小説・秒速5センチメートル (ダ・ヴィンチブックス)

  • [著]新海誠

カテゴリ:
ハードカバー (200頁)
ISBN:
4840120722
発売元:
メディアファクトリー (2007/11/14)
価格:
¥ 1,365 (税込)
Amazonポイント:
13 pt
在庫状況:
通常24時間以内に発送
Amazon.co.jp で商品情報を見る

ユーズド商品:¥ 1,000 より

この商品をブログに貼り付ける

595 位
評価: 4.5
2008
10/08
Wed

小説の方がやっぱり

[No.31] posted by 評価

人間描写がよくわかる。
貴樹のその時の気持ち…
花苗に『好き』と言わせなかった事と花苗の最後の言葉。
花苗の気持ちなどなど。
劇場版では解らなかった、明里(貴樹)への手紙の内容(決して、二度と会えないと解って書かれた手紙)
う〜ん、貴樹は、花苗の事は、好きになっていたと思う(東京に行く飛行機の時間を教えていたから…)
とにかく、劇場版を見た後に読むと2,3時間で読めます。
はい…

2008
09/24
Wed

救われます

[No.30] posted by ヒサユキ

映画見て理解できなかった方、鬱っぽくなってしまった方。これ買って読んでみてください。救われますから。そしてボクも救われましたから。
ラストシーンの微妙なニュアンスの違い等には感動しました。それと映画では十数分しかない三章の内容が割りと濃く、社会人となったタカキの黒い重油にまみれたようなダークな生活の様子が生々しく描かれていたので、より作品の深みがましたように感じます。
舞う桜の花びら、まだ綺麗なままの雪道、これらの<白>とただただ生きるだけの現在の生活の<黒>のコントラスト。まだ読んでいない人は是非読んでほしいと思います。

2008
08/25
Mon

同じ表現多すぎ

50.0% (1 / 2)
[No.29] posted by YUT

「まるで」や「と思う」
が三十回以上登場します。
台詞があまりなく、状況描写や心理描写が多いとしても
同じ表現ばかりで飽き飽きしました。

2008
08/01
Fri

キモカッコイイ新海誠

71.4% (5 / 7)
[No.28] posted by gg2

ひょっとしてライトノベルやケータイ小説の世界では、こういうペラペラな
キャラクターが普通で、そこに脊髄反射的に「感動」するのが、ゼロ年代風
なのかもしれませんが、門外漢のおっさん読者としては、これは怪作という
しかありません。

第一話で、中学1年生カップルなのに、「貴樹くん」「明里」と呼び合うの
も、相当キてるし、第二話のヒロイン花苗の造詣もスゴイ。タカキくんをた
だ好きで好きで、でも結局告白できず、涙とともに眠ってしまう少女(お願
いだから、どうか。もう   −優しくしないで)。

そして第三話。若さの恋もいくつか経験したけれど、でも相手の誰をも少し
も幸せにしてやることができなかった。ぼくが欲しているのは、ただただ
単純な承認の言葉「貴樹くんは、これからもずっと大丈夫だよ」だけなのに。

これをキモイと呼ばずして何を呼べばよいのでしょう。おいおい、こんな
作品に「感動」するなんてまさか本気じゃないよね、と言いたくなります。

しかし。

少し間を置いて、考えなおしました。このキモさを限界までしれっと表現で
きるのは、ある意味、作家性といえるのかもしれないと。ひょっとすると、こ
の過剰な抒情を徹底して突き抜けたところに新しい境地があるのかもしれな
いと(ないかもしれませんが)。

そんなわけで、キモカッコイイという新しい言葉を作ってみました。新海ファ
ンには不評でしょうが、一つの見方としてアップさせていただきます。

2008
07/30
Wed

素晴らしい作品です!

0.0% (0 / 1)
[No.27] posted by じゅん

DVDを最初に見て切ない気持ちになりましたが、小説では、彼や彼女達の思いが詳細に書かれており、あのラストには救われました。
あの人は踏切の向こうで待っていてくれる気がします。

2008
07/29
Tue

淡く切ないストーリー

100.0% (2 / 2)
[No.26] posted by にゃんたこす

◇映画「秒速5センチメートル」が原作。同映画の監督が小説化したのがこの作品。山崎まさよしの「One more time, one more chance」が主題歌。

