魂の解放から、魂の拡大へ。
[No.19] posted by amaterasulover
「鏡」が魂の解放だとすると、「ノスタルジア」は魂の拡大だと思います。自伝的映画なので3作目の「サクリファイス」までシリーズ映画なのです。この映画では、当時宗教が禁止されていたソビエトから、宗教と信仰の国イタリアに出て、そして、自由という今までなかった世界に、自分の価値感の徹底的な破壊と再生の息吹を感じたのでしょう。たぶんその死と誕生が、祖国に置いてきた母や家族へのノスタルジア(望郷)に繋がっていったのです。それがエンドカットのイタリアの廃墟の中のロシアの実家の風景なのです。ちなみに、この監督のテーマは常に「愛」です。それも妻だったり、母だったり、家族への愛です。そして常に望郷です。ソラリスでも同じようなエンドカットがありますな。彼の映画「ストーカー」に、もしタルコフスキーが出たら、彼の表層願望は偉大な芸術家であること、でも、深層願望は、家族との愛ですね。さて、この映画の冒頭でも、「鏡」で見られたように、言葉というものがいかに表現という行為に対して不十分であるかかということを言っています、例えば詩といった芸術を別の外国語に翻訳するのは意味がなく、ただ国境を無くせば良いのだといっています。つまり、別の言語に翻訳すると魂は死に、たとえ、言葉は違っても芸術家同士(感じることができる人同士)が会えば、それで良いのだと。これは、アンドレイがドミニコを訪れたときに女性通訳を通して話しかけますが、ことごとく失敗し、その後、アンドレがドミニコに直接話しかけると、、、なんのことはない、受け入れられるということでも明らかです。言葉に惑わされず、感じることで、その先には画像に散りばめられた記号「1+1=1」や台詞「一滴の水にもう一滴を垂らすと大きな一滴になる。」「感じること信じることで一つに交わり合う。」の意味すること、、世界が救える、という宗教的な示唆が生まれてきます。焼身自殺したドミニコと、その遺志を継いだアンドレは、死という犠牲(サクリファイス)で大きな一滴になり世界救済へと向かうのでしょう。言語の違い、政治体制の違いを超えて、、ということなのでしょうね。カンヌ映画祭で創造大賞を取っていますが、個人的には「鏡」の方が断然好きです。。。なぜかな、、?、、なんとなく匂いがね。。この映画はなんとなく西側の匂いが入っているからかな。。「鏡」の鋭さと瑞々しさが無い気がします。好きですけどね。
内的必然性から生まれる独自性
[No.18] posted by sow-seed
タルコフスキーが言っていることで興味深いのは、
「映画においては、説明は必要ではないのだ。そうではなく、直接的に感情に作用を及ぼさなくてはならないのだ。こうして呼び覚される感情こそが思考を前進させるのである」という言葉。
タルコフスキーの書いたものを読むと、実に内省的、宗教的な、本物の芸術家の声を聴くような深さと、それゆえの深刻さとを感じる。
それは時に悲劇的にも思われ、彼の精神の内部に関わるのはとても重苦しいような、敬遠したいような気持ちにも襲われるかも知れない。
「ノスタルジア」という映画の語源は、ロシアでは、病に近い望郷の念を言うようで、タルコフスキーによれば「死に至る病」となるようである。
この映画と「惑星ソラリス」や「ストーカー」、この3本が最も印象にあるのだが、そのどれもがその--ノスタルジア--を語っているように思う。
それは彼の言うように、説明されえない、時にあまりに個人的、内宇宙的な、世界への宗教的な想いであったり、修行僧の懺悔のような告白のようであったりする。
「ノスタルジア」の、観客まで息苦しくなってくるような緊迫した長い凝視を要求する映像で描かれる、登場人物の世界を救済するという個人的な儀式・・。
