- [著]佐野眞一
- カテゴリ:
- ハードカバー (334頁)
- ISBN:
- 482841391X
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- ビジネス社 (2007/10/31)
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- ¥ 1,785 (税込)
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劣化した日本の実例集
小泉政権が始まるまでも劣化していなかったわけではないが、それ以降はより激しくなり、自分ダケ本意の社会に急速に変貌を遂げている。
佐野はそれを「読む」力の衰退が原因と説く。 ネット普及で、いきなり情報発信地にさらされることとも。
確かに日常生活で触れる情報は、10年前に比べて桁違いだが、その真偽を見抜く目を持つ努力を多くの人が怠ったままであったがために、深く考えることを止め、自分に都合のよい情報のみを取り入れ、情緒だけを頼りに物事を決め付ける世論が多数を占める、幼稚な社会になってきた。
メディアもまた良質な情報を流す努力を怠り、そのような大衆に迎合し、ミスリードし続ける。
本書には、怒りを蓄積し立ち上がろうすると気持ちを、奮い立たせるエッセイもあるが、あまりにもあからさまな社会の劣化を見せ付けられ、うんざりして気持ちが萎えてしまうものも含まれる。
しかし、それを私憤でなく公憤に転化させてこそ、佐野の意思を読むことになろう。
長文のルポのような読み応えには欠ける本書だが、取材源のニオイをかぎ分ける佐野の嗅覚の片鱗が見られるエッセイにも、新発見があった。
東電OL殺人事件の冤罪被害者、ゴビンダさんの再審請求の行方についても、佐野の文章を待ちたいと思う。
ドキュメント東京の下層社会だけでも一読の価値あり
公演会の収録と時事エッセーの作品集です。
佐野先生の作品でおなじみの満州やダイエーなどテーマも書れていて、
それらの著作の補完的に読めます。
しかしこの本で秀逸なのは短いルポタージュですが「ドキュメント東京の下層社会」です。
ここ数年読んだ現代における貧困についてのルポタージュのなかで秀逸でした。
テーマが貧困だと視点が上からのルポが多い中で、
佐野さんのルポは本当に地に付いている。
宮本常一の民俗学的なアプローチでさらけ出される事実は迫力があります。
給食費ひとつにとっても親のエゴがむき出しになっている部分を洗い出、し
学校間格差については日本の将来の根底にかかわる問題なのに問題として
社会に取り上げられてないことが恐ろしいです。
このルポだけでも読む価値があります。
やはり佐野眞一の本領は「分厚い評伝」にあると思う
第一部 講演
第二部 03〜06年に発表されたエッセイ
第三部 単行本未収録のルポルタージュ2作
が収められた一冊。
佐野眞一は体臭の濃いノンフィクション作家である。暑苦しい作家ともいえる。故に好き嫌いが分れる作家だ。嫌いな人にとっては、そのくどさや思い込みの激しさが不快に感じられるに違いない。だが、私のようにその体臭が堪らなく好きな人にとって、佐野眞一は実に魅力的な作家だ。
なかでも、事実だけを淡々と描き出しその人物像を炙り出すだけではなく、それに作者の主張(思い込み)がなければ「評伝」を読む意味がないと考えている私にとって、佐野眞一の「評伝作品」は、大作が多いというだけではなく内容的にも非常に読み応えがある作品が多い。個人的には日本を代表する「評伝作家」のひとりだと思っている。
逆に「事件」を扱った作品はどれも好きになれない。評伝で挙げ理由が全て「嫌いな理由」になってしまう。感情的で冷静さを欠いているようにしか読み取ることができない著者の「事件」を追ったルポルタージュはどれも苦手だ。ただし、事件ではなく初期のルポに多かった「業界物」等は別。これらのルポは今読んでも非常に興味深く読むことができる。
この作品には「東電OL殺人事件10年目の真実」と題されたルポが収められている。冤罪か有罪かの判断は私にはわからないし、受身とはいえ事件をまだ自分の中で風化させていない著者に頭の下がる思いもあるが、やはり文章から冷静さは感じられない。
エッセイも佐野の主張や宮本常一やダイエー中内功への想いが感じられるものだったが、やはり、彼の本領は「分厚い評伝」にあると思う。
ノンフィクションが現代の「民俗学」足り得ることを例証する一書
宮本常一が指し示した「あるく みる きく」哲学をノンフィクションの基本作法に据え、その実践にエネルギーを注ぐ筆者の最新講演/エッセイ/ルポルタージュ集。筆者により掘り起こされた東電OL殺人事件の実相や中内ダイエーの栄光と挫折、信楽高速鉄道事故と福知山線事故との同一性等といったテーマに加え、足立区にみる東京の「下層社会」の問題や満州・沖縄からみた近現代日本の分析など、非常に読み応えのある論考が詰め込まれ、現代日本を批判的に読み解くためのヒントが満載された好著と思う。また、筆者のマスメディア/ジャーナリズム批判は、上杉隆氏の『小泉の勝利 メディアの敗北』(草思社刊)の問題意識と通底しており、鋭い。筆者は2006年を「日本の社会の底が完全に抜けきった年」(249頁)と評するが、けだし同感。時間はない。
静かな貧困
短めの文章を集めたもの。
宮本常一や渋沢敬三を偲ぶ文章は、著者の読者であればおなじみのテイストだとおもうが、
ここでの足立区のルポは、著者らしく現場の人間の心の襞に踏み込んでいく。
就学援助を受けている人が、なぜ子供を塾にいかせているのか?なぜスポーツドリンクを飲むのか?といった、東京都内でも静かに進む格差を実感できない識者がテレビで繰り返す軽薄な批評を退け、「新しい貧困」を足立区に見出す。
路上で餓死する人の数で貧困を計ることはできない。足立区の実態が物語るのは、メディアに見えない場所で拡大する格差である。家賃はギリギリ払う。足立区は坂が少ないので自転車で移動する。生活費、教育費で目一杯なので、百貨店に行くこともなければ旅行することもない。だから飛行機も新幹線も乗らない。すべては近所で完結する。公立学校は選択制だが、評判のいい遠くの学校には、バス代が出せず行かせられない。
小泉改革批判に結びつけるのは早急だが(それ以前から進行していたはずなので)、教育格差が格差を再生産し、最低限暮らしてはいけるが暮らしの範囲は日々縮小してそこから抜け出すのは困難を極める。これが静かに広がる新しい貧困の実相である。
