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パリからフランスを縦断して南仏に向かう、フェルディナンとマリアンヌ。マリアンヌは彼をピエロと呼び、彼は「違う、フェルディナンだ」と答える。パリを去るのは日常の悪夢から脱出するため。だが、南仏に何があるのだろうか? 冒険活劇漫画『ピエ・ニクレ』を携え、愛と永遠を求めてさすらう2人。だが、青春は常にアナーキーで、暴力的で、犯罪に彩られていた。2人のささやきはランボーの詩。「見つかった」「何が?」「永遠が」…。
『勝手にしやがれ』で、映画と青春の新しい波「ヌーヴェル・ヴァーグ」の誕生を告げた鬼才ジャン=リュック・ゴダールが、長編劇映画10作目にして頂点を示した作品だ。全編シナリオなし、即興演出で撮影し、「それは冒険映画だった」「それは愛の物語だった」と言われるような作品となった。(アルジオン北村)
「ハリウッド風の女が来たろ?」「さあね」
25.0% (5 / 20)
[No.12] posted by 煽尼采
印象としては、『勝手にしやがれ』でJ.P.ベルモンドが演じてた、ハンフリー・ボガードに憧れる男、ヤツが総天然色で復活し、「またやっちゃったよ、俺」ってな感じの映画。色んな漫画や小説、映画の諸ジャンル、戦争報道までを、わざと紋切型に演じ、異化、パロディ化しつつも、終始、なげやりムードなのが可笑しい。マリアンヌが突然に歌いだすミュージカル場面で、ダルそうに歌うフェルディナンが素敵。この映画を一言で表わすなら、「映画というささやかな商売について私が知っている二、三の事柄に関するナンセンス・ギャグ映画」、ですかね。冒頭、美術論からの引用で開幕しつつ、悪者が襲いかかる場面ではアクション場面の代りに、美術作品に役者の叫び声に被せ、漫画的に引用。商業映画万歳な連中の審美眼に対する、強烈な皮肉。
時々挿入される「物件は」「ヨット」「船長は」「外国人」なんて調子の状況説明ナレーションは、シュルレアリストたちが始めた言葉遊び“優美な屍”を連想させる。これは「何々が」「何々を」「何々した」に当てはまる言葉を皆で紙に書き、それをグシャグシャ混ぜてチョイス、偶然の組み合わせで出来た文章を楽しむ、という遊び。産業化した映画は紋切型にハメられて、決まったパーツを組み合わせる“優美な屍”と化したのか。「それが人生さ」と、映画を模倣するように生きる二人の男女は、スペクタクル化する社会の中で窒息する、現代人の生の戯画であり、ウォーホルのポップアートなんかと同類の、死の匂いがプンプン漂う。‘気狂いピエロ’って結局、僕らのこと?