模倣しようとすればきっと恥ずかしくなる、その驚くべき映像の内的必然性から生まれる独自性。
彼の最後の作品の題名が、彼の内面の内へも外へも、彼の精神の運動のすべてを言い表わしているような気がする。
それは「サクリファイス」、犠牲という言葉である。
タルコフスキーを想うと、むかしむかし、西洋の厳格な修行僧が同時に求道的な芸術家であったような時代の、そういう時代に存在したかのような男のシルエットが浮かんでくる。
ソラリスとの相似
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[No.17] posted by Chezare
アンドレイ・タルコフスキー監督の遺作となった映画だ。
タルコフスキーの映画にはいつも水が流れている印象がある。
この映画も冒頭の霧、川、雨、温泉と水が様々な姿を変え出てくる。
特に、水に浸かった廃墟の場面は煌めくように美しい。映画史に残る名シーンではないかと思う。
構成としてはタルコフスキーの傑作「ソラリス」によく似ている。
異郷(ソラリスでは知能を持つ生命体の海がある惑星ソラリス、この映画ではトスカーナ)にいて故郷(ロシア)に焦がれ、過去を悔いる。
ラストも異郷に故郷が現れる幻想的シーンが同じである。それが惑星ソラリスの海であろうと、トスカーナの廃墟だろうと、故郷と過去への思いは変わらないのだ。
耽美ということ
25.0% (1 / 4)
[No.16] posted by chiro128
大学生の頃、映画館で見た。圧倒された。物語を追うのではなく、まさに映像に魅せられた。言葉もなく、不可解な映像に見入ってしまった。まさにそんな感じ。
先日、DVDを発見し、きっちり見ようと体調を見極めつつ、本日見た。改めて詩的な映像のために駆使されている様々な技巧に驚く。まあ、72年という時代に「惑星ソラリス」を作った人だから、それも出来る。横に移動していくパンショットの中で、さっき映っていた人々が再び、別の場所に登場する驚き。現場は必死だったんだろうけれど、映像は静謐。
望郷、愛情、葛藤、そんな言葉にすると単純なものを映像にするとこうなるんだなぁ、と初めて思った映画。今見直してやはり、そうだったんだな、と思う。しかしそこには執念のような努力と技術があったことが今では判る。
耽美、という言葉がこの映画には似合っている。
映画史上最高の映像美!
20.0% (1 / 5)
[No.15] posted by 時計を見る狂人
ワンカットの長い映像や 水や火をモチ-フにし 宗教性(キリスト教的)を基盤にした作品の多いいのは よく知られていますが 彼の魅力はなんと言っても卓越した映像美にあると言っても過言ではないと思います。もともとアンドレイは初めは画家をめざしたからでしょうか この作品にも フランチェスカの「出産の聖母」他の作品にも必ずと言っていいほど イタリアのルネッサンス頃の作家の絵がでてきます。よくタルコフスキ−の映画を見てると 眠気を催すと 仰る方が居ますが(実は 私の家内もそうです。)私から言わせていただければ 「信じられません。」映像の中で静かに流れる時間 そのどのシ−ンを見ても 均整の取れた構図 アンダ−気味の淡い色彩 信じがたい映像美の連続です。特に「ノスタルジ−」は そういった面において彼の最高傑作でしょう。映画史上 こんなにすぐれた作品が 一部のマニアだけのの聖地になっているのは残念でなりません。ビスコンティやフェリ-ニと同等に扱われてもおかしくない監督です。是非 ゆっくりと何度も見てください。そうすれば きっと「美」が何か解るはずです。
いいですよね、タルコフスキー!
