- [著]ロバート ライシュ
- [翻訳]雨宮 寛
- [翻訳]今井 章子
- カテゴリ:
- 単行本 (379頁)
- ISBN:
- 4492443517
- 発売元:
- 東洋経済新報社 (2008/06/13)
- 価格:
- ¥ 2,100 (税込)
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頭から離れられない
ちょっと、私には荷が重いテーマなものの、とても考えさせられる内容であり、頭から離れられないです。
今日の一部の最富裕層にのみ富が集中する格差の問題等、「市民」としての私たちにとって望ましくないことが起きてきているのは、 超資本主義の力がますます強まり、民主主義の力が失われていることによるのだとのことです。
しかし、そのような状況を生み出したのは、少しでも安いもの、少しでも多くの儲けを要求する、消費者であり投資家である他ならぬ私たち自身なのだとの指摘。
その前半部の、現在起きている問題とその原因の捉え方は鮮やか。
何か漠然と感じていたパラドックスのようなものを見事に説明してくれており、
資本主義と民主主義の関係・状況、私たちの二面性、という点について
言われてみて気付かされ、それだけでも非常に味わい深いものがありました。
しかし、もっと驚くべきは後半部で、その解決策。
「企業の社会的責任」では、解決にならない、というところが目からウロコで、また、果たして全面的に受け入れてよいのだろうか?と考え込んでしまうのです。
そして実際、物議を醸しているようですが、、、。
それにしても、ものすごい説得力!
私は説得されちゃいました^^
経営ビジネスという観点から会社の方向性を決める立場の人にはぜひ読んでもらいたい本。
アメリカ発の金融クラッシュが現実のものとなりつつある今日。
なぜそうなったのか、本質的な問題にひとつの答えを出しているのが本書である。
そのことを、クリントン政権での労働長官、そして、今や、オバマ候補の政策ブレーン
というアメリカの政策に大きな影響力を持つ著者が述べていることの異議が大きいと思う。
異常なまでの超資本主義国家を作り上げ、自ら破綻の道を歩んでいるかのように
感じる現代のアメリカ。本書を読んで感じるのは、国家も組織もバランスを
崩すと持続可能とは程遠いクラッシュに向かってしまうのだなという点である。
経営ビジネスという観点から会社の方向性を決める立場の人にはぜひ読んでもらいたい本。
クル−グマンはライシュを「政策プロモ−タ−」と批判してます。
ライシュがオバマ政権に参画するという情報が本当なら、
読んでおく必要はありますね。ただ、08年度ノ−ベル賞の
クル−グマンはライシュ氏を経済学の専門家ではなく
弁護士上がりの、政策プロモ−タ−だと批判しています。
経済政策を売り歩く人々―エコノミストのセンスとナンセンス
政権に影響力のある人間がどんなに
いい加減か知るためにも読んでおく必要はあるでしょう。ライシュの前作
ワ−クス・オブ・ネイションズ
ザ・ワーク・オブ・ネーションズ―21世紀資本主義のイメージ
もベストセラ−だったし。文章が巧みであるとは思います
卓越な事象の説明
多くの個人が二面性をもっていて、それが本人の意思とは別に企業や政治を動かしている。という議論は極めて説得力があります。 確かにその通り。僕も近所の電気屋さんじゃなくて量販店でテレビを買います。
でも何が起こっているかの説明にページをとられすぎ対策についての議論がやや弱い。(一部事実が違う云々は本質とはあまり大きな問題ではない気がします)
日本の場合は米国ほどロビイストは多くないけど、それは政治家が政策立案能力がないってことを暗黙知として皆知ってるから。
頑張っているのは農村の人達と建設業界ぐらい? 地方の活性化という美辞の下。
日本においては真に政策を作る力を持ってる(であろう)お役人様を企業が接待することで自社、自分の業界の利益導入をしているってことなんだなぁ、とこの本を読んで思いました。 無駄金の絶対額の少なさという意味ではまだ日本の方がましかもしれない。50歩100歩ではありますが。