◇映画版を先に見て、小説を読むのがお奨め。

◆映画版では主人公の独白(ナレーション)に違和感を感じた。そのナレーションのために感情移入が阻害されているような感覚である。それが小説版では見事になくなっていた。言葉は一言一句同じであるにもかかわらず、である。映像と小説というメディアの違いで受け取り方がことなるからかもしれない。それを考えると、映画版では余計な独白(ナレーション)など入れないほうがよかったのかもしれない。で、小説版で「あのシーンはこういうことだったのか」とか「こういうことを考えていたのか」と分かるような流れがベストだったように思う。

◆映画・小説を通して、「One more time, one more chance」のコンセプトが通底している。自分はこの曲を死別の曲だと解釈していたのだが、思いを残したままの生き別れという解釈も可能であると分かったことが新鮮だった。その意味で自分にとっては「One more time, one more chance」の"一解釈"として認識されている。

2008
07/20
Sun

ぜひ、映画を見た人は読んでもらいたい。

100.0% (2 / 2)
[No.25] posted by クロート

 ぜひ映画を見た人には読んでもらいたいです。映画では伝えきれないこと、観ている人に任せている部分を新海誠氏なりに補完している作品です。
 
 私は就職試験を受けるため東京へ行った、その帰りの新幹線の中でこれを読みました。慣れない東京で一人歩いている自分と貴樹を重ねてしまい、つい胸が苦しくなりました。
 
 正直に申し上げて、よしもとばななのような文章力は新海氏にはありません。でも、それでも心に訴えてくるものはありました。
 特に映画を見た人は貴樹と明里と澄田とそのほかの人々の考えていたことが描かれており、不明確だった彼らなりの「答」を知ることができると思います。貴樹の高校卒業後についても詳しく語られていますし、映画の最後のシーンについても貴樹の一人称で語られていまして3話目の「秒速5センチメートル」は少し印象が変わるんじゃないでしょうか。 
おそらく誰でも経験している、出会いと別れと未熟さとその他色々なモノをひっくるめて人生なんだなぁ、とこれから社会の荒波に揉まれることに恐怖してますw

2008
06/17
Tue

小説版を読んで初めて判る事実に注目!明里からの貴樹に渡すことが出来なかった手紙には「彼女の覚悟」が書いてあった!

87.5% (35 / 40)
[No.24] posted by 臼井健士

小説版・「秒速5センチメートル」。
結末は同じだが、アニメでは不明であった場面の意味が判るという意味では、「相互に補完」が上手く為されている。(だから、アニメ観た後に必ず読む必要アリ!)
所々に「追加説明」アリ。
第1章「桜花抄」において度々登場した空を翔るアカゲラは
・「貴樹の夢の中の空を飛んででも明里の元へ駆け付けたい」という願望の投影であったり(アニメでは眼下に鉄道やら河やらで地図が隔てられているが、アカゲラはそれらを簡単に飛び越えてしまっている。)
・明里が貴樹に会いに行くことを「彼女の母親はどう考えていたのか?」とかである。
(↑明里のお母さん、娘の恋の応援するのでしたら、もっと貴樹の母親と親しくしておくとかして下さいよ!)

注目はやはり最後の明里が雪の一夜に貴樹に手渡すことが出来なかった手紙の内容。
「桜花抄」において小学生の明里は猫を撫でながら
「独りは寂しいよね」と呟いています。
幼い頃から転校続きの彼女は「独りの辛さ・寂しさ」をよく知っていた・・・。
また貴樹は明里と文通するようになってから
「手紙から想像する明里はなぜかいつも独りだった」
と言っています。
つまり上記から察するに・・・明里には貴樹以外には友達もいなかったと思われます。
(明里の12年間の人生の中では最長と思われる3年間同じ場所に留まったにもかかわらず)
それは「転校続き」ということに加え、「内向的な性格」にも原因があったことでしょう。
(さらに東京に来てからは、貴樹が明里を独占していたというのもある。)
東京でようやく出来た人生最初の親しい友達が貴樹で、しかもその友達は
「自分を独占してくれて(明里のことを常に守ってくれて)、さらには明里にもその存在を独占させてくれる」
という最上の相手でした。これで明里が貴樹にのめり込まないわけがありません。
さらに貴樹との文通の開始は「彼女の方からだった」という点も大きなポイントです。彼女は転校先でも寂しさに耐えかねていた・・・・。

明里には貴樹が自分の世界の構成の全てだった。
貴樹が転校して、栃木と種子島に引き離されて「もう会うことが出来なくなる」。
その事は貴樹も明里も実際に再会する前から自覚しています。
それは「世界を破壊されるかのような衝撃」であったに違いありません。