そのまま受け入れる
36.4% (4 / 11)
[No.11] posted by 山坊主
この映画に関しては、その内容がどうだとか、どのようなジャンルの映画だとか、テーマは何だとか、そういったことは全て無視して、ただこの作品のあるがままをそのまま受け入れるしかないのかな、という気がします。
理解しようとするのでもなく、感じようとするのでもなく、ただ見つづける。それ以外にやりようがないし、逆に、そうすることによってのみこの映画は真価を発揮するような気がします。
映画の冒頭から、衝撃的なラストまで、随所に散りばめられた言葉の連鎖に身をゆだねながら、目に映る色彩の美しさに感じ入っていれば、それがこの映画の全てなのではないかと思います。
一度見て終わるタイプの映画ではないし、何度見ても始めてみる時と同じような姿勢で向い合わせてくれる、そんなパワーと不思議な魅力を持った作品です。
そのまま受け入れる
23.1% (3 / 13)
[No.10] posted by 山坊主
この映画に関しては、その内容がどうだとか、どのようなジャンルの映画だとか、テーマは何だとか、そういったことは全て無視して、ただこの作品のあるがままをそのまま受け入れるしかないのかな、という気がします。
理解しようとするのでもなく、感じようとするのでもなく、ただ見つづける。それ以外にやりようがないし、逆に、そうすることによってのみこの映画は真価を発揮するような気がします。
映画の冒頭から、衝撃的なラストまで、随所に散りばめられた言葉の連鎖に身をゆだねながら、目に映る色彩の美しさに感じ入っていれば、それがこの映画の全てなのではないかと思います。
一度見て終わるタイプの映画ではないし、何度見ても始めてみる時と同じような姿勢で向い合わせてくれる、そんなパワーと不思議な魅力を持った作品です。
よきかな
91.7% (22 / 24)
[No.9] posted by 素晴師
内容については多くの方がすでに述べているので、ここではディスクの
仕様等についてのみに留めます。ゴダール作品の中でも『軽蔑』と並んで
比較的長尺の部類に入る作品ですが、片面一層の仕様のためどうしても
夜の場面などでブロックノイズが散見されてしまいます。1999年という
比較的初期に発売されたという事も最近のエンコーディング技術の飛躍的
進歩から較べると条件が悪くなってしまうのも仕方ないところですが、
スクイーズ収録なのはうれしい。
字幕翻訳についてですが、以前発売されて
いたヴィデオテープ(柴田駿氏による翻訳と山田宏一氏による監修)での
情感あふれる字幕と比較すると所謂直訳調で少々不満足。
OFFにすればよいだけのことですが…メニュー画面はチャプターが
全部表示されておらず、親切さという点では今ひとつ。
本当に好きな作品だからこそ高品質の商品を望みたいというのが
正直なところですが、名作とはいえハリウッド作品のように大量に売れる
商品でもないのでレストアにお金をかけるのは現実的に難しいのかも
しれませんが、来年は本国公開40年と言う事もあり、今からでは無理でも
願わくば日本公開40周年となる2007年にあわせて高画質版の発売などを
望みたいところです。
ゴダールの代表作
60.0% (9 / 15)
[No.8] posted by ukiuki39
最初「私はまだ理解できていない!」と思い
何度も観たのですが、今はそれが正解なのかも・・と思います。
ゴダールの色彩感覚のすばらしさ・センスが凝縮され、
ジャンポール・ベルモンドとアンナカリーナのメッセージが
直接、視聴者の私達に問いかけるようなアングル。
エメラルドブルーの綺麗な映像に
詩的なセリフ・絵画・無駄の無いストーリー
本能のまま、感受性をむきだしにして観るのがお勧めです。
360度の角度から五感を刺激させてくれるゴダール
刺激された五感に残る残骸を、大切にしたい。。と私は思っています。
☆赤と青☆
42.9% (3 / 7)
[No.7] posted by 黒猫moon
アンナ・カリーナが着ていたワンピースの赤。
ジャン・ポール・ベルモンドが顔に塗った青。
二項対立なんてありきたりですが、
この映画を観ると、
少なくともマリアンヌとフェルディナンは
「女と男」
「赤と青」で、
「ともに分かり合ってない/相容れない」と感じます。
その印象はせつなく、悲しく、重いです。
わたしはどちらの気持ちも分かるし、
赤も青も両方好きなので、
時には赤、時には青を身にまとい、
特別な気分のときは紫を好みます。
ゴダールの意図とは違うと思いますが、
そういう見方をしてしまいます。
劇中歌『私の運命線』のところではいつも泣いてしまいます。
フランスって
7.1% (1 / 14)
[No.6] posted by gentle12
よくわからない、考え方も人の性質も、特に映画なんて。
という人が少なくとも私の周囲には多くて、これを深夜ぼーっと暗いリビングで観てると母親にぎょっとされたり。私自身、これ完全に理解してるの?と問われると自信ない、くらいに不思議な映画です。なのに、というか逆にそれ故にでしょうか、何十回観たかわからないほど観てる訳です。何度観ても飽きるという事がない。
個人的にはラストシーンが一番好きです。ランボーの詩はちょっと、かぶせすぎって気がしてやや興ざめですが。映像が、すばらしくて。
スピッツの、どこかのライナーノーツに、「深夜TVを観てたらジャン・ポール・ベルモンドの映画がやってて」そのイメージで書いた曲が『コスモス』だとあったのですが、その曲とこの映像が妙に合ってる気がして、全然関係ないんですがその曲も大好きです。
映画とは何か?