資本主義の暴走を許したのは、あなたであり、私である
題名が示すように、「最近の資本主義は常軌を逸しているのではないか」という基本認識から本書はスタートします。
では、なぜ資本主義は暴走してしまったのでしょう。
最近読んだ『格差はつくられた』では、「要するに共和党の“保守派ムーブメント”が悪いのだ」と犯人を示してくれました。しかし、本書著者のライシュは違います。
資本主義の暴走を許したのは、あなたであり、私である。
消費者としてのあなたが少しでも安いものを求めるから、また投資家としてのあなたが少しでも株主利益の多い投資先を求めようとするから、企業は従業員の給料を減らし、有能な経営陣に高額な報酬を与えるようになるのだ。
――これがライシュの答えです。
具体例として、ライシュは自宅近くの個人書店のケースを示しました。
何年も前から地元の個人書店をひいきにしていたライシュですが、ある日自分の本棚が、大型書店やアマゾンで買った本ばかりになっていることに気づきます。近所の個人書店に足を運ばなくなっていたのです。
ライシュ一人のせいではありませんでしたが、とうとう個人書店は閉店してしまいます。
苛烈な資本主義への道を後押ししているのは、消費者や投資家としての自分自身だったとは……。
誰のことばか忘れましたが、
「他人の不幸の上に自分の幸福を築いてはならない」
との戒めがあります。
知らず知らずのうちに、他人の不幸の上に自分の幸福を築いてしまう社会システムは、何とかしなければなりません。
しかし、自分一人が消費者としてわざと割高の商品を買ったとしても、何の解決にもなりません。
ライシュの示す解決策は、「購入や投資を個人的な選択ではなく社会的な選択にする法律や規制を作ること」です。日本でも最近よく耳にする、行きすぎた「規制緩和」を元に戻そうという意見と同じ潮流なのかもしれません。
著者こそが暴走している。
☆一つ付けた理由は簡単です。記載情報に偽りが多数あるからです。別に著者の考えを肯定するとか否定するとかナシに、この書は酷い。あたかも真実のように情報を記載して読者を信じ込ませ自分の思うように考えを植え付けようとする悪書ではないかと思うのです。それも虚実がすぐ分かる出来の悪いプロパガンダです。
例えば本書の106ページに記載のある日産の記述。「カルロスゴーンは日産のトップとして
ほとんど伝説的な存在となった。彼が乗込んできた2001年、日産は200億ドルの赤字で世界市場シェアは27年間下がり続けていた。」とありますが、ご存知の通り2001年度の日産は3000億弱の営業黒字です。その前の2000年度は6000億程度の営業赤字ではありますが、どう換算しても200億ドルには届きません。(それに1999年に発令されたリバイバルプランの特損計上が6000億の赤字にかなり含まれているはずです。)。大体売上が6兆、総資本額が3兆程度の企業で1年で約2兆の赤字計上すればほぼ倒産してます。
このほかにも例えばこんな記述もあります。「2005年時点でのビルゲイツの資産は460億ドル、ウォーレンバフェットの資産は440億ドルだった。これに対して、2005年時点での、資産額下位40%を構成する1億2000万人の米国人の総資産額は950億ドルだった。」とか。幾ら平均いかだからと言って1人当たりの資産額が10万なわけないでしょ。と突っ込み入れまくりです。(因みに2001年度のアメリカ国民の総資産額は4000兆程度。ジニ係数もそこまで高くないアメリカだったら平均以下の合計でも400兆程度はあるはず。)
まぁ、上記は本当に氷山の一角です。本書にはこれらが1ページに幾つも散りばめられている。そんな偽りばかりが記述された本は正当な事を言っていても何も信じられません。
大きな問題提起
米国の資本主義と民主主義の保たれていた均衡が経済のグローバル化により崩壊する。
経済の力が消費者と投資家の権力を増大させ、「超資本主義」が民主主義を蹂躙する。
超資本主義が優勢になればなるほど、格差の拡大、雇用の不安定、環境問題など
その負の部分が社会に蔓延するようになる。これらのプロセスが実によく描かれている。