だからこそ2人はお互いに相手にそれまでは伝えられなかった「相手に対する本当の気持ち」を伝えようと手紙を書いていました。
(小学生時代の2人の関係を見るに「お互いのことが好き」なことは明白で、言葉に出して言わなくても気持ち自体は通じているのですが・・・・)
が、このお互いの手紙の意味は明里側と貴樹側では大きく異なっていた。
明里は貴樹ともう二度と会えないことを半ば覚悟していて
「私はこれからは、ひとりでもちゃんとやっていけるようにしなくてはいけません。」
と言い、さらには
「私も貴樹くんも。そうですよね?。」
と、それは貴樹も同じだと促しています。(自身が貴樹に依存していたように、貴樹も自分に依存していることを理解している。)
そして・・・貴樹が自身を守ってくれた事への最大の感謝。
「貴樹くんがいてくれたからこそ、学校がつらい場所ではなくなった」と礼を述べ、
「貴樹くんが好き」というハッキリした意識・おそらくは初恋である恋心を認め、作中で唯一、貴樹に伝えることが出来た
「貴樹くんは、これから先も(私がいなくなっても)大丈夫だと思う。」
と今までとは逆に明里の方が貴樹を激励しています。
(それが、小学校4年生のときに出会ってから今までずっと自分のことを守り、自分の心を常に支えてくれた初恋の男の子に明里ができた、「せめてもの恩返し」であったのでしょう。)
貴樹は明里が幼い頃からずっと感じていた心の孤独を埋めてくれた恩人。
そんな強い彼だからこそ明里は「これから先も大丈夫。」と信じることが出来た。
そして、ここまで読めば明里にとっての貴樹は「自分もそうなりたいと憧れるような存在」であったことが判ります。
明里は貴樹を最後の最後で安心させたかったのでしょう。もう容易には、下手をしたら二度と会うことが出来ないだろうから、貴樹を心配させたまま別れたくはない。
独りになるのは怖い。貴樹が傍にいてくれないのは心細い。でも、そんな気持ちを押し殺して、明里は貴樹に宣言してみせた。
「貴樹が傍にいなくても、たとえ自分の手を引いて、からかいや嘲笑の視線の中から救い出してくれる者が誰もいないとしても、ちゃんと自分の力で立ち向かえるようになってみせます。そして、いつかは自分も貴樹のように強さと優しさを合わせ持つ人になります。」という意味。
一人になることにより大きな不安を感じていたのはむしろ貴樹よりも明里のほうだった。
なぜなら、貴樹には明里以外にも「友人」はいたが(貴樹は社交的)、明里には中学入学までの12年間で貴樹しか友人がいなかったのだから。
その明里にとっての「ただ一人の友人」を奪われる不安たるや如何ほどのものであっただろうか?
そこを敢えて「強がってみせた」ところが貴樹と過ごした3年間で明里が貴樹から影響を受けて身に付けた「明里の強さ」だった。

手紙の内容は言わば「明里の(貴樹からの)独立宣言」です。

そもそも思い出して下さい。貴樹が鹿児島に転校することを知った明里の返事のセリフです。
明里「今度は貴樹くんの転校が決まったということ、驚きました。お互いに昔から転校には慣れているわけですが、それにしても鹿児島だなんて…。 今度はちょっと遠いよね。いざという時に、電車に乗って会いに行けるような距離がなくなってしまうのは、やっぱり少し…ちょっと寂しいです。どうかどうか、貴樹くんが元気でいますように。」

↑アニメではこのセリフで明里は未練を感じつつもすでに貴樹から必死に一人立ちしようとしている点に注意。ポイントは寂しさが「少し」→「ちょっと」と、小さくなっていることです。「少し」→「凄く」ではない点。(←勿論、貴樹を心配させないための「強がりな部分」が大ですが)貴樹がそれに気付いていないのが悲しい・・・・。

