- [編集]知覧特攻平和会館
- カテゴリ:
- 単行本 (92頁)
- ISBN:
- 4794216203
- 発売元:
- 草思社 (2007/08/08)
- 価格:
- ¥ 1,050 (税込)
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複雑な想い
当時の若者たちの、純粋な家族への想いと、一途な愛国心が伝わってくる一冊でした。 戦争、特に学徒兵や特攻隊員の本などを読むと、「これは本心なのか?本心の表現を許されなかったのでは?」と「生まれてからそういう教育を受け、純粋にお国のために命を捧げる気持ちだったのでは?」の、両極端な想いを感じてしまいます。もちろん全員が同じ気持ちではなかったとは思いますが。 こういう表現をするのは良くないと思いますが、後者の場合、終戦から戦後を経てそれまでとは180度変わってしまった時代に、戦死した仲間に申し訳ないという気持ちを抱きながら生きた方々より、ひたすら祖国や家族のために一途に散華された方々が幸せだったのかもしれない、と思う一面もあります。 しかしながら、自分自身の夢や希望を断ち切り、親兄弟にも見送られず、まだ若いのに自分の人生が明日で終わる事を知る…そういう極限な状態に置かれた特攻隊員の方々の気持ちは、想像を絶するものがあります。泣き叫んでも、逃げ出したくても、それができなかった時代です。戦争からは何も得るものは無く、悲しみや苦しみしかありません。 増してや人の命を武器の一種として扱うなど、絶対にあってはならない事です。
私自身の中でも複雑な思いがあり、まだまだいろいろ学びたいと思っています。
幸い、今の日本は戦争と無縁ですが、この本に出ていらっしゃる方々のような気持ちまでが過去の事・無縁の事とならないように、後世まで遺していきたい一冊だと思いました。
子どもたちに読んで欲しい本
特攻隊員の手紙だけで、戦争の解釈について何も書かれてないのが良い。
子供達が、この本何だろうと手に取って読んで何かを感じてくれたらと強く願う。
そして過去の戦争について教科書だけでは学べないことがたくさんあるということを
一人でも多くの人に気づいて欲しい。この本には、その力がある。
未来を担う子供たちよ、この本を読んで想像してほしい。
彼らは何を守りたかったのか。
平和な現代に生きる幸せをかみしめるとともに殉国した先人達に感謝したい
靖国神社遊就館にも特攻隊員達の遺書の一部が展示してありますが、現地では涙なしには読むことができません.この本を買って、自宅で人目をはばからずに素直な気持ちでひとつひとつの言葉をかみしめながら読むことができました.敗色濃厚な大東亜戦争末期、若く才能ある特攻隊員達は、どんな気持ちで飛び立っていったのでしょう.生への執着、葛藤はあったかもしれません.そんなことはおくびにも出さず、家族を思い、郷土を思い、国を思い、崇高な日本精神を身をもって示したのです.ある特攻隊員は記しています.「未来の日本の礎になります」と.かつての日本には命を賭して守るほどの価値が間違いなくあったのです.一方、いまの日本はどうでしょうか?.個人主義をはき違えた利己主義が蔓延っています.決して彼らの死を犬死にしてはいけません.モラルハザードの叫ばれる昨今、彼らが命をかけて守ろうとした、かつての”美しい日本”を取り戻し、後世へ引き継いでゆくことこそ、我々の使命なのだと痛感しました.
公のために
特攻隊の話になると、すぐに洗脳だとか、強制で死に追いやられたとしか考えが及ばない、
思考停止サヨクが多いです。
きっと、命より大切なものはない。と言う戦後の価値観でしかものが見られないのでしょう。
自分の命より先に公を護ることを優先する、強い精神を持った若者達を、左に偏った目でし
か見られない可哀想な反日日本人こそ、彼らの強い想いに学ぶべきところがあるのではないで
しょうか?
地球市民、などと臆面もなく言える馬鹿な人がたくさんいますが、愛国心を持たない者が世
界を語ろうと空虚です。国と言う公を護ろうとした若者や作戦を論じる資格はありません。
この本は、特攻と言う最後の手段を選ばざるを得なかった若者達の声です。特攻と言う手段
自体は邪道です。決して美化してはいけません。ですが、それは皆わかっていました(特攻作
戦を指揮した中尉は、戦後自ら介錯を断って苦痛の中で自刃しています)。
これを読んでどうとらえるかは、「戦後レジームに洗脳されているか」それとも「そこから
脱却しているか」ひとつの判別にもなるのではないでしょうか。
「御国のため」を繰返すな!
これぞ命の言葉。
知覧基地から飛び立った、18〜29歳の
特攻隊員が遺した手紙を集めた一冊。
33名の遺影と戦死日等も収録されている。
目前の死に敢然と向かい合い、それを受容れ、
後の日本の世を想いながら、最後の言葉を残す。
望んだ死ではなかっただろうけど、死は死。
涙なくして読めないし、語る言葉も持たない。
彼らの魂に恥じることの無い国にするために、
自分ももっと頑張らないといけないな。
読み方に気をつけないと恐い本です。
世間で言う『泣ける本』に間違いはありません。
巻末に、遺書を書いた方々の写真が載っているのも生々しく、家族への思いを
綴った本文がまた涙を誘います。
戦時中、こうして若い命が散っていきました。
大事な人たちを残し、武器の一部となって。
国の消耗品になって、未来永劫得られる事のない、その人の『命』は消えて
いったのです。
この本文だけ読んでいるととても危険な感じがします。
国のため、愛する人に心を残し、でも潔く死んでいくこと。
それが美徳であるかのように見えるから。言葉がとても潔く、美しいから。
でも、こういう言葉しか残す事が許されなかった時代だという事を忘れては
ならないと思います。(他のレビュアーのご意見にも同じ意見がありました)
心の中にあった生きたいという思い。遺書を残したどの人にも、気も狂わん
ばかりの生への執着があったはず。母親に、家族に、愛する人に、恩師に。
もう一度会いたいと願い、故郷の土をもう一度踏みたいと願い。
そんなささやかな願いすら、口にも出せない状況。それが戦争なのだという
事を感じながら読みたい本です。
雰囲気だけで読むと、『国のために命を捧げる、なんてカッコいいじゃん』
みたいになりそうで恐いです。
この遺書を残してくれた人たちは、犬死なのです。
親から貰った身体をせめて親元に返す事も出来ず、国の足りなくなった弾薬
の代わりにされただけの惨めな死なのです。
希望でいっぱいだったはずの未来を、国という化け物に奪われた犠牲者なの
です。それをしっかり感じたいです。
こういう命の犠牲こそ、いまの私たちがしっかり知り、戦争のない世界にし
ていく事、それが若くして国に命を奪われた人たちに報いる事なのだと私は
思っています。
当時の若者たちの心を知って欲しい
特攻隊員たちの遺詠を読まれ、本当の気持ち、心であったのであろうか、そう言わざるを得なかったのではないかという意見がある。
確かに戦時の軍隊では、封書やはがきの検閲があり書けないことも多々あったであろう。しかし、親や兄弟を思い、国家の安寧を願う心は偽りではないと思う。何故なら、今に暮らす我々と、かの時代の若者たちとでは全く教育理念が異なり、心根も大きく異なるのである。
一刀両断に申し上げれば、国家を思う心、滅私の精神、とても我々現代人たちが想像できるものではない。この書は決して現代の感覚しか持たない我々が、安易に批判してはならないのではないだろうか。真摯に英霊たちの言葉を受け入れればよいのであろう。
チャンネル桜で放映され、陸軍特攻隊教官で終戦直前特攻の命を受けられた田形竹尾氏は、「皆清々しく、国家に尽くす歓びを偽りの心無くして笑顔で出撃されていったと。可哀想、悲しいなどと同情して欲しくない。人生で国家に尽くせると言うことは、途轍もない誇りと名誉であり、皆喜んで出撃したんです。今日これほどの名誉が誇りがありますか」と述べられておりました。
英霊の皆様のためにも、決して哀れんだり、心は異なるのだなどと思わないで下さい。喜んでお国のために働き神となったのです。心から感謝すればよいのではないでしょうか。
永遠の命として天翔ける
本書は戦後62年目の終戦記念日に発行されたものです。毎年この頃になると、このような書物も恒例の行事のように出版されます。そして、改めて「あの戦争責任がどうだったのか」を問い直そうとするかのようです。「特攻隊なるものをただ賛美するだけではなく…そこに至る社会的責任に目をつぶってはならない」などという怜悧な見解まで述べられるのです。
本書はそのようなことを厳しく指弾するものではなく、「若者たちが命を捨てても守りたかったもの、それは何だったのでしょうか」という読者への問いかけです。それは、簡単には答えられないでしょう。「お国のため」「愛する人のため」とは言っても、彼らは本当には分かっていなかったような気がしてなりません。「大命を拝し」「喜んで」いるように見せて、散っていったような気がしてなりません。
本書には18歳から29歳まで33人、平均年齢21・6歳の若者たちの遺書が収載されています。他書と違うのは、全ページ海・空を中心とした自然をバックにして、飛び立った空間が実感できるようになっています。ところどころ、「かもめのジョナサン」を思わせる白い鳥も象徴性を帯びて、効果的です。
【永遠の命として天翔ける】ことにおいて、若き翼の特攻隊員も孤高のかもめジョナサンも同価値と思えるのです。
感動ばかりせず、真の問題をしっかり考えてこそ彼らに報いるはず。
確かに涙なくしては読めないし、これから死に行く若者達の、家族への精一杯の思いやりの言葉に感動する。
しかし、それだけでは絶対にいけない。
まず、これらの言葉のどこまでが本心であったのかと思う。
父母や、幼い弟や妹の悲しみを少しでも和らげたいという思いは容易に読み取れるが、それは正直な気持ちであろう。
しかし、お国のためにお役に立てる喜びも多く語られているが、これは、こう書かざるを得なかったという理由が大きいと思う。こんな言葉を連ね、自分が立派に死ぬことで、残された家族の国家からの安全を少しでも確実にしたいという思いが、実際はほとんどであったかもしれない。
志願して体当たり突撃隊に参加したとあるが、仮に志願の形を取ったとしても、必ずしも真に自発的であったとは限らない。実際は、志願せざるを得なかったという者も多かったはずだ。
このような本は、昔なら確実に国家による思想統制に利用されたはずだが、実は現在でも同じではないだろうか?
感動の部分にばかり囚われてはならない。それならば、また我々は利用され悲劇を繰り返すだろう。何が問題なのかをしっかり考え、このような悲劇を繰り返さないよう、我々がしっかりしないといけない。そのような読み方をしたいと思う。
守りたいものはありますか。
自らの命よりも、大切なものがありますか。
死出の旅へと発つその日、貴方は笑ってさよならと言えますか。
戦後の日本人が失くしたものが、ここにある。
