立体交差
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[No.17] posted by アンブロシア
カフェ・ミュラーは今までも、踊っているそのひとよりも寧ろ椅子をすんでのところで退かしている男の人の方が悲痛に見えて仕方がなかった。
ちゃんと舞台で観たことがなく、ビデオでみたことがあるだけなのだけれど。
息をするたびにそれがささくれた気管を逆撫でし痛めつけて裂くような、だけどからだの表面はその痛みをかぶりにいきたいかのように進む。彼女はその衝動に従って自分の時間を引き伸ばし、縮め、わめく。
だけど男の人は。
激しい呼吸の苦痛や選びとることの困難をいっとき捨て、彼女のすべてを引き受ける。引き受けることができないかもしれないのに、それも承知で。疑いに耳を貸さず、目の前の自分のものではない時間からかたときも目を離さないでいる。
ひと同士のかかわり合いはおしなべて予測どおりにはいかない。
どんなに心を込めても、どんなに感じ取っているつもりでも、結局はひとのこころをそのままうつしとることはできないから。
小さな秘密やひずみを仕舞ってからだの中心は、ときにはどんどん冷えてゆく。違う景色をみるようになってしまう。
もちろんその逆もある。
こころが膨らんだり、意図した以上の奇跡があったり。
だから私はこのことを悲しんでいるわけでは決して、ない。
そこからどこに進めばいいのかを感じ取るわたし自信の嗅覚にいつもちょっぴり失望してしまいはするけれど。
夢のなかと現実、
目を覚ましたこの世界と止まった時のなかでは、どちらがほんものだったのかな。
信じればそれが本当になってしまう。
ばたばたと椅子を取り上げることの中では。
信じていた世界(自分のまわりの、小さな)が足元になく、片腕ですら包んでくれていないと唐突に知ったとき。
ひきうけたものが甲斐もなくただ冷え固まっていつしかからだから離れない重しとして待っているのを感じたとき。
こんなふうに悲観的な感想を持つような映画じゃなかった。
だけど私はやっぱり基本的には解り合いようのない個々のこと、孤独のこと、をベランダからひさしぶりに嗅ぎとり、懐かしいぴりぴりとした感情にとらわれた。
究極のストーカー映画
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[No.16] posted by Portena_en_tokio
非常に芸術性が高く、見る側に相当な成熟を要求する映画。
一映画のストーリーというより神話的な美しさを感じさせる
映画だと思います。スペイン語圏の映画って良くも悪くも
もっと泥臭いというか、荒々しい雰囲気をいつも感じていましたが、
この映画はそこをさらに超越した作品です。
ただ、気になるのは、やはり二人の男(特に看護士のほう)の
ストーカーぶり。彼のやったことは決して許されるわけではないし、
この映画で描かれる愛は愛というより幼さ・執着にしか
見えないのはやはり私の成熟が足りないのでしょうか・・・
孤独な編集者のほうにはすごく感情移入しました。
ストーカーされた経験のある女性にはお勧めしない映画です。
きっと怖い気持ちになると思うから。なので星3つ。
素朴な疑問なんですが、女性経験のない男性看護士or男性医師
って結構大変なのではないでしょうか??
仕事は仕事と割り切れればOKですが、この映画のように
患者を女性として見てしまうことも、人間だから時にはあるのでは
ないかとふと思いました。
アルモドバル版ロミオとジュリエット
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[No.15] posted by かなり悪いオヤジ
「オール・アバウト・マイ・マザー」に続くアルモドバル監督の女性讃歌と聞いて本作品を見たが、この映画の主人公は植物人間になってしまった女を愛する2人の孤独な男だ。フリーライターのマルコは、別れ話を切り出される直前に恋人の女闘牛士が事故に合ってしまう。母の介護を20年間続けていた看護士ベニグノは、交通事故で植物人間になってしまったアリシアの介護をもう4年間も続けている。同じ境遇の2人の間にいつしか友情が芽生えていくが・・・。
マッサージをしながら意識の戻らない女に、昨日観た演劇や映画の話をして愛をつむいでいくベニグノ。これほど悲しい片想いを他にあまり見たことがない。ある事件がおきたことからベニグノは投獄され、アリシアから引き離されてしまう。獄中のベニグノから頼まれアリシアの調査をするマルコは<奇跡>に遭遇することになるが、関係者から口止めされベニグノにその<奇跡>を伝えることができない。
「オール・・・」でもそうだったが、アルモドバル監督は作品の中で<演劇>を見せるのが大好きなようだ。本作品にも実際の演劇シーンかいくつか登場するが、<ロミオとジュリエット>を連想させるクライマックスの悲劇におそらく観客は言葉を失うだろう。ロミオの存在さえ知らないジュリエットは後を追うことはないが、新しい恋を予感させるラストによって、孤独な男たちは救いの手を差し伸べられたのだ。
結局、人間はいつだって一人。
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[No.14] posted by 範馬ぱき
切ない映画です。
他人に愛を捧げることはできても、
誰からも愛されない孤独な看護士と、
他人の幸福を願う気持ちが強いゆえに、
結局いつも孤独にさいなまされるフリーの記者。
2つの哀しい魂が出会って、やがて共鳴しはじめます。
2人にはそれぞれバレリーナと女闘牛士という愛の対象がいますが、
僕はあまりストーリーの根幹には関係ないなと思いました。
むしろ、2人の主人公の"愛"と"孤独"を
形容するためのツールなのかなと感じました。
それにしても深い!