66.7% (8 / 12)
[No.14] posted by わいじょん
首都高速を未来都市としたり(惑星ソラリス)、どっかの田舎を“ここがゾーンだ!”と言い切ったり(ストーカー)、私はタルコフスキーというのは実にB級魂を持った監督なのではないかと思っているのですが、でもとにかく出来上がった映像は例外なく美しい!本当に絵画が動いているような息を呑む描写の連続技で全てが傑作ですよね!実はタルコフスキーは私にはどの映画も例外なく見てる間は微妙に退屈なのですが、見終わるとまたもう一度見たくなるという中毒性があってDVDでいつでも見れるのが本当に有り難い。あのカットをほとんど割らないでじっくり描かれる濃密な画が眠気を誘いますが、それが本当に癖になります。勿論食い入るように見てるファンもいるでしょうから、ちょっと不真面目な鑑賞の仕方かもしれませんけど。でもそんな私でもどっぷり酔いしれるのがこの“ノスタルジア”です。溜息の連続です。まぁ比較的時間が短いということもありますが・・・。
地水火風 四大に包まれて半眠り
22.2% (4 / 18)
[No.13] posted by 李奉洋
重い沈黙のなかで思わず眠ってしまった2人が、目ざめた時に深い友愛を感じているといった経験のある人がいるかと思います。タルコフスキーの主人公たちと眠ってしまうこと(実際彼らはよく寝てしまいます)、これがタルコフスキー作品の正しい観方なのでは。私は半眠りの状態で鑑賞します。ふと目覚めるとドメニコが サンタカテリーナと言っていたり、深い溜息をついていたり、犬の鳴き声で目が覚めたり。。。時間を止めてしまうことが映画の欲望なのだとあらためて思わせてくれたり。廃墟というのはまさに象徴的ですが。
もっとも美しい作品
31.6% (6 / 19)
[No.12] posted by lookfar
20年前になりますがガンセンターでレジデントをやっていました
スタッフのドクターでタルコフスキーのファンがいました
すすめられて映画館で見ました
タルコフスキーの作品の中でも一番の美しさだと思います
DVDでふたたび見ることができて幸せです
教会の廃墟の中で、失った故郷を見つめる男−−ヴェルディのレクイエムに重なる遠いロシアの歌
24.3% (9 / 37)
[No.11] posted by 西岡昌紀
ドストエフスキーの『悪霊』の中に、「故郷を失ふ者は、自らの神をも失ふ」と言ふ言葉が有る。この映画で、タルコフスキーが描いた事は、『悪霊』のこの一文だったのではないだろうか。
本当に美しい映画である。1985年にこの映画を映画館で観た時、冒頭の映像とそこに重なって流れるヴェルディのレクイエムの美しさに、私は、我を忘れた。だが、そのヴェルディのレクイエムの旋律にタルコフスキーがこめた物は、祖国と母への告別だったのである。
そして、ラスト・シーンの美しさは圧倒的である。作りかけの、廃墟と成った教会の中に雪が降る。そして、その雪の中で、主人公が教会の廃墟に座り、犬と共に、いつまでもこちらを見つめて居る。そこに聞こえるロシアの歌。彼は、あの教会の廃墟から、雪の中で、自分の故郷を見つめて居る様である。−−故郷とは、何と美しい世界であろうか。
(西岡昌紀・内科医/タルコフスキー没後20年目の日(2006年12月29日)に)
聖性とユーモア
31.6% (6 / 19)
[No.10] posted by あべまりあ
世界を救うために焼身自殺をするドメニコは,その自殺の前の遺言のような演説のなかで言う。「自分のなかのAQUA(水)を信じろ!」。「これ以上,水をケガしてはいけない」。
タルコフスキー作品におなじみの「水」であるが,本作では他の諸作品にも増して,これでもか,というくらいに「水」が登場する。まるで「水」こそが映画の真の主人公であるかのように。霧,雨,雨漏り,温泉,水たまり,泉etc。映像のみならず,音を通じて,タルコフスキーの「水」は見るものの魂深くにしみとおってくる気がする。
宇宙や生命や自然の実相を深く悟ったその刹那の驚愕を「水!」の一言で表現した古代ギリシアの哲学者タレスを思い出した。(「火」の哲学者ヘラクレイトスとともに。)タルコフスキーは,映像と音とを通じて,生命の根源を悟らせようとしているのだろうか。
作品から湧き出してくる「美」や「聖性」のかげに隠れがちだが,忘れてはいけないのは「笑い」だ。『ノスタルジア』では他の作品たち以上に,ユーモアの精神がたたえられている。「悲劇的自然が滅び去るのを見ながら,なおそれを笑う力を持つこと,これこそが神的である」。こう書き記したニーチェは哄笑にあこがれる冷笑家であったが,タルコフスキーにおいてユーモアはかれの祈りに対して,質料が形相に対するような関係にあるように思われる。ユーモアは哄笑よりも,もちろん冷笑や嘲笑よりも,ずっと神的ではないだろうか。