5.6% (1 / 18)
[No.5] posted by hkhnd
映画監督役で、特別出演したサミュエル・フラーが、「映画とは何か?」という問いに対して、「映画とは、戦場のようなものだ。愛、憎しみ、アクション、暴力、そして死。ようするに、エモーションだ。」と答えています。
ヒッチコックも、「定本 映画術―ヒッチコック・トリュフォー」の中でエモーションに言及しています。
そして、この映画にもエモーションが満ちています。
報われぬ思い
6.3% (1 / 16)
[No.4] posted by クマおたく
強烈な南仏の色彩にもかかわらず、この映画には絶望と死の匂いがする。アンナ・カリーナのへの報われぬ思いが、破滅する男のストーリーをさらに際立たせてしまうようだ。ストーリーと各シーンがお互いに独立しているかのような心地よい緊張関係を保ちながら、エンディングへと突入する様は今見ても新鮮だ。間違いなくマイベストの一本。
とにかく、アンナ・カリーナを捉えるゴダールの視線の切なさは今でも胸を打つ。斬新なカット割り、音楽の使い方、膨大な引用……この映画を語る切り口はたくさんあるが、その多彩なヌーベルバーグ的手法を際立たせたモノは、まさにカリーナへの報われぬ思いなのだ。
映像と時間が混沌にたたき込まれた映像詩
20.0% (3 / 15)
[No.3] posted by crimewave
さてぼくは映画は映像で見る口なので、カメラワークが悪いとそれだけで駄目。この作品は映像至上主義者にとっては、記念碑ものだ。驚いた。ゴダールは比較的新しい作品である『探偵』しか見たことがなかったのだが、それよりはわかりやすい映画なので、映像と時間が混沌の中にたたき込まれたようなこういう構成がしっくり来る。
最近はとみにノワール系の小説でも、ジャン・ヴォートラン、ジャック・オコネル、ヴァリー・ギフォード、ボストン・テランなどフリークな表現技法を駆使したモザイク形式の混沌派といった作家が増えていて、ちょっと免疫気味になっているせいか、ぼくは当時、この斬新であったろう作品を限りなく味わえた気がする。
ヴェトナムや中東世界の暴力の影響を受ける暗い時代、ファム・ファタールと言える女に出くわして、狂わされてゆく男の話。時代に即した武器密輸を絡めた犯罪者たちを物語の縦軸にしていながら、実は映画が縦方向には必ずしも進まないで渦を巻いてばらばらなになってゆくような構成というのは、ぼくは好きである。
色彩をちりばめたこのゴダールの作法や、画像の挿入などは、その後の日本映画にも影響が散見される。神代辰巳と萩原健一の『青春の蹉跌』『アフリカの光』などは挿入映像と独白とアドリブでできあがったような作品だが、もろに影響を受けているのかなあと、『気狂いピエロ』を見て初めて思った。ベルモンドとショーケンの対比などもありか、と。それと北野武の『HANABI』に出てくるたけしが実際に画いた絵の挿入も類似している。
確かに全体的にはノワールというよりも映像詩。ジョゼ・ジョバンニの『生き残った者の掟』を読んでいるときに感じていたような、美しい自然と、虚無的なほどの間に死生観が挿入されるというようなイメージの奔出するような作品だった。
これは一生忘れられない映画である、間違いなく。