単なる醜男のストーカー話
11.1% (2 / 18)
[No.13] posted by シャノワール
この監督の他の作品は結構好きなのだが、この作品は自分にとってはイマイチだった。
設定や美術はセンスがあって面白いと思う。でも終始冷めたまなざしでしか観れなかった。
観ていて細かい部分で?なところも多い。特に人と人との出会いがわざとらしい(こんな事を言うと、それじゃアルモドバルの他の作品はどうなのかという話しになってしまうのだが)。正直なんでこれがこんなに高く評価されるのかサッパリわからない。
あと、若い女性はあまり感情移入できないと思う。醜男のねちっこいストーカーぶりが見事だから。
アルモさん
20.0% (1 / 5)
[No.12] posted by ぷりんちゃん
大好きです。
昔の作品は忘れたけど、
アルモの中でもかなり好きです。
色彩や美術の勉強にもなります。
日本語のコピーも好き。
王子のキス
51.5% (17 / 33)
[No.11] posted by yukkiebeer
舞台となる病院の名は「エル・ボスケ」。スペイン語で「森」です。そしてそこには美しき眠り姫が二人。うち一人は見知らぬ「王子」の「キス」を受ける。そう、これは「眠れる森の美女」の暗喩なのです。
見知らぬ他人からの「キス」は、ペロー原作のお伽噺やチャイコフスキーのバレエの中では「白馬に乗った王子様の愛」として語られますが、この映画では「ストーカーによる昏睡女性への性的虐待」となります。この映画を観た人の相当数が「男の一方的な思い込みに嫌悪感を抱いた」と言います。
おそらくその感想ははずれていません。「ストーカー野郎」ベニグノの許されざる行為はだからこそ物語の中で相応の償いを求められます。
王子様ならばセクハラで訴えられることもなく理不尽なことに「めでたしめでたし」で幕を閉じますが、ベニグノは小太りで、長年献身的に母親を介護してきたという地味な青年であるために美男の王子のような特権は与えられません。実際は王子であっても姫の許可なくいきなり唇を奪うことなど許されないはずですが、そのことに思いを馳せることなく私たちはこの物語を観てしまうおそれがあります。
アルモドーバルは「献身的な愛」を描くような監督ではありません。彼の描く人々は孤独なあまり他者との触れ合いを求め続け、相手との関係をうまく切り結べないために一線を越えてしまうことが常です。自堕落で放蕩、そして無責任な登場人物たち。その姿は強く非難されるものである一方、果たして観る者すべてが石もて打つことができるかというとそうでもないという人々ばかりです。もし「眠れる森の美女」(ディズニー映画は物語が改変してあるので除外します)の王子の行為を良しとする気持ちがわずかでもあるのならば、この映画を一刀両断するのは拙速かもしれません。私にはこの映画は「王子などいないことに気づけ」と私たちに訴えかける極めてまっとうな作品に思えてならないのです。
からみあう関係
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[No.10] posted by まんぼちゃん
昏睡状態の二人の女性。
彼女らを愛する二人の男。
背景に違いはあるものの似た境遇にたった
二人の男たちは奇妙な友情でむすばれる。
その先には自身も思わぬ悲しい結末が待っていた。
アルモドバル監督ファンは必見?それとも物足りない?
秀作、ラストがいい。
84.2% (16 / 19)
[No.9] posted by Tochitli
不思議な映画である。複雑なテーマであるのに重さを感じさせず、最後まで全く飽きさせない。無声映画や劇場のシーンなどを取り込むことにより不思議な効果をあげている。
人はどんなに愛しても結局一人であって相手の心の中まで見る事は出来ない。第一章の女闘牛士とライターの男。第二章の元バレリーナ志望の女と看護士の愛。二人の女性は共に昏睡状態である。しかし二つの愛は全く形が違う。
現実に目を向けることによって孤独をより深める男と、空想の世界に住む男。二人は全く違うタイプであるが友情が芽生えていく。この二人をつないでいたのは喪失感と孤独感であったのだろう。
ライターであるマルコは根を持たない人物である。アルゼンチン人といっているが、彼の経歴や何故スペインに住んでいるのかも語られない。ただライターとして世界中を飛び回りどこにも寝宿を持たない。彼はかつて品行不良の愛する女性を立ち直らせ、彼女を過去とすべて決別させるために自らも身をひいた。感情を殆ど表さないように見えて演劇を見たとき、「何か失ったもの」を思い出し涙を流す。冷静に装っているが実は誰かにすがって泣きたいのである。
その隣にたまたま座っていたのは看護士であるベニグノ。彼はマルコの心の奥の悲しみを感じた。そして彼はマルコに興味をもつ。それは彼の中に自分の姿を見たからかもしれない。
二人の女性に対する愛し方は全く違う。マルコは彼流の愛し方で女闘牛士との関係を終わらせ、ベニグノも彼のやり方でしか彼女を愛せなかった。
とにかくじわーとした悲しみが伝わってくる映画である。そしてこの映画の終わり方は喪失の中に一縷の希望を感じさせる。
素直によく出来た映画だと思う。
あり得ないからこそ映画
3.3% (1 / 30)
[No.8] posted by vk4khz
確率からしてあり得ないストーリーなので、SF以上に創作的だし、ましてドキュメンタリーでもない、まさに純映画かな?
物理的/肉体的に思えるのはラテン文化に馴染みがないだけで、刹那的でも感傷的でもないとおもう。
実際そうなることはあり得ないのだけれども、極少数の人には起こりえる脳死からの蘇生がどういうものか?と考えると価値のある事例です。