならない本になった、と。その後シーラは施設を転々としたりするわけですが、その間つねにシェイクスピアを手放さず、後にその本をくれた先生に「ありがとう」と言うのです。
これを読んだ直後、シーラと同じ体験をしたくて、シェイクスピアの翻訳を買いました。例の、有名な人の訳っす。
全然、理解できませんでした。
格調高い訳文なのだと思いますが、頭に入ってこないのです。おかしい。俺は、ろくに教育も受けてないアメリカの不良少女に読解力で負けてるのか?と悩みました。
そんなわけで、シェイクスピアは私のトラウマだったのですが、この「リア王」は違いました。たしかに私たちが普段使う日本語じゃないのですが、わりにすらすらと頭に入ってくる、場面が目に浮かぶ感じです。
「リア王」は翻案されて黒澤明の「乱」になったことで有名です。それだけではなく、私は読んでいて宮崎駿「ナウシカ」(漫画版でトルメキア王と道化のやりとり、3王子とクシャナの関係など)を連想したりしました。変装してリアを守るケント伯とか、風車の矢七みたいだよな、と思ったり。これまで、こっからいろんな人がいろんな引用やら借用をしてるんだ、と気づきました。
訳者のことばにあるように、この戯曲はフルサイズで3時間半とか4時間の上演になるんだそうです。その時間内で、ストレスなく読める翻訳です。古い話ですから、意外にあっさりした話です(書かれた当時は凄かったんでしょうが)けど、何しろ原典です。読んで損はない。名セリフがいっぱい出てきますが、誰かの引用で読むんじゃなくて、ちゃんと流れの中で読むのは楽しいです。おお!と総毛立つ台詞が出てきますよ。
早く「アントニーとクレオパトラ」を訳してほしいです。この人の訳なら、読めるんじゃないかなと。楽しみです。