それと、貴樹の乗った電車が去った後、渡せなかった手紙を鞄から取り出した後の
「空を見上げた彼女の複雑な表情(貴樹との違い)」に注目!
彼女の前夜までの「少女の顔」から一夜にして(貴樹とのキス・そして一夜を共にしたことで)「大人びた顔つき」に変貌している点。
明里の上記の「複雑な表情」は
「私は二度と貴樹くんと会えない覚悟をしていたんだけど・・・・貴樹くんは違ったのかな・・・?(貴樹くんのほうは大丈夫かな・・・・?)」
という心配が現れたものでしょう。だから、なおのこと明里は手紙を貴樹に渡しておく必要があったのだが・・・それが出来なかった。なぜなら、彼女も貴樹と同じくあのキスで世界がそれ以前とは一変してしまい、「一人立ちしようという決意が揺らいでしまった」のだから。
(よって・・・それ以降もしばらくは文通は続いていたようである。)

これに対して貴樹のほうは前述のように明里と会うのが最後になるかもしれない、もう彼女とは途切れてしまうだろうということを事前に認識しながらも、いざ明里と再会してしまった後のラストシーンでは
「手紙書くよ!電話も!」
「彼女を守れる力が欲しいと強く思った」などと、
明里とのキスで「2人はこれから先も一緒にはいられない」と悟っているにも関わらず、
明里はもう「貴樹に守ってもらうことを必要としていない」のに
逆に明里との繋がりをこれからも続けられると信じるかのように
2人を引き離そうとする流れに抗する道を選ぼうとしています。

貴樹が失くしてしまった明里への手紙の最後に書いた
「大人になるということが具体的にどういうことなのか、僕にはまだよく分かりません。でも、いつかずっと先にどこかで偶然に明里に会ったとしても、恥ずかしくないような人間になっていたいと思います。そのことを、僕は明里と約束したいです。明里のことが、ずっと好きでした。どうかどうか元気で。さようなら。」
というセリフは「実際に風に飛ばされた手紙の中に記載されたもの」ではない。上記は明里の事を心の中で引きずっていた大人の貴樹が「自らの夢の中で、明里への気持ちにピリオドを打つために書いたもの」だ。だから、中学生当時の手紙にこの文章はない。そうでないと「明里のことが、ずっと好きでした。」と過去形で語っている貴樹が明里と出会い「彼女を守れる力が欲しい」などと強く願うに至る・・・・という訳の分らない話になってしまう。


貴樹も明里とのキスで「別れの決意が揺らいでしまっていた」・・・・。
仮にキスが無く、明里の手紙が貴樹の手に渡っていれば互いの気持ちが秘められる事もなく、貴樹は「安心して鹿児島へと旅立てたはず」である。
そして・・・その後も多分「付かず離れずの距離を保ちながら」関係は続いていったはずだ。

貴樹が傍にいなくても自分で何とかしていかなければいけないと覚悟している明里に対して、貴樹の方は全然明里に対して未練タラタラで、頑張れば奇跡的に(関係を)続けられるんじゃないだろうか・・・・?とすら考えていたようです。
(ただ、それも後述の理由を考えれば無理のない話で、貴樹を責めることは出来ないでしょう。)

この両者の再会時の覚悟の違いが何年か後の「予想していた(手紙すらの)途絶のとき」が現実のものとなった後の2人の生き方に現れたのではないでしょうか。
そのときを覚悟していた明里は前向きに、覚悟が出来ていなかった貴樹は逆に内面に籠るようになってしまう。
そう考えると、明里の方はともかくとして、貴樹の方は明里からの手紙を受け取れなかったことが後々まで貴樹の人生に大きな影を落とすことになった。

貴樹の名誉のために言うならば、貴樹には明里から
・「転校を電話で告げられたときに、彼女を労わってあげることが出来なかった。彼女を傷付けてしまったことに対して負い目がある」
という点と、前述の手紙から想像する明里のイメージが
・「彼女を独りぼっちにさせてしまっている」
という二重の負い目を感じてしまっている点を忘れてはいけません。
だからこそ再会の後に「彼女を守れる力が欲しい」と強く願うに至ったのです。

これを考えれば、明里が貴樹を好きになったことが間違いであろうはずはありません。
明里にとっての貴樹は、初恋の相手として「これ以上はないくらいの、最上の相手」でありました。
そして、男の子ならば好きな女の子を泣かせたくない・守りたいと思うのは自然です。
確かに2人は「引き離されなければ、結ばれた可能性も限りなく高い」ことを否定できません。

小学校の卒業で心は離れていないけれど身体は離されてしまった2人は、互いに未練があって文通を始めました。
が、それも実質は「子供でもまだ何とか出会える(距離的な)範囲に貴樹がいた僅か数ヶ月の間だけ」の束の間の幸せ。

