「三十歳までなんか生きるな」と思っていた

  • [著]保坂 和志

カテゴリ:
単行本(ソフトカバー) (216頁)
ISBN:
4794216424
発売元:
草思社 (2007/10/30)
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評価: 3.5
2008
05/04
Sun

言論公表の社会性をなめている

40.0% (4 / 10)
[No.8] posted by 野火止林太郎

保坂和志は現代ニッポンの作家では随分と力のある作家であると思うし、その小説論は小説というものの本質を深く捉えた貴重なものだと信じる。
しかし、このエッセイに毛の生えたようなユルーい漫談のごとき作文は、当人の意に反して極めて政治的な代物だ。
「小説家は役に立たない存在」であるとか、「小説家の考えることなんかどうせトンチンカンなことに決まっているのだから、右にも左にも、タカ派にもハト派にも加担したらいけないのだ」とか、思い切り政治的な文章を垂れ流している。その挙句に「プー太郎が好きだ」と来た。
よろしい、あなたがプー太郎が好きであろうがどうであろうが勝手にせよ。
しかし、小説とはいかなる小説であれ「社会的なもの」であり、それにも増してこんな風に極めてお手軽にネットか何かで書き散らかしたエッセイは政治的なのだ。
保坂は彼自身の秀逸な小説観を打ち出すところまでは、優れて意識的な書き手であった。しかし、この書き飛ばした作文では驚くべき鈍感さで社会や政治を語ってしまっている。
教条的に彼自身の小説観を実践するのであれば、彼はこんな作文を世に問うべきではない。
「正しさや一般論は自分を脅かさない」という彼の文句の通り、彼の文章は彼を脅かさないし、それ以上に小説が不可避的に社会的・政治的なものであることを彼自身が見くびっていることが露わになる。それは実のところ、彼自身の小説家としての生命を脅かすことにもなりかねないのではないか。

2008
01/20
Sun

とにかく元気が湧いてくる。

66.7% (2 / 3)
[No.7] posted by カフカわが愛

一見そうは見えないのだが、この本を読んでいるとじっくりじわじわ、そのうち、グワッ!と元気が湧いてくる。読売新聞の書評で川上弘美も同じことを書いていたが、僕も20年以上のつきあいの友達(年上)が死に、そのあとしばらく読める本がなかったのだが、この本はゆっくり、ずうっっっと読めた。きっと嘘を書いていないんだと思う。著者の保坂和志の言葉を借りれば「言葉の内部だけで処理せず、世界と繋がっている」ということだと思う。
この本のレビューでひどく論理的に批判している人がいるが、この本をちゃんと読むと、論理的思考というのが根本的に薄っぺらいということがわかると思う。

2008
01/20
Sun

おもしろいが 少しバラバラ

50.0% (1 / 2)
[No.6] posted by pooh bear

おもしろい内容が羅列されている。
でも、なんかバラバラしている。
しかも、そこに挿入されている事例がやや唐突。やっぱり、短いエッセイを並べた本の限界か。
最初と、最後、ここがおもしろい。真ん中あたりはかなり荒っぽい感じがした。

2008
01/19
Sat

文学はサマライズすることなんか出来ないし、だからイイ

40.0% (2 / 5)
[No.5] posted by 盥アットマーク

 「まえがき」に次のような言葉がある。

 文章の命というのは、読み終わったあとで「これこれこういうことが書いてあった」とすっぱり言えることではなくて、その文章に触発されて読者がどれだけいろいろなことを考えたか?だと私は思う。そこで生まれる考えは文章に直接関係なくても全然かまわない。