超資本主義が勝利した米国の状況が今や日本やEUでも起こり始めている。
資本主義の負の実相をよく表していて、この問題提起に対して民主主義が資本主義との
折り合いをどのように付けていくのか、深く考えさせられる一冊だ。
現代社会を理解するための必読書
アメリカにおける資本主義は構造的に変質した。一部の大企業が規模の経済を活かして寡占状態を維持しつつ、さまざまな利害を調整することで、われわれの市民としての生活をも向上させてくれていた時代は、1970年代に終わりを告げたのである。そしてそれ以降、つまり「超資本主義」の時代においては、技術革新やグローバル化、規制緩和の結果として、消費者と投資家の利益のみを目指して行動する企業群が登場し、地域社会の解体や環境問題、低開発国における人権侵害、高い所得格差などの大きな(市民的?)弊害が生み出されてきたのだ。
こうした「超資本主義」をめぐるライシュの議論は明快であり、種々の事例に沿った解説には説得力がある。また政治家や経営者の欺瞞性やCSRの偽善性などに対する舌鋒鋭い批判は、政策の裏を知り尽くした人だけに書けるものであると思う。本書がわれわれの生きている「超資本主義」社会を理解するための必読書であると考える所以である。
「超資本主義社会」において、失われてしまった市民的行動、つまり民主主義的原則を取り戻すには、一言でいえば、企業に何かを期待するのではなく、アトムとしての市民が自らの主張を政策に反映できる環境を作っていく必要がある、とライシュは考えているようだ。そのためにまず肥大化した企業の力を削ぐような政策が提言されてもいるわけだが、それと同時に個々の市民の側も現状を正しく認識する目をもち、企業のPR活動を真に受けないだけのメディア・リテラシーが必要なのではないだろうか。試されているのは、われわれの市民としての質でもあるのだ。
地球規模で進む大きな流れをベースに考えたうえで、われわれに潜む消費者と勤労者という二面性をよく考えて行動しなければ、とんでもない時代に突入してしまうと深く考えさせられた。
シャッター通りの商店街、進む貧富の格差、また原油や原材料が高騰しているのにインフレにならない現象、これらにみられる今世界中で進行している経済現象の背景にあるものこそ著者のいう「超資本主義」である。
現代はインターネットに見られるように、消費者が一番安いものを手にいれる強力な道具を得て、旧来の大企業は急速に価格決定力を力を失った。代わりに、ウォルマートのような徹底した低賃金による販売価格の安い企業が増加している。
そう、格差問題、低インフレ、などは世界中で進行している現象なのであり、これは世間一般に言われているような中国やインドなどの台頭によるものではないという。
この流れは止めることができない。今は、消費者と投資家が力を得ている時代であり、勤労者は、急速に力を失っている。
超資本主義。これが、今の世界中にわき起こっている問題の根源であるという著者の分析は、非常に明確である。
いま、わが国では、地方と都市の格差や非正規雇用問題など格差をめぐる議論がなされているが、地球規模で進む大きな流れをベースに考えたうえで、われわれに潜む消費者と勤労者という二面性をよく考えて行動しなければ、とんでもない時代に突入してしまうと深く考えさせられた。
企業の横暴から民衆を救う指南書
ライシュの本は、ワーク・オブ・ザネーションズから、一度も期待を裏切られたことがないが、今回は、その期待をさらに越える本であった。
企業のフィランソロピーとかCSRとかに一抹のいかがわしさや偽善を感じている人も多いだろう。ライシュは、そういった企業のボランタリーな手法では、民衆が求める価値が追求されえない、とキッパリ断言している。結局のところ、企業には法人格を認めない、というのが彼の結論である。これは、「八幡製鉄政治献金事件」で企業に法人格を認め、政治献金の自由を容認してしまった我が国の最高裁の判断の修正を迫るものといえるだろう。
企業の横暴が政治を振り回す弊害は、最近の地球温暖化対策の後手後手振りをみても明らかだ。この本が多くの読者に読まれ、我が国の政治や司法の在り方が見直されるきっかけとなってほしい。