結局は2人とも「引き離されていくことを仕方のないこと」と受け入れなければならなくなった。(一応は、その流れに抵抗しようとはしていたのだが、最終的には呑み込まれた。)
もしも・・・
・2人の両親同士が仲がよく、交流が深かったとしたら
・2人に別に(2人の仲を取り持ってくれるような)共通の友人がいたなら
遠距離でもまた違った結末になっていたかもしれない・・・。
そういう意味ではやはり「貴樹も明里も、2人ともお互いの世界だけに引き籠り過ぎ」であった。
他者との関係を拒絶し、「2人だけの世界」に陶酔していたから、その世界がいざ存続の危機を迎えた時に、「支援してくれる第三者」が誰もいない・・・・・という状況に陥ってしまうのである。

ちょっと話が逸れますが、第1章「桜花抄」限定で非常に合うなと思うイメージソングを2つほど見つけましたので、よかったら聴いてみてください。

・TRUNKのアルバム「HY」の最後の曲「Song for・・・」です。
明里の心情そのものを歌詞にしたとしか思えないです。驚きました!必聴です!
さらに・・・おそらくは貴樹を振り切り、自身の道を行く覚悟が決まったときの彼女のイメージソングは
・the brilliant greenのシングル「Hello!Another way-それぞれの場所-」
でしょう。こちらも聴けば成程と思うはずです。

「手紙すらの途絶の理由」は、おそらくは自然消滅ではない。
ほぼ間違いなく「明里からの(一方的な)申し入れ」だろう。
貴樹に依存し、貴樹しか自身の構成する世界に人がいない状況からの脱却を彼女が望んだ故の新たな一歩が「貴樹との別れ」であったはずだ。
以後の彼女は第3章で見るように「いい意味で小学校時代とは別人のよう」だ。
決して明里が貴樹を嫌いになったわけではないことは「渡せなかった手紙をずっと保管していること」や、「結婚が決まった後にも貴樹を思い出していること」からもうかがえる。
イヤ・・・むしろ「婚約者以上に明里には貴樹は最愛の人」であるはずだ。(それが貴樹に取って「唯一の救い」か。)
そして、最後に奇跡のように踏切ですれ違う。明里は・・・直前の表情から「当然に貴樹であることを直感している。」
しかし、電車が通り過ぎた後に明里の姿はなかった・・・・。
明里が本当に貴樹のことを振り切っているなら、笑顔で貴樹と出会えたはずだ。
振り返りながらも、その場を逃げ出してしまったのは・・・・・まだ貴樹の事が好きだからだ・・・・。
十数年ぶりの邂逅に大きく動揺したのは貴樹の方ではなく、過去を振り切ったはずの明里のほうだった。

これは「今度は明里のほうが貴樹に代わり、悩み苦しんでいくことを示唆」している。
おそらくは明里がそれを乗り越えた際にこそ貴樹と明里は笑顔で
「真の意味での再会を果たす」のですよ。
「貴樹が安心できるような明里」と、
「明里があこがれ続けた貴樹」
になって再会するのです。
でも・・・それにはまだまだ時間が掛かる。まだその時期ではないのです。作中では貴樹だけが膨大な時間を囚われ続けたように感じますが、明里は「ラストシーンの後に苦しむのです。」明里だけが楽をするわけではありません。(←下手したら「離婚危機」くらい普通にいくかも。)
男女の仲は
「お互いが好きと言うだけでは結ばれられないもの」なんだろう。
しかも
「最愛の人と結ばれた後は必ず幸せか」と言うと、それもまた違う。
明里は「最愛の人と結婚したというわけではない」事を付け加えておこう。貴樹のために。

現世では結ばれることは出来なかったけれど、2人がお互いを愛し信じた事実は紛れもない「真実」だった。
ただ・・・貴樹と明里の場合、小学生の中ごろの段階ですでにそういう「恋や愛すらも超越する存在」と出会えてしまったところに悲劇があった。
おそらくはそういう感情を知るには「適齢期」というものがあるはずで、小学生のうちにすでにそういう心情に至った貴樹と明里は・・・・やはり早過ぎたのです。
ほぼ確実に「貴樹と明里の同級生たち」は誰も知らない感情であろうものを知ってしまった2人は・・・他者との交流を拒絶したままに「2人だけの世界に引き籠る」しかなかったことが残念でなりません。