 保坂和志の書くものは(あるいは文学は)サマライズすることなんか出来ないし、だからイイ。今回のエッセイ集もとても一括りに出来ない豊かさがある。さらに著者の言葉を借りれば、「数値化を含む共通了解の誘惑に抗して“主観”を“主観”として保持しつづけ、それを一人でも多くの人が共有することのできる言葉や思考として練り上げること。小説・音楽・絵画・映画......etc.の芸術はそのためにある」ってことだろう。データ化、可視化出来ることなんて高が知れている。
  共感し、感心するのは、既成概念を決して鵜呑みにせず、必ず咀嚼して自分の思考として紡ぎだしていく著者の姿勢だ。しかもその思考をフィックスせず常に考え続ける。“神の視点”っていうある種文学の特権をも疑ってかかる。ポストモダン的な思考停止、甘えに対する厳しい態度は身につまされる。
  小説家に政治に対するコメントを求めたり、プー太郎まで労働に駆り出そうとする最近の社会の余裕のなさについても同感。無駄なものがいかに重要かってことで、それってつまり文学だよね。だから「文学に接していない人とつき合ってみると何度目かに(場合によっては一回目に)薄っぺらさに気づく。もちろんその薄っぺらさに本人は気づいていない」なんて鋭い言葉には、共感もし、自戒もする。
  ただ、この本を読んで著者の思考を鵜呑みにしちゃっちゃ、著者の思考を否定することになる。「正しさ」を疑った思考が「正しさ」に回収されてしまうなんてよくあることでさ。自ら思考することこそが大事なんだよね。

2007
12/21
Fri

忘れていた記憶がドッとよみがえってきた・・・エッセイの魅力、再認識

61.5% (8 / 13)
[No.4] posted by kt

これは論旨を追うというよりも、著者に導かれてあれこれ歩いているうちに思いがけない眺望が開けた場所に出ていたという感じの本です。(しかし著者はその眺望が開けた場所にいつまでもいないで、さっさと次の眺望が開ける場所に進んでいってしまうのですが)
学生時代、ひとり部屋で「自分と同じことを考えている人がきっとどこかにいるはずなんだけど・・・」と、よるべない気持ちで考えていた時間が突然よみがえってきて、そして、「ああ、やっぱりわたしだけじゃなかったんだ」ということを、10年以上経った今、この本で確認しました。
べつのところでは、高校生の時の祖母の死からお葬式までのあいだ、まわりの大人たちが祖母の死を“社会的な行事”にすることにばかり関心を持っていたこと、それに対して心の中で激しく反発を感じ続けていたこと、それをあの時の気持ちの激しさそのままに思い出しました。
時間をかけてゆっくり歩くようなエッセイの魅力(けれどこの本にはそれだけでは収まらない烈しさがあります)を、日本人の書いたものの中でひさしぶりに堪能しました。

2007
12/20
Thu

明らかに思考の「強度」が落ちている

53.3% (8 / 15)
[No.3] posted by デルスー

最初に書名を見て、「30歳ぐらいまでは生きるだろうな、と
なんとなく思っていた」という意味に勘違いしていた。

実際に読んでみると、「30なんて年齢の人間は不潔だ!」
という10代の「あの頃」の気持ちに、今の自分は責任を取れるだろうか?
ぐらいの意味らしいのだが、この言い方自体、
悪い意味での「文学」に逃げているように感じられた。
以前は真逆のことも書いていたような気がするのに、
なぜ今さらのように10代の「あの頃」を特権化したりするのか。

内容のほうも、多かれ少なかれ今までの著書で述べられたことの
繰り返し以上のものではなく、明らかに思考の「強度」が落ちている。
後半になると、なぜかフロイトの説ばかりが繰り返し援用されるのだが、
それがどの程度の有効性を持つものかはろくに検討もされないまま、
思いつき程度の議論(というか文句)がグダグダ続くだけ、という印象が強い。
もともと筋の通った議論は構築できない人だが、
今回は、全体に考え方の「質」の劣化が進行しているような印象を受けた。

なかでも呆れてしまったのは、フーコーの「人間の終焉」という
有名な言葉に対する解釈だ。さまざまな分野における天才を、
精神病理学上の症例として了解することが可能になった時、
人間を人間たらしめる能力の全てが幻想として崩れ去り、
「人間の終焉」が訪れるというのだが、もともとのフーコーの言葉は、
これとは全く異なる文脈で書かれたものだし、
「モーツァルトは自閉症だった」なんて解釈は別に珍しくもないのだから、
そこまで過剰に反応する理由がよくわからない。

この著者の作品は、既成の小説に対するアンチ(安易にセックスを描かない、等々)
として成立している部分が大きいが、それがひとつのジャンルとして認知され、
著者自身も業界内のエスタブリッシュメントと化した今、
小説を書く強い動機などは希薄になってしまったのではないか。
それが杞憂であることを望みたいのだが。

2007
12/14
Fri

考える行為に逃げ込まずに、「結論」に留まり続けろ

33.3% (5 / 15)
[No.2] posted by なす

考える行為に逃げ込まずに、「結論」に留まり続けろ
これが私が保坂氏に伝えたいことだ。
保坂氏は自分の感情に蓋をして
自分の内面から逃げて、
言い訳を考えて続けている人。
証拠としては、作中に「こんなことが言いたかったわけではない」とか
「〜しなければならない」という言葉が多いことだ。
自分の言いたいことがわからなくなりすぎているということは、
自分の内側より外側に意識が向いている証拠。
自分の心の中に支点がないから、何か偉そうなことを発言しようとしすぎて、
何を言いたいかわからなくなってしまっている。
何をしなければならないかという問いも大事だが、
何をしたいのかという問いの方がより根源的
保坂氏が心のどこかで感じている「自らの愚かさに蓋をし続ける愚行の
積み重ねでできた心の中の硬い石のようなもの」への問いを保坂自身がしない限り、
「自問自答」、もしくは「考える行為」という名ばかりで実は幼い言い訳のままだ。
高尚なことについて考えをめぐらし、幼い言い訳をしているという事実を隠している。
「考える」ことは「考えない」こととセットで成立すること。
「考えない」という行為は「考える」という行為と等価だ。
考えていない状態があるから、考えている状態が価値あるものになる。
それに、何かを考えているということは、他の何かを考えていないということだから、
考えるという行為は考えないという行為と平行して行われる。
保坂は考えていることにとらわれているから、
考えていることにとらわれている自分を第三者の視点で
見れていない。
つまり「考える」ことについて考えていない。
考えるという行為ではなく、考えるという言葉にとわられている。
これでは本末転倒だ。
別に考えることなんて、特別なことじゃない。
「自問自答本」を出してもいいけど、
読んでて面白い本にしよう。
冷静になって、あんまり面白くない自問自答だなと思えたら、
胸にしまっておこう。
自問自答って、自分だけでやるものだ。
しかも、自問自答本と最初に言っておいて、
いきなり他人への批判から始まる本ってどうかな。
他人へ矛先を向けるのと同時に自分にも矛先を向けよう。

言い訳のまま保坂氏はここまできた。
言い訳をし続けてきて、
聞き苦しい言い訳になってきた。
ここに人生の分かれ道がある。
このまま言い訳を続けるか、
もう言い訳はやめるか。
保坂氏は前者を選択した。
前者を選択したから、
もはや「10代のあの頃」は遠い昔となってしまった。
それゆえ、今作は、このタイトルになった。
批判ではなく、事実として、保坂は終わった。

俺は「世界を肯定する哲学」という2000年に出た保坂の新書で、
リアルタイムでとても感銘を受けた
今もその時の感動を覚えてるけど、
結局尻すぼみになっちゃって残念です。

2007
11/23
Fri

買いですが、小説を読みたいです。

80.0% (8 / 10)
[No.1] posted by yoshioki6

「途方に暮れて、人生論」に続く、草思社からの二冊目のエッセイです。前作同様、下手をしたらこの人なりの生き方指南のようなものになってしまいそうな内容ですが、随所に現れる「いや、そんな事が書きたかったのではない。」というフレーズや、各章の結局のとりあえずの結論から伺われるように、いわゆる「人生論」とはなっていません。小説や、小説の在り方について述べた文章もそうなのですが、時間や手間をかけたことの意味や厚みということについて考えさせられる一冊です。要はそこに作者の「人生論」があるのでしょうが、そういった作者の姿勢に呼応するからこそ、僕を含め読者は、この作者の新作を待ち、読むことに時間を割くのでしょう。


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