苦難を乗り越えて結ばれ、「生まれた子供にかつての自身を重ねて目を細める2人」、「特別な想いとは何なのかを教えてあげる2人」が・・・見たかった・・・・・。

物語のラストから十数年後、貴樹の娘(女の子が生まれれば貴樹はおそらくは「明里」と名付けるはず)と明里の息子(男の子を生めば、明里は「貴樹」と名付けたがるはず。)が出会い結ばれていく・・・っていう展開はあり得なくないと思う。(ラストのこれからも2人の絆が続きそうな引きから)
実に貴樹と明里の出会いから半世紀を経て「2人の血がひとつになるような」お話。
叶わなかった2人の想いを2人の子供たちが叶えるような、
一旦はドン底に落ちてからの起死回生ともいうべき「ハッピーエンド」。

皆さん。バッドエンドに非ず。新たなるスタートラインを指し示したラストシーンです。
貴樹と明里はまだ「お互いに対して心に誓った、果たさなければならない約束」があるのです。その約束を果たすまでは物語は終わりません。
そして、その時こそ「2人のそれぞれの子供が架け橋となって満開の桜の木の下で(入学式?)もう一度貴樹と明里を結び付けてくれるはず」です。

いつか「もう一度、お互いと向き合えるようになるその日まで。苦難は続くだろう。でも・・その先にこそ・・・・・・。」
「2人の絆はまだ途切れてはいないかもしれませんよ。」

2008
06/11
Wed

もう一度あの2つに分かれた道へ戻れるとして

100.0% (4 / 4)
[No.23] posted by saigyoujinn

新海誠監督のアニメ映画、秒速5センチメートル。それを監督本人が小説化した。
元が一時間少々の短い映画なので、本作も読了にそれほど時間はかからない。
およそ説明的な台詞が存在しない原作映画ゆえ、行間を埋める本作は貴重。

原作である映画の特徴として、
台詞は多いが、心情の決定的な変化は台詞で説明されない、というものがあった。
ほぼ絵のみで話が進み、観客がそれを解釈するので、同じ場面を観ても
観客はそれぞれ、少しずつ違う感慨を持つ。
一方本作はすべて文章で描かれるので、状況がより分かりやすくなっているが、
あとがきで監督自身が述べているように、映画と小説が全く同じということは無い。

もちろん監督が意図的に変えた部分も多いだろうが、小説は一人で書くのに対し、
映画は絵、天門氏による音楽、声優の演技、山崎まさよし氏(とリンドバーグ)の歌
という他の一流の仕事と新海監督の仕事の微妙なバランスで成立する。
これにより、変わってしまったという要素もある。

本作は言わば新海誠という素材を味わう材料である。
映画を観てから読んでも良いし、本作で興味を持ったら映画を観ても良い。
その度ごとに新たな発見があるだろう。

ところで、監督の文章についてだが、癖があるものの、意外なほど達者である。
ただ、作品自体、自らの青春時代の甘酸っぱい思い出にピンポイントで触るものなので、
それに耐えられない方は本書を読むのを控えるのがよろしかろう。

2008
05/18
Sun

この人はすごいなぁ〜と何度も思いました。

57.1% (4 / 7)
[No.22] posted by マイケル

僕は映画を見てからこの小説を読みました。


映画でも感動しましたが小説でも感動させられました!!


簡潔に表現されてた第3話が詳しく説明されていて嬉しかったです。


あとがきでも新海さんが言ってたように小説読んでから映画を見るも良し!映画を見てから小説を読むのも良し!


ぜひまだ見てない読んでない人は見てみて下さい。


CD・DVD・楽器 | インテリア・寝具・収納 | おもちゃ・ホビー・ゲーム | キッズ・ベビー・マタニティ | キッチン・日用品雑貨・文具 | ジュエリー・腕時計 | スポーツ・アウトドア | ダイエット・健康 | 水・ソフトドリンク | パソコン・周辺機器 | バッグ・小物・ブランド雑貨 | レディースファッション・靴 | 花・ガーデン・DIY | ペット・ペットグッズ | 家電・AV・カメラ | 車・バイク | 食品 | 美容・コスメ・香水 | 本・雑誌・コミック | 旅行・出張・チケット | 不動産・住まい | 学び・サービス・保険 | 百貨店・総合通販・ギフト | デジタルコンテンツ | 車用品・バイク用品 | インナー・下着・ナイトウエア | 日本酒・焼酎 | ビール・洋酒 | スイーツ | 医薬品・コンタクト・介護 | メンズファッション